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第三部

27、着隊! 自衛隊病院

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 コツコツコツと廊下に響くブーツの音はいつになく忙しかった。先頭を歩くのは紫紺色の真新しい制服を着た、陸上自衛隊の医官として勤務する東八雲二等陸佐である。東を数名の部下が後を追う。
 東の歩みは速かった。部下たちが思わず駆け足をしたくなるほどのスピードだ。手足の長い東の一歩は一般的な体型の者からした二歩に及ぶのかもしれない。

「一体全体、これはどういうことだまったく。俺たちの体はひとつしかないんだぞ」
「あまりにも簡単に我々の出動が多すぎます」
「こっちだって医務室の運営や訓練、隊員たちの管理があるっていうのに」

 一年で何度も起こる災害派遣は陸上自衛隊にとって慣れたものだ。即応体制はしっかりと構築され、今や派遣命令が下される前に準備ができるようになった。
 時にそれは自然災害だけではない。医療の少ない離島から依頼を受けて患者の輸送を行なったり、自衛隊病院で緊急の患者を受け入れたりもするのだ。
 昨今、その頻度が増しに増したということが悩みである。

「なあ、お前たち。心の声はそのぐらいにしておけよ。これ以上口にする奴は回れ右だ」
「「す、すみません!」」

 東の表情はいつになく険しかった。
 部下たちの不満は分からなくもない。しかし、今はそれを言うときではないということを、東はさとしたかった。

「名誉なことだと思わんか。なんのために俺たちはここにいるんだ。橋本二曹」
「国民の命を守るため、であります」
「体がひとつしかない俺たちはどうしたらいいんだ。伊達三曹」
「ひとつしかない体に鞭を打ちます」
「簡単に要請が行われていると思うか、川口三曹」
「い、いえ。慎重に考慮され手順を踏まれた結果だと思います」
「だったら我々はどうすべきだ、麻生三曹」
「与えられた使命に全力で取り組みます!」
「そうだ。勘違いするなよ」
「「はい!」」

 東以外は陸曹過程を終え、衛生隊員としての資格をもつ立派な陸上自衛官であり看護師資格を持つものたちだ。中にはレントゲン技師や、麻酔を取り扱う資格保持者もいる優秀な部隊である。彼らが医師免許を持つ東の右腕として従事しているのだ。

 東の歩む足がぴたりと止まると、彼らは姿勢を正す。東が部屋をノックした。

「入れ」

 待っていたと言わんばかりの声を聞いて、5人はドアを開けて入室した。とある自衛隊病院の院長室である。

「本日より着隊しました、東二等陸佐以下4名であります! 敬礼!」

 足の開き60度、制帽のつばに向かって伸びた腕は指先までピンと伸び、支える脇の角度は90度。視線は前に立つ院長に真っ直ぐに向けられた。5人は見事なシンクロで着隊報告を行う。

「ご苦労さまです」
「直れ!」

 風を切る音がしそうなほどの無駄のないキレのある所作だ。何を隠そう東を含めて彼ら衛生隊員は、レンジャーとして現場を駆ける猛者なのだから。

「すまないね。この忙しいときに身体を借りて」
「いえ。光栄であります」
「おや、安達陸曹長は今回は留守番かね」
「はい。安達陸曹長には駐屯地の全ての任務を預けてまいりました」
「なるほど。彼ひとりで10人分の働きをしてくれるからな。であれば安心だね」
「はい」
「では、君たちには本日より1ヶ月、自衛隊病院救急科での勤務を命ずる」
「「「はい!」」」

 こうして東八雲二等陸佐は駐屯地の医務室から、部下4名を連れて市内の自衛隊病院で働くこととなった。
 民間からの要請で救急搬送を受け入れることとなり、その人員確保のための臨時的な措置である。



 ◇


「見てくださいよ! これ」
「うん? それがどうした伊達」
「スクラブってやつだろ? 医療チームの制服みたいなもんだな。動きやすくていいよな」
「ですから!」
「「なんだよ!」」

 橋本、伊達、河口、麻生の4名は与えられたロッカーで着替えの最中だ。伊達が手にしているのはスクラブという医師や看護師が着ているユニフォームだ。
 昔は手術用のユニフォームだったが、最近は機能性を重視し普段から着るようになった。軽量で衛生的であることから、今やどこの病院でも採用されている。

「これ着てると、モテるらしいです」
「なんだと」
「モテるだと」
「これを着るだけでか!」

 彼らが着るのはグリーンのスクラブだ。名札をつけ、首に聴診器をかければ一端の医療従事者だ。いや、彼らも資格を持つ正真正銘の医療従事者なのだが、見た目はまるで違う。普段は迷彩の戦闘服に赤十字の腕章をつけて、泥まみれで走り回っているのだ。しかし、今回はどうだ。

「どうよ、俺」
「おおう。これは、また。いい男だな」
「だろ? 違う俺たちがここにはある」
「やばいな。モテるぞこれは」
「じゃあ俺、東隊長に報告してくるわ」

 初めは乗り気でなかったのに、東二佐から喝を入れられ、己の使命を再確認したばかりであった。にも関わらず、もう違う方向でハートが燃え始める。お互いに褒めあって、気持ちはすっかり高みへと近づいていった。

((俺たち、めちゃくちゃカッコイイぜ!))

「東隊長、橋本です。全員の着替えが終わりました」
「おう、なかなか似合っているじゃないか。馬子にも衣装だな」
「いい衣装を着させてもらいました。それより東隊長ぉぉー!」
「なんだ騒がしいな」

 報告にきた橋本は東二佐のユニフォーム姿を見て思わず叫んでしまった。男の橋本から見てもその姿はあまりにも眩しいものだったのだ。
 橋本ら曹クラスのユニフォームはグリーンだが、医官である東はアイボリーだ。その上から白衣を羽織り、すでに事務作業を行っている。その姿は一段と東のイケメン度をあげていたのだ。

「あの、ちょーっとよろしいでしょうか隊長」
「なんだい?」
「えっと、なかなかないので任務開始前に写真撮りません? 隊に戻った時に、俺たちちゃんと仕事したって。あと、広報活動にも使えるかと!」
「ふむ……いいだろ。すぐに撮るぞ」

 橋本の本当の目的は仲間への報告でも、広報活動でもない。このイケメン医官の姿をいつも世話になっているあの人に送らなければという使命感が働いたのだ。

(ひよりさん! 隊長めちゃくちゃ男前っすよ!)

 東ひより。東八雲二等陸佐の愛妻である。
 隊長の東からは、目に入れても痛くないというのがひしひしと伝わってくるほどだ。
 年に何度か東や安達の自宅に呼ばれ、腹一杯に家庭料理を食べさせてもらっている。そこにはいつもにこにこ温和で明るくて、一生懸命な女性がいる。
 東の部下たちは皆、ひよりのことを慕っていた。

「東隊長、聴診器を首にかけましょうか。俺たちは手ぶらだぞ」
「はいはい。聴診器ね」
「ネームが歪んでます。あと、はいボールペンをここにさして。よし!」
「まて、なぜ僕ばかりが」
「「医官ですからっ!」」

 最高の姿で撮らねばならない。忙しい夫を持つひよりを思えばこその部下たちからのプレゼントなのだろう。
 この写真を見て寂しさを乗り越えてほしい。そういう思いでいっぱいだった。

「お前たちも看護官だろ。ビシッとしろよ」
「もちろんです!」

 はい、撮りますよ!

 なぜか口元がだらしなく緩む橋本二曹とその仲間たち。この写真は休憩時間にひよりにこっそり送るのだ。我らが誇る東二等陸佐の勇姿を拝みたまえ。


 ☆☆☆


 その日の晩。
 ひよりのスマートフォンがメッセージの通知をしらせた。

 ―― ひよりさん、こんばんは! 衛生科橋本二曹です。東隊長の写真送ります! トリミングオッケーです。

 メッセージの後に続いて写真が送られてきた。それを見たひよりは思わず飛び上がる。

「えっ、こ、これー!」

 初めて見たかもしれない愛する夫の仕事をする姿だ。家を出るときの制服とは違い、誰がどう見ても医師である夫の姿にひよりは言葉を失った。
 お料理が得意でいつも自分を甘やかしている温厚な夫とは違い、厳しさの中に光る医師としての信念が垣間見える。その姿は言葉にならない。
 ただ胸の奥がジンと熱くなっていくのを感じていた。

 ―― ありがとうございます! 大切にします。東ひより

 目の奥も熱くなった。
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