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そして、愛
師匠の親心、弟子知らず
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鬼丈の指導もあり、斜めに倒れたコンテナは全て船から降ろすことができた。隣の荷役も目処が立ってきたようだ。
残るは先にワイヤーで固定した飛び出たコンテナと周辺の数十個を残すのみとなった。この荷崩れの復旧にあたった会社は所属は違えどみな仲間。誰がどんな荷扱いをするのか、どんな作業が得意なのか把握している。隣のキリンに乗るクレーン運転士は夕凪より遥かにベテランだ。夕凪は胸をなでおろす。あとは彼がやってくれると。
「あと、問題のコンテナだけですね」
「だな。佐々木さん、これうちがやってもいいですか」
「はっ!?」
鬼丈が無線でそんなことを言った。
「ああいいよー。鬼丈さんに頼んだわぁ」
さすがに鬼丈が運転するのだろうと夕凪は腰を浮かす。すると、
「なに立とうとしてんだよ。まだ終わってねぇだろ」
「本気ですかっ!」
鬼丈は立とうとした夕凪の肩を運転席に押し戻す。夕凪の顔は引き攣っている。それを見た鬼丈はゲハゲハ笑う。
「なんて顔してんだお前。心配すんな、何かあってもお前の責任にしたりしないから、安心して吊り上げろ」
「わ、私が心配しているのは課長の責任になることです! エースガンマンの名に傷かつきます」
「バカやろう!!」
「ひっ」
運転室に鬼丈の怒号が響いた。幸い、無線のスイッチは入っていないので、外の人間には聞こえていない。
「そんなんでお前はガンマンを名乗ってるのか。いつまで自分の能力を測っている。いつになったらお前は一人前のガンマンになるんだ。何のために俺が、ここにいるんだ」
鬼丈はもうすぐ50歳になる。クレーン運転士としての現役平均寿命は50と言われている。どんなに運転技術が優れていても、年齢と共に訪れる老いには勝てない。
体力、集中力、視力、それらはどんなに足掻いてもどうにもならないものだから。鬼丈は自分が現場に立っている間に、夕凪に一人前のガンマンになってほしい。あわよくば女性初のエースガンマンに育ってほしいと願っていた。
「分かった、俺がやってもいい。その代わりお前はここから降りろ。二度とキリンに乗るな、二度とキリンに近づくな!」
「っ!」
キツイ言い方だと鬼丈自身も自覚している。男性社員にもここまで言ったことはない。夕凪の頑張りを知っているからこそ、言うしかなかった。どんなに男女平等と言っても、何もかも平等にとはいかない。身体の構造そのものが違えば、能力だって異なる。男にしかできない事、女にしかできない事がある。女だから男の世界で生かされる事もあるのだと、鬼丈は知ってほしかった。
これで夕凪がキリンに乗るのを辞めるなら仕方がない。鬼丈はそれくらいの気持ちで接していた。
「どけよ。俺が運転する」
夕凪はうつむいたまま動こうとしない。いや、動けないのかもしれない。鬼丈は夕凪の腕を掴んでもう一度「どけ」と言った。
「触らないでください!」
「ああ!?」
夕凪は静かにハンドルをとると、運転室は機械音を発しながら前進した。そして、目下にあるのは今にも落水しそうな40フィートコンテナ。
下では手で合図する作業員、遠く離れた海上で作業の行方を見守る巡視船、空には偵察ヘリコプター。まるで夕凪の動き一つ一つを監視しているようだった。
夕凪は大きく深呼吸をして、ゆっくりとハンドルを引いた。
「木崎」
「はい」
「船の上の人間だけ見て動かせ」
「はい」
本船はその甲板に新たな荷物を積み込んで、いつもの姿に戻った。夕凪たちの復旧作業は無事に終わった。新たな積荷は交代したガンマンたちの働きが功を成し、予定時刻を30分遅れで本船は出港した。
「終わったぁぁーー」
夕凪は船尾を見送りながらキリンの足元にへたり込んだ。
コンテナにワイヤーが引っ掛けられたときがいちばん緊張した。上げ方を間違えると作業員に接触するし、躊躇えば海に落下の恐れもあった。空から海上保安庁のヘリコプターがそのコンテナの行方を見ていたと聞かされて、今回の件は大きな事件だったのだと改めて実感した。
「お前が落っことしたら、隣にいた作業員も一緒にドボンだった。よかったなぁ」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「俺としては海保のヘリからオレンジのやつが降りてくるの見たかったけどなー。ワハハ」
「洒落になりませんよ、課長」
眉毛をハの字に下げて自分の顔を見上げる夕凪に、鬼丈は思わず手を伸ばす。鬼丈は夕凪の頭をポンポンと当たるか当たらないかの強さで触れた。
どんなにキツく当たっても自分の前では涙一つ流さない。なのに昨夜のひとしずくの涙。鬼丈は知っていた。悲しくて寂しくて流したものじゃない。人の優しさに触れて流したものだと言うことを。
「課長?」
「とっとと着替えて帰れ。明日は休みだろ。たまには彼女業してやれよ」
「なんですかそれ」
「心配してんだよ。お前見てると、男女逆転してんじゃないかってさ。あの弁当、お前が作ったんじゃない事だけは分かるんだ」
「もぅ」
夕凪はむうっと膨れながらも鬼丈に沢柳のことを話した。仕事も家事もなんでもできる優秀な人なんだと。
「それに、とっても優しい人なんです。私にはもったいないです」
「そうかよ。お前、やったじゃねえか。逃げられないように縛っちまえよ」
「しばる、縛るって!!」
顔を真っ赤にした夕凪が何を想像したのかはさておいて、鬼丈は夕凪の視線まで屈んで小声で話を続けた。
「ま、物理的に縛るのも悪くわないが……法律で縛っちまうのが効果的だな」
「法律?」
「お前はバカか。結婚だよ、結婚。早くプロポーズしてしまえ」
「けっ、プロっ……なぁぁーー!」
「事務所に戻るぞー」
へたり込んだまま顔を隠して唸る夕凪を取り残し、鬼丈は歩いて行ってしまう。
夕凪の頭の中はプロポーズという自分には無縁と信じた言葉が、ぐるぐる回って支配していった。
*
夕凪が事務処理を終えて、タイムカードを押した時刻は午後5時。結局、いつもと変わらない時間になってしまった。沢柳には無事に終わったというメッセージは送っていた。でも、返信はない。本社はまだ忙しい時間だから沢柳が見るのはもう少し後だろう。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「おう、気をつけて帰れよー」
「はい」
課長の鬼丈に挨拶を済ませ、事務所を出ようとした時、外から騒がしい声がした。
「木崎ぃー! まだいるか!」
「先輩、どうしたんですか。そんな大きな声を出して」
「いや、おまっ、おまえの彼氏が迎えに来てるんだよっ」
その声を聞き逃すはずもない事務所内の男たちは「なにっ!?」と言いながら一斉に椅子から立ち上がった。そして全員が表のドアを開けて出てしまう。まさかの彼女を差し置いての出迎えだ。
「えっ……!」
「はぁ、何やってんだアイツら。木崎、お前はぼーっとしてねえで早く行けよ。彼氏、オッサン共にビビって腰抜かすぞ。ほらっ」
「うわっ」
鬼丈は夕凪の背中をトンと押しながら外に出した。玄関先には作業着姿の男たちに取り囲まれた、スーツ姿に眼鏡をかけた沢柳が立っている。まるで沢柳が狩りにでも会っているような光景だった。
夕凪は慌ててその中に割り込む。
「ちょっと、皆で何してるんですかっ」
「なにって、何も。見てるだけだぞ。なかなかないだろ、堂々と迎えに来ましたって言うやつなんてさ。良かったな木崎」
夕凪は肩でドンと押されて、迎えに来た沢柳の元に追いやられた。大注目がいたたまれず、かと言っていつもの調子で怒鳴り返すのも恥ずかしい。真っ赤な顔をして夕凪は睨み返すのが精一杯だった。
「すまない。迷惑だったな」
沢柳のいつも通りの声に夕凪はほっとする。
「煩い人たちでごめんね」
「いや」
沢柳は頬を緩めて言葉を返す。
「あ、でも私ゼファーで来て……」
夕凪はそこまで言いかけてやめた。せっかく迎えに来てくれたのだから、バイクは会社に置いて明日の夕方にでも取りに来ればいい。そう思った。
「そうだったな。俺も急に思い立って来んだ。ヘルメットもないしな……あんたはバイクで帰れ。俺は電車で帰る」
「あ、でも」
「おい!」
その時、鬼丈が何かを夕凪に目掛けて放って来た。なんとか落とさずにキャッチしたそれは真っ黒のヘルメット。
「え! 課長?」
「未使用だから安心しろー。おまえ飛ばすなよ、大事な彼氏を落してったら伝説もんだ」
「なに、それ」
鬼丈が投げてよこしたのは作業用のヘルメットではない。きちんと規格合格シールが貼られたバイクのヘルメットだ。バイクに乗らない鬼丈は、なぜ、新品のヘルメットを持っていたのか。
「バイク買おうとしたら、嫁さんに速攻却下されたんだよ。さっさと帰れ」
沢柳は夕凪からそのヘルメットを受け取った。眼鏡を外してスーツの内ポケットにしまうと、ビジネスバッグを夕凪に預けた。
「俺が運転する。寝てないだろう、あんた」
「え、あ、うん」
沢柳はヘルメットを被る前に鬼丈の側まで行き「お借りします」と頭を下げる。そして、夕凪からゼファーの鍵を預かってエンジンをかけた。
「じゃあ、皆さんお疲れ様でした」
夕凪は恥ずかしそうに自分もヘルメットを被ると、後部シートに跨った。
そんな夕凪の姿を見た男たちは、口をあんぐり開けて二人の背中を見送る。
「木崎が、ゼファーを他人に運転させるって! 鬼丈さん、ありゃ本気だ」
「おう。あの男、草しか食わねえと思っていたんだが、違ったか」
鬼丈をはじめとして全員、夕凪が前で男が後ろに乗る姿を想像していた。見た目からしても夕凪が尻に敷いていると思い込んでいた男たち。それは間違いだと当てつけられた。
夕凪は沢柳の掌で好きなように転がり、落ちそうになるとそっと囲い込まれ、また好きなように転がっていたのだと。
「木崎、いい嫁さんを捕まえたな」
鬼丈のなんとなく寂しそうな独り言を誰もが聞こえないふりをして、ガヤガヤ無駄話をしながら事務所に戻っていった。
残るは先にワイヤーで固定した飛び出たコンテナと周辺の数十個を残すのみとなった。この荷崩れの復旧にあたった会社は所属は違えどみな仲間。誰がどんな荷扱いをするのか、どんな作業が得意なのか把握している。隣のキリンに乗るクレーン運転士は夕凪より遥かにベテランだ。夕凪は胸をなでおろす。あとは彼がやってくれると。
「あと、問題のコンテナだけですね」
「だな。佐々木さん、これうちがやってもいいですか」
「はっ!?」
鬼丈が無線でそんなことを言った。
「ああいいよー。鬼丈さんに頼んだわぁ」
さすがに鬼丈が運転するのだろうと夕凪は腰を浮かす。すると、
「なに立とうとしてんだよ。まだ終わってねぇだろ」
「本気ですかっ!」
鬼丈は立とうとした夕凪の肩を運転席に押し戻す。夕凪の顔は引き攣っている。それを見た鬼丈はゲハゲハ笑う。
「なんて顔してんだお前。心配すんな、何かあってもお前の責任にしたりしないから、安心して吊り上げろ」
「わ、私が心配しているのは課長の責任になることです! エースガンマンの名に傷かつきます」
「バカやろう!!」
「ひっ」
運転室に鬼丈の怒号が響いた。幸い、無線のスイッチは入っていないので、外の人間には聞こえていない。
「そんなんでお前はガンマンを名乗ってるのか。いつまで自分の能力を測っている。いつになったらお前は一人前のガンマンになるんだ。何のために俺が、ここにいるんだ」
鬼丈はもうすぐ50歳になる。クレーン運転士としての現役平均寿命は50と言われている。どんなに運転技術が優れていても、年齢と共に訪れる老いには勝てない。
体力、集中力、視力、それらはどんなに足掻いてもどうにもならないものだから。鬼丈は自分が現場に立っている間に、夕凪に一人前のガンマンになってほしい。あわよくば女性初のエースガンマンに育ってほしいと願っていた。
「分かった、俺がやってもいい。その代わりお前はここから降りろ。二度とキリンに乗るな、二度とキリンに近づくな!」
「っ!」
キツイ言い方だと鬼丈自身も自覚している。男性社員にもここまで言ったことはない。夕凪の頑張りを知っているからこそ、言うしかなかった。どんなに男女平等と言っても、何もかも平等にとはいかない。身体の構造そのものが違えば、能力だって異なる。男にしかできない事、女にしかできない事がある。女だから男の世界で生かされる事もあるのだと、鬼丈は知ってほしかった。
これで夕凪がキリンに乗るのを辞めるなら仕方がない。鬼丈はそれくらいの気持ちで接していた。
「どけよ。俺が運転する」
夕凪はうつむいたまま動こうとしない。いや、動けないのかもしれない。鬼丈は夕凪の腕を掴んでもう一度「どけ」と言った。
「触らないでください!」
「ああ!?」
夕凪は静かにハンドルをとると、運転室は機械音を発しながら前進した。そして、目下にあるのは今にも落水しそうな40フィートコンテナ。
下では手で合図する作業員、遠く離れた海上で作業の行方を見守る巡視船、空には偵察ヘリコプター。まるで夕凪の動き一つ一つを監視しているようだった。
夕凪は大きく深呼吸をして、ゆっくりとハンドルを引いた。
「木崎」
「はい」
「船の上の人間だけ見て動かせ」
「はい」
本船はその甲板に新たな荷物を積み込んで、いつもの姿に戻った。夕凪たちの復旧作業は無事に終わった。新たな積荷は交代したガンマンたちの働きが功を成し、予定時刻を30分遅れで本船は出港した。
「終わったぁぁーー」
夕凪は船尾を見送りながらキリンの足元にへたり込んだ。
コンテナにワイヤーが引っ掛けられたときがいちばん緊張した。上げ方を間違えると作業員に接触するし、躊躇えば海に落下の恐れもあった。空から海上保安庁のヘリコプターがそのコンテナの行方を見ていたと聞かされて、今回の件は大きな事件だったのだと改めて実感した。
「お前が落っことしたら、隣にいた作業員も一緒にドボンだった。よかったなぁ」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「俺としては海保のヘリからオレンジのやつが降りてくるの見たかったけどなー。ワハハ」
「洒落になりませんよ、課長」
眉毛をハの字に下げて自分の顔を見上げる夕凪に、鬼丈は思わず手を伸ばす。鬼丈は夕凪の頭をポンポンと当たるか当たらないかの強さで触れた。
どんなにキツく当たっても自分の前では涙一つ流さない。なのに昨夜のひとしずくの涙。鬼丈は知っていた。悲しくて寂しくて流したものじゃない。人の優しさに触れて流したものだと言うことを。
「課長?」
「とっとと着替えて帰れ。明日は休みだろ。たまには彼女業してやれよ」
「なんですかそれ」
「心配してんだよ。お前見てると、男女逆転してんじゃないかってさ。あの弁当、お前が作ったんじゃない事だけは分かるんだ」
「もぅ」
夕凪はむうっと膨れながらも鬼丈に沢柳のことを話した。仕事も家事もなんでもできる優秀な人なんだと。
「それに、とっても優しい人なんです。私にはもったいないです」
「そうかよ。お前、やったじゃねえか。逃げられないように縛っちまえよ」
「しばる、縛るって!!」
顔を真っ赤にした夕凪が何を想像したのかはさておいて、鬼丈は夕凪の視線まで屈んで小声で話を続けた。
「ま、物理的に縛るのも悪くわないが……法律で縛っちまうのが効果的だな」
「法律?」
「お前はバカか。結婚だよ、結婚。早くプロポーズしてしまえ」
「けっ、プロっ……なぁぁーー!」
「事務所に戻るぞー」
へたり込んだまま顔を隠して唸る夕凪を取り残し、鬼丈は歩いて行ってしまう。
夕凪の頭の中はプロポーズという自分には無縁と信じた言葉が、ぐるぐる回って支配していった。
*
夕凪が事務処理を終えて、タイムカードを押した時刻は午後5時。結局、いつもと変わらない時間になってしまった。沢柳には無事に終わったというメッセージは送っていた。でも、返信はない。本社はまだ忙しい時間だから沢柳が見るのはもう少し後だろう。
「お疲れ様でした。お先に失礼します」
「おう、気をつけて帰れよー」
「はい」
課長の鬼丈に挨拶を済ませ、事務所を出ようとした時、外から騒がしい声がした。
「木崎ぃー! まだいるか!」
「先輩、どうしたんですか。そんな大きな声を出して」
「いや、おまっ、おまえの彼氏が迎えに来てるんだよっ」
その声を聞き逃すはずもない事務所内の男たちは「なにっ!?」と言いながら一斉に椅子から立ち上がった。そして全員が表のドアを開けて出てしまう。まさかの彼女を差し置いての出迎えだ。
「えっ……!」
「はぁ、何やってんだアイツら。木崎、お前はぼーっとしてねえで早く行けよ。彼氏、オッサン共にビビって腰抜かすぞ。ほらっ」
「うわっ」
鬼丈は夕凪の背中をトンと押しながら外に出した。玄関先には作業着姿の男たちに取り囲まれた、スーツ姿に眼鏡をかけた沢柳が立っている。まるで沢柳が狩りにでも会っているような光景だった。
夕凪は慌ててその中に割り込む。
「ちょっと、皆で何してるんですかっ」
「なにって、何も。見てるだけだぞ。なかなかないだろ、堂々と迎えに来ましたって言うやつなんてさ。良かったな木崎」
夕凪は肩でドンと押されて、迎えに来た沢柳の元に追いやられた。大注目がいたたまれず、かと言っていつもの調子で怒鳴り返すのも恥ずかしい。真っ赤な顔をして夕凪は睨み返すのが精一杯だった。
「すまない。迷惑だったな」
沢柳のいつも通りの声に夕凪はほっとする。
「煩い人たちでごめんね」
「いや」
沢柳は頬を緩めて言葉を返す。
「あ、でも私ゼファーで来て……」
夕凪はそこまで言いかけてやめた。せっかく迎えに来てくれたのだから、バイクは会社に置いて明日の夕方にでも取りに来ればいい。そう思った。
「そうだったな。俺も急に思い立って来んだ。ヘルメットもないしな……あんたはバイクで帰れ。俺は電車で帰る」
「あ、でも」
「おい!」
その時、鬼丈が何かを夕凪に目掛けて放って来た。なんとか落とさずにキャッチしたそれは真っ黒のヘルメット。
「え! 課長?」
「未使用だから安心しろー。おまえ飛ばすなよ、大事な彼氏を落してったら伝説もんだ」
「なに、それ」
鬼丈が投げてよこしたのは作業用のヘルメットではない。きちんと規格合格シールが貼られたバイクのヘルメットだ。バイクに乗らない鬼丈は、なぜ、新品のヘルメットを持っていたのか。
「バイク買おうとしたら、嫁さんに速攻却下されたんだよ。さっさと帰れ」
沢柳は夕凪からそのヘルメットを受け取った。眼鏡を外してスーツの内ポケットにしまうと、ビジネスバッグを夕凪に預けた。
「俺が運転する。寝てないだろう、あんた」
「え、あ、うん」
沢柳はヘルメットを被る前に鬼丈の側まで行き「お借りします」と頭を下げる。そして、夕凪からゼファーの鍵を預かってエンジンをかけた。
「じゃあ、皆さんお疲れ様でした」
夕凪は恥ずかしそうに自分もヘルメットを被ると、後部シートに跨った。
そんな夕凪の姿を見た男たちは、口をあんぐり開けて二人の背中を見送る。
「木崎が、ゼファーを他人に運転させるって! 鬼丈さん、ありゃ本気だ」
「おう。あの男、草しか食わねえと思っていたんだが、違ったか」
鬼丈をはじめとして全員、夕凪が前で男が後ろに乗る姿を想像していた。見た目からしても夕凪が尻に敷いていると思い込んでいた男たち。それは間違いだと当てつけられた。
夕凪は沢柳の掌で好きなように転がり、落ちそうになるとそっと囲い込まれ、また好きなように転がっていたのだと。
「木崎、いい嫁さんを捕まえたな」
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