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本編
6、反射神経が抜群で
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(死ぬかと思った……)
ここしばらくは頭脳だけでなく体力強化に励んだ安達は、見事にレンジャー素養試験に合格した。これまではほとんどやってこなかった水泳もあり、かなり苦労をした。そして、配属も希望していた衛生科に決まり安達の自衛官人生は順風満帆に思えた。
そう、たったひとつを除いては。
「明日は死ぬほど眠る。俺のことは起こすなよ。外出なりなんなり好きにしてくれ」
やっと、心置きなく休むことのできる週末がやってきた。安達は移動前の貴重な休養日を寝て過ごす気満々でいたのだ。
「起こさないけどさ、おまえいいのか連絡しなくて」
「ああ? 連絡? 誰にだ」
「うわ……それはあんまりだろ。携帯、生きてんのか? 何とかちゃんからのメール溜まってたりしないのかよ。それとももう終わったのか」
「ぁ……」
「おい、安達?」
内田の言葉に安達はフリーズした。あまりにもがむしゃらに励みすぎたせいで、何のためにがむしゃらだったのかを驚くことに失念していた。いや、もう疲労困憊で致し方なかったといえよう。
「ウォォォォ!!!」
「おわぁっ」
就寝前にまさかの雄叫びが、営内居住区に響き渡る。同室の隊員たちが耳を塞ぐほどの声である。何事かと隣の班から人がやってくる。安達本人はロッカーに頭を突っ込んで携帯電話を掘り出していた。
「バカやろ! 鼓膜、逝ったかと思っただろ!」
お騒がせして申し訳ありませんと頭を下げる班長のそばで、携帯を握りつぶしそうな勢いで睨みつける安達。
「電源が落ちている」
「そりゃそうだろうよ。かれこれどんだけだよ。時間経ちすぎだろまったく。とっとと充電器に繋げろバカやろう」
太い指で携帯を開いては閉じを繰り返す何とも情けのない安達の姿に、同部屋の仲間も溜息しか出ない。訓練ではあんなに誰よりも速く走り、誰よりも高く跳び、誰よりも力持ちで、誰よりも忍耐のある安達がこのていたらくだ。
「ほら、携帯貸せ。とりあえず、挿すぞ。充電かいしー! 5分くらいしたら電源は着くだろうからさ」
「うむ」
「とりあえず消灯までには、いや、見回りまでは目を瞑る。光が漏れないようにしろよ」
「すまん」
班員たちの気持ちは皆同じだ。やれやれこれだから安達のことを憎めない。自衛官の素質はピカイチでも、女性のこととなったら二流以下なのがなんともかわいらしいじゃないかと。
大きな体をしているくせに、ベッドの端で小さく丸まってまだかまだかと携帯を睨みつけている。
「俺たち目がおかしくなったのかねぇ。あいつがかわいい何かの動物に見える」
「なんだろうな……パンダか?」
「パンダ……くっ、くくく。やめろよ腹いてぇ。普段はゴリラみたいなのに、こんな時に限ってパンダになるとか……くはははっ」
スイーツが大好きな、ゴリラパンダ……
◇
翌朝。
「安達のやつどうなった?」
「聞いてみるか?」
「いや、今日は起こすなって言われていただろ。地獄の訓練明けだからな、昼までは寝かせてやろうぜ」
なんだかんだと昨夜は全員死んだように熟睡をした。訓練に明け暮れているのは安達だけではないのだ。訓練中は気を張っているためか、体の異変に気づかない。課業終了の合図とともに身体は異変を訴える。
足の裏の皮がありえないほどふやけたり、ありえない皮の剥け方をしたりする。半長靴は通気性が悪く、特に陸上自衛官はこれに泣かされる。
「マメが破れてさ、すげぇ痛え」
「医務室行ったのか?」
「行かねえよ。あそこの医官マジ怖いからさ。新人の頃、訓練中に腹痛くなって倒れたんだ。そしたら朝飯はしっかり食ったのか? これでも噛んでおけって、その辺の草ちぎって口に押し込まれたんだよ。クソ苦いやつ」
「あー、ヨモギな。腹痛に効くらしいぜ」
「仮にも医者だろ? 西洋医学だよなうちの医大は」
「そのはずだ」
自衛隊の医者は普通ではいられないのだろう。隊員の訓練に同行するほど強靭な体力をもっているのだから。もしかしたら脳までも筋肉で守られている可能性もある。
彼らは一般的な白衣ではなく、しっかりと戦闘服を着ていたりする。時にその戦闘服の上から白衣を羽織ったりするものだから、軽々しく診てくれなんて言えない雰囲気だ。
「それにしても安達、生きてるのか? 静かすぎるだろ」
「おい、覗いてやれ」
「安達四季さんよ、生きてるか? おい、おらんぞ!」
「はあ⁉︎ 嘘だろ」
ベッドには四角く、四角くかっちりと畳まれた毛布がある。そこに、安達の姿はない。
なんと安達はすでに駐屯地にはいなかったのだ。
若菜さん。
返事が遅くなってすみません。明日、会いにいきます。会えなくても構いません。とりあえず、行きます。ライオンの前で待っています。
安達本人はすでに外出届を提出し、今は電車の中であった。
◇
安達は以前、待ち合わせ場所に指定したライオン像の前に立っていた。時刻はまもなく10時になろうとしている。休日の午前は人の流れも多くなく、そのせいか安達がぽつんと立つ姿が妙に目立っていた。
道行く人を安達は目で追い、来るかどうか分からない若菜を待っていた。
そう、メールの返信がまだなかったのだ。
(待て、これはもしや迷惑というやつではないのか。相手の予定を聞きもせず押しかけてくるなど)
安達は携帯をポケットから出してみた。着信もメールも届いていない。
しだいに人通りも増えてきて、家族連れやカップルが安達の前を通り過ぎる。小さな子どもは安達の方を指さして母親から叱られる。そんな光景をいくつか眺めて、時刻はまもなく11時になろうとしていた。
(俺はいったい何をやっている……飯でも食って帰るか。いや、もう少し待つべきか)
悩んでいても仕方がないし、いつまでもここに立っていてるのもはばかれた。なんせ通り行く人の視線がとても痛いのだ。
(不審者と思われているだろうか。いい加減にこの場から動くか)
ただ、電話をかければいいのに。メールを送ればいいのに。なぜかそれすら思いつかないほど、安達の頭の中は若菜のことでいっぱいだった。
どこかでお茶でも飲んで、ご飯を食べて帰ろうとそう思いたって歩行者天国になっている通りに入った。若者たちがひときわ多い通りだ。次があるか分からないが、洒落たジャケットでも買うべきかと考えていると、同じ年齢くらいの若者がこちらに背中を向けて女性を口説いていた。
(ナンパか)
そんなことを思いながら横を通り過ぎようとした時、安達の足はピタリと止まった。脳よりも体がすぐさま反応して、ナンパ男の手首を掴んでいたのだ。
「おいっ、なんなんだよオマエ! 離せよ! 警察呼ぶぞっ」
ナンパ男の反応は当然のものである。
「警察? 君がしていることは大丈夫なことなのか。彼女は嫌がっている」
「はあ? オマエには関係ないだろ。ナンパぐらい誰だって……イデデ」
安達の指に力が込められた。この男、握力は隊内でもトップクラスである。
「彼女は俺の連れだ。どうも遅いと思ったら、君が足止めをしていたのか」
「オマエの彼女だと? え、こんな可愛い子を、オマエが」
ナンパをされていたのはなんと若菜であった。目の前に現れたのが安達と知った若菜は、安堵と嬉しさからナンパ男を振り切って安藤の胸に飛び込んだ。
「四季さん!」
「うおっ」
ナンパ男の腕を掴んだまま安達は片腕で若菜を受け止める。怖かったのだろう。若菜は安達の胸に顔を押しつけて離れようとはしなかった。
(この小汚いナンパ男め。若菜さんをこんなに怖がらせるとは、けしからん)
安達はナンパ男の顔をマジマジと見た。この男をどう料理してやろうかと考える。しかし、そんな時に思い出すのは自分は自衛官であるということだ。ことを荒立てては若菜だけでなく、仲間に迷惑がかかってしまう。幸いにして話しかけられただけで何もされていないようだ。そうであれば、もうこの場を去ろう。
そんなことを頭の中でぐちゃぐちゃと考えていたところで、ナンパ男はへにゃりと地面に座り込んでしまった。
「おっと……君、大丈夫か」
「ひっ、いっ。い、やだー」
男は這うようにして安達の前から消えた。
(何が起きたんだ。なんなんだアイツは)
まさか、単に考え事をしている安達の顔に恐れをなして逃げたとは思いつくまい。
それよりも、若菜だ。
「若菜さん、もう大丈夫ですよ。すみません。もっと早くにあなたを探すべきだった」
安達が声をかけても若菜は顔を上げてくれない。それどころか安達のシャツをぎゅっと握りしめて離れるのを拒んでいるように見えた。
「若菜さん?」
「四季さん……」
「はい」
くぐもった若菜の声が胸元から聞こえた。受け止めた腕とは反対の腕がどうしたらよいのか宙を泳ぐ。
人の騒めきがどこか遠くに聞こえていた。
ここしばらくは頭脳だけでなく体力強化に励んだ安達は、見事にレンジャー素養試験に合格した。これまではほとんどやってこなかった水泳もあり、かなり苦労をした。そして、配属も希望していた衛生科に決まり安達の自衛官人生は順風満帆に思えた。
そう、たったひとつを除いては。
「明日は死ぬほど眠る。俺のことは起こすなよ。外出なりなんなり好きにしてくれ」
やっと、心置きなく休むことのできる週末がやってきた。安達は移動前の貴重な休養日を寝て過ごす気満々でいたのだ。
「起こさないけどさ、おまえいいのか連絡しなくて」
「ああ? 連絡? 誰にだ」
「うわ……それはあんまりだろ。携帯、生きてんのか? 何とかちゃんからのメール溜まってたりしないのかよ。それとももう終わったのか」
「ぁ……」
「おい、安達?」
内田の言葉に安達はフリーズした。あまりにもがむしゃらに励みすぎたせいで、何のためにがむしゃらだったのかを驚くことに失念していた。いや、もう疲労困憊で致し方なかったといえよう。
「ウォォォォ!!!」
「おわぁっ」
就寝前にまさかの雄叫びが、営内居住区に響き渡る。同室の隊員たちが耳を塞ぐほどの声である。何事かと隣の班から人がやってくる。安達本人はロッカーに頭を突っ込んで携帯電話を掘り出していた。
「バカやろ! 鼓膜、逝ったかと思っただろ!」
お騒がせして申し訳ありませんと頭を下げる班長のそばで、携帯を握りつぶしそうな勢いで睨みつける安達。
「電源が落ちている」
「そりゃそうだろうよ。かれこれどんだけだよ。時間経ちすぎだろまったく。とっとと充電器に繋げろバカやろう」
太い指で携帯を開いては閉じを繰り返す何とも情けのない安達の姿に、同部屋の仲間も溜息しか出ない。訓練ではあんなに誰よりも速く走り、誰よりも高く跳び、誰よりも力持ちで、誰よりも忍耐のある安達がこのていたらくだ。
「ほら、携帯貸せ。とりあえず、挿すぞ。充電かいしー! 5分くらいしたら電源は着くだろうからさ」
「うむ」
「とりあえず消灯までには、いや、見回りまでは目を瞑る。光が漏れないようにしろよ」
「すまん」
班員たちの気持ちは皆同じだ。やれやれこれだから安達のことを憎めない。自衛官の素質はピカイチでも、女性のこととなったら二流以下なのがなんともかわいらしいじゃないかと。
大きな体をしているくせに、ベッドの端で小さく丸まってまだかまだかと携帯を睨みつけている。
「俺たち目がおかしくなったのかねぇ。あいつがかわいい何かの動物に見える」
「なんだろうな……パンダか?」
「パンダ……くっ、くくく。やめろよ腹いてぇ。普段はゴリラみたいなのに、こんな時に限ってパンダになるとか……くはははっ」
スイーツが大好きな、ゴリラパンダ……
◇
翌朝。
「安達のやつどうなった?」
「聞いてみるか?」
「いや、今日は起こすなって言われていただろ。地獄の訓練明けだからな、昼までは寝かせてやろうぜ」
なんだかんだと昨夜は全員死んだように熟睡をした。訓練に明け暮れているのは安達だけではないのだ。訓練中は気を張っているためか、体の異変に気づかない。課業終了の合図とともに身体は異変を訴える。
足の裏の皮がありえないほどふやけたり、ありえない皮の剥け方をしたりする。半長靴は通気性が悪く、特に陸上自衛官はこれに泣かされる。
「マメが破れてさ、すげぇ痛え」
「医務室行ったのか?」
「行かねえよ。あそこの医官マジ怖いからさ。新人の頃、訓練中に腹痛くなって倒れたんだ。そしたら朝飯はしっかり食ったのか? これでも噛んでおけって、その辺の草ちぎって口に押し込まれたんだよ。クソ苦いやつ」
「あー、ヨモギな。腹痛に効くらしいぜ」
「仮にも医者だろ? 西洋医学だよなうちの医大は」
「そのはずだ」
自衛隊の医者は普通ではいられないのだろう。隊員の訓練に同行するほど強靭な体力をもっているのだから。もしかしたら脳までも筋肉で守られている可能性もある。
彼らは一般的な白衣ではなく、しっかりと戦闘服を着ていたりする。時にその戦闘服の上から白衣を羽織ったりするものだから、軽々しく診てくれなんて言えない雰囲気だ。
「それにしても安達、生きてるのか? 静かすぎるだろ」
「おい、覗いてやれ」
「安達四季さんよ、生きてるか? おい、おらんぞ!」
「はあ⁉︎ 嘘だろ」
ベッドには四角く、四角くかっちりと畳まれた毛布がある。そこに、安達の姿はない。
なんと安達はすでに駐屯地にはいなかったのだ。
若菜さん。
返事が遅くなってすみません。明日、会いにいきます。会えなくても構いません。とりあえず、行きます。ライオンの前で待っています。
安達本人はすでに外出届を提出し、今は電車の中であった。
◇
安達は以前、待ち合わせ場所に指定したライオン像の前に立っていた。時刻はまもなく10時になろうとしている。休日の午前は人の流れも多くなく、そのせいか安達がぽつんと立つ姿が妙に目立っていた。
道行く人を安達は目で追い、来るかどうか分からない若菜を待っていた。
そう、メールの返信がまだなかったのだ。
(待て、これはもしや迷惑というやつではないのか。相手の予定を聞きもせず押しかけてくるなど)
安達は携帯をポケットから出してみた。着信もメールも届いていない。
しだいに人通りも増えてきて、家族連れやカップルが安達の前を通り過ぎる。小さな子どもは安達の方を指さして母親から叱られる。そんな光景をいくつか眺めて、時刻はまもなく11時になろうとしていた。
(俺はいったい何をやっている……飯でも食って帰るか。いや、もう少し待つべきか)
悩んでいても仕方がないし、いつまでもここに立っていてるのもはばかれた。なんせ通り行く人の視線がとても痛いのだ。
(不審者と思われているだろうか。いい加減にこの場から動くか)
ただ、電話をかければいいのに。メールを送ればいいのに。なぜかそれすら思いつかないほど、安達の頭の中は若菜のことでいっぱいだった。
どこかでお茶でも飲んで、ご飯を食べて帰ろうとそう思いたって歩行者天国になっている通りに入った。若者たちがひときわ多い通りだ。次があるか分からないが、洒落たジャケットでも買うべきかと考えていると、同じ年齢くらいの若者がこちらに背中を向けて女性を口説いていた。
(ナンパか)
そんなことを思いながら横を通り過ぎようとした時、安達の足はピタリと止まった。脳よりも体がすぐさま反応して、ナンパ男の手首を掴んでいたのだ。
「おいっ、なんなんだよオマエ! 離せよ! 警察呼ぶぞっ」
ナンパ男の反応は当然のものである。
「警察? 君がしていることは大丈夫なことなのか。彼女は嫌がっている」
「はあ? オマエには関係ないだろ。ナンパぐらい誰だって……イデデ」
安達の指に力が込められた。この男、握力は隊内でもトップクラスである。
「彼女は俺の連れだ。どうも遅いと思ったら、君が足止めをしていたのか」
「オマエの彼女だと? え、こんな可愛い子を、オマエが」
ナンパをされていたのはなんと若菜であった。目の前に現れたのが安達と知った若菜は、安堵と嬉しさからナンパ男を振り切って安藤の胸に飛び込んだ。
「四季さん!」
「うおっ」
ナンパ男の腕を掴んだまま安達は片腕で若菜を受け止める。怖かったのだろう。若菜は安達の胸に顔を押しつけて離れようとはしなかった。
(この小汚いナンパ男め。若菜さんをこんなに怖がらせるとは、けしからん)
安達はナンパ男の顔をマジマジと見た。この男をどう料理してやろうかと考える。しかし、そんな時に思い出すのは自分は自衛官であるということだ。ことを荒立てては若菜だけでなく、仲間に迷惑がかかってしまう。幸いにして話しかけられただけで何もされていないようだ。そうであれば、もうこの場を去ろう。
そんなことを頭の中でぐちゃぐちゃと考えていたところで、ナンパ男はへにゃりと地面に座り込んでしまった。
「おっと……君、大丈夫か」
「ひっ、いっ。い、やだー」
男は這うようにして安達の前から消えた。
(何が起きたんだ。なんなんだアイツは)
まさか、単に考え事をしている安達の顔に恐れをなして逃げたとは思いつくまい。
それよりも、若菜だ。
「若菜さん、もう大丈夫ですよ。すみません。もっと早くにあなたを探すべきだった」
安達が声をかけても若菜は顔を上げてくれない。それどころか安達のシャツをぎゅっと握りしめて離れるのを拒んでいるように見えた。
「若菜さん?」
「四季さん……」
「はい」
くぐもった若菜の声が胸元から聞こえた。受け止めた腕とは反対の腕がどうしたらよいのか宙を泳ぐ。
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