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第三章 宿命編

家庭の温もり

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 それからはそれぞれ落ち着きを取り戻し、いつものように過ごした。洗い物を干して昼餉の準備をして、近くのいちに出掛け食材を買うことにした。母娘三人であれば残り物で十分だ。けれど、明日の朝は夜勤明けの夫が帰ってくる。疲れた夫には美味しいものを食べてもらいたい。

「かあさま、おさかな」
「あらほんと。炙ったら美味しそうね。お酒もあるし、とうさまには少し飲んでゆっくり休んでもらいましょうね」

 紫蘭がそう言うと、蓮がこっちだとぐいぐい手を引いて行く。あまり言葉を発しない蓮が連れて行ったのは豆腐屋の前だった。

「蓮、お豆腐のお汁が食べたいの?」

 紫蘭がそう問いかけると、蓮は首を横に振った。

「お豆腐ではないの?」

 すると今度は楓がこう言った。

「れんとかえは、これがいい」

 楓が指さして欲しいといったのは油揚げだ。なるほど、お酒もあると言ったから、酒の肴になるという子供なりの気遣いなのねと紫蘭は思った。

「そうね。お揚げさんに醤油をつけて焼いたら美味しいわね。とうさまが喜ぶ」
「とーさま、好きなの。かえもすき」
「……れんも」
「みんな、好きよね」

 珍しく蓮が主張をした。デレクによく似た寡黙で凛々しい横顔は、自然と紫蘭の口元を緩ませた。例え妖かしの血が混じっていようとも、人に指をさされないように育てたい。紫蘭はいっそう強く思った。







 一日、程よく歩いたからか蓮と楓は湯浴みをするとすぐに眠ってしまった。すうすうと寝息をたてながら同じ姿で寝ている。双子はそうなのだと近所の人が言っていた。好みも、考えも似ているし、離れていても互いの気持ちが読み取れるのだと誰かが言っていた。

「デレクが授けてくれた大切な命。何があっても守ってみせるわ。だから、あなた達は元気でいて」

 今朝の事を思い出せば胸が痛くなる。紫蘭は二人の頭を撫でながらどうしたものかと思い悩む。デレクに伝えたほうがよいのだろうか、いや、結局のところデレクは何も知らないままではないかと紫蘭は気づく。

「どんな私でもよいと、デレクは私の正体を問い詰めはしなかった……」

 自分にはもうあの力はない。デレクを救うために解き放ってしまったからだ。だから、妖かしだったと証明したくとも術がない。しかし我が子にそんな力があると知ったら、デレクはどうするだろうか。まさか、自分の親がしたように二人を亡きものにせよと言ったりしないだろうか。

「そんな……っ、どうしたら、いい」

 自分と同じ運命を辿るかもしれないことに、背筋が凍った。いや、デレクに限ってそんなことはない。でも、国民を守る立場の警視庁が許さなかったら……。今の紫蘭には悪い方向にしか考えられなくなっていた。

「いやよ、だめっ。蓮と楓は、私が守るわ」

 紫蘭はこの日、眠れぬ夜を過ごした。



 翌朝。
 紫蘭の耳元でなにやらそひそと話し声が聞こえる。幼い声と色のある大人の男の声だ。

「かあさま……」
「楓、かあさまは疲れているんだ。たまに起こさず寝かせてやろう」
「とーさま、かえ、おなかすいた」
「よし。とうさまが作ってやろう。そうだな英国式はどうだ?」
「えーこく?」
「蓮が手伝え。今日は男がやる日だ」
「れん、やる」
「かえもー」

 しいぃ……と、デレクが指を口に当てると、蓮と楓も真似してしいぃと指を当てた。紫蘭は朝方ようやく眠りについたのだろう。デレクの帰宅にも気づかずにまだ寝ていた。

「紫蘭には双子の世話で苦労かけている。きっとこいつ等が大騒ぎしたんだろう」

 デレクは穏やかに眠る紫蘭の頬に口付けを落として、双子と一緒に炊事場に向かった。


 薪が爆ぜる音、香ばしい匂い、楽しげな声が遠くから聞こえてくる。夢と現実の狭間を彷徨っていた紫蘭はようやく目を開けた。やけに周りが明るい。そして、隣で寝ているはずの楓と蓮がいないことに紫蘭は慌てた。

「あっ、楓っ! 蓮!」

 身なりを整えるのも忘れて紫蘭は寝床から飛び出した。デレクとの大事な我が子を見失ってしまったと、転がる勢いで土間に降りた。そこで始めて、紫蘭は三人の姿を見つける。

「やだ……起こしてくれたらよかったのに。寝過ごしてしまったのね」

 へなへなとその場に座り込む紫蘭に最初に駆け寄ったのは蓮だった。

「かあさま」

 そして、楓とデレクがやってきた。

「かあさま、おはよう!」
「まだ寝ていてもよかったんだぞ。疲れていたんだろ、大丈夫か」
「あ……すみません。あなたの方が疲れているのに、私ときたら、だめね」
「だめなもんか。お前はしっかりし過ぎていて心配していたんだ。幼い双子の相手は大変だろう。俺にはとうてい勤まらない。さあ、手を出すんだ。着物が汚れる」

 デレクは紫蘭に手を差し伸ばした。紫蘭はその手をすぐに取るかと思えばそうではなかった。眉を下げて、申し訳無いと躊躇うような仕草をみせている。デレクは「はぁ」とため息をひとつ吐いてから、紫蘭の腰に手を回した。

「やっ、あなた待ってください」
「残念だがもう遅い。楓、蓮、戸を開けてくれないか。とうさまの可愛い姫様を居間にお連れする」
「はーい。かあさまはひめさまー」
「デレクっ」

 デレクは軽々と紫蘭を抱えあげてそう言った。子供たちは大喜びでデレクの言う事に従った。こういった大胆なことをするのは半分異国の血が混じっているからだろう。子供たちの前でも平気で抱きしめたり口付けをしたりする。

「夫婦なんだ。恥ずかしがることはないだろ」
「でも」
「子供たちに仲がいいところを見せるのは悪くない。それに今から抱こうとしているわけではないしな」
「もうっ、いつもそうっ」

 紫蘭はいつもデレクの愛情表現に振り回される。真っ赤になった顔は子供たちには見せられないと、デレクの胸に顔を埋めた。そんな紫蘭の行動が愛らしく、デレクはつい過ぎた真似をしてしまう。

「よし、お前たちはそこで待っていろ。悪いやつが来ないように見張っていてくれ」
「あい! とーさま」
「あい!」

 任務を与えられて喜ぶ幼い双子にデレクは頬を緩めた。

(さて、愛する妻はどんな顔をしている。本当に元花魁かと疑いたくなるほど初心うぶな反応をしてくれる)

 デレクが紫蘭を運んだのは居間ではなかった。顔を隠していた紫蘭は気づかない。とさりと体を布団に置かれて初めて、そこが寝床だと知った。

「え、デレク。私、もう寝ませんよ」
「分かっている。明るい居間ではできないことがあるからな。子供たちには見せられないだろう」
「やだ。朝から……子供たちだけにしないでっ。あの子たちまだーーっ、んん」

 何日ぶりかの深い口付けだった。今は何も言うなとデレクの無言の責めを感じた。母になってもこんなに愛らしいお前が悪い。そう、言っているようだった。

「は、あっ……ん」
「すまない。つい、気持ちが入りすぎたな。もう少し休んでおけ。朝飯ができたら呼びに来る。たまにはいいだろ、な?」
「……はい」

 ちうっと、デレクはもう一度紫蘭の唇をすった。満足したのか男の顔から父親の顔に変わる。そして「ゆっくしりていろ」と子供たちの待つ居間に戻っていった。

「デレク……」

 こんなに愛されているのに、あんなに可愛い子供に恵まれているのに紫蘭の心は晴れなかった。幸せを感じれば感じるほどに、昨日の蓮と楓のことを思い出し胸が苦しくなる。

(夫に、デレクに話さなければ。でもまだ、勇気がない。どうしよう……)

 楽しそうにはしゃぐ双子と夫の声を聞きながら、紫蘭は目を伏せた。




 その晩のデレクはいつになく激しく紫蘭を求めた。昼間は夜勤明けだというのにデレクは子供たちと外にでかけ、遊んできたのだ。そのせいで子供たちは深い眠りについている。

「まって、あっ……声がっ」
「大丈夫だろ。ちょっとやそっとじゃ起きない。我慢するな。紫蘭の声が、聞きたい」
「だめぇ、ああんっ」

 いつになく執拗にデレクは紫蘭を抱いた。紫蘭は何度も昇りつめ、終わりのない快楽の沼に落とされる。

「デレクっ……っぁ。どうし、て」
「まだ足りない。紫蘭、紫蘭」

 空が白み始めた頃、ようやく紫蘭の体は解放された。しかし、デレクが離れることはなく紫蘭を抱きしめたまま眠りについてしまった。



 翌日、昼頃に原因はこれかと分かった。デレクは七日ほど家を空けると紫蘭に告げた。東京から要人が京都に入るらしく、それの警戒任務を命じられたのだと。

「そうと早く仰ってくださいまし。あなたは言葉が足りません。だから昨夜はあんなに……」
「あんなに、なんだ」
「態度で示すのも大切ですけど、言葉はもっと大切です」
「すまない」

 ぷうっと膨れる紫蘭にデレクは素直にわびた。デレクの性格では甘えさせてくれとは言えなかったのだ。

「今後は、努力する。だから、怒らないでくれ」
「お、怒っていませんっ」
「かあさま、お顔がまっか」
「かあさま、まっか…」
「赤くありません! やだ、デレクのせいです。もう」

 家族があるから救われるのだ。たとえ襲い来る不幸があったとしても、きっと乗り越えられる。そう紫蘭は信じようとしていた。
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