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三章 -箱館編ー
弁天台場の誓い
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しばらく睨んでいた土方も埒があかないと諦めたのか、大きなため息をついて一歩下がった。大鳥は機嫌よく土方の肩を叩きながら言う。
「まあまあ、敵じゃないんだ僕たちは。市村くんを悪いようにはしていないよ。彼の身体能力は頭の硬い僕の隊には大変役にたっているよ。君は優秀な部下を持っているね」
「……」
土方は何も言わなかった。私が土方と行動を共にしている時は決して前に出ることはなく、いつも土方に護られていた。大鳥は土方とは違い、後方に控え指示を出すことに徹している。二人の現場での立場はまるで違う。もしかしたら土方は私の能力をあまり知らないのかもしれない。私は大事にされすぎている。
「市村くん、偵察を頼むよ。この先に弁天台場がある。恐らくあそこも、もぬけの殻だとあもうがね。敵の数と箱館湾の様子を見てきてほしい。そろそろ榎本艦隊も入港する頃と思うよ」
「はい」
私に指示を出した大鳥は得意げに土方を見た。すると土方は大鳥には何も言わず、近くにいた沢に指示を出した。
「沢、土方隊として弁天台場を偵察してきくれ」
「承知しました!」
よりによって沢と同じ場所へ偵察に行くなど。なんの因果か……。
「では土方くん。我々は彼らに偵察を任せて軍事会議をしようじゃないか。松前城攻略に向けてね」
試されているかもしれない、そんな気がした。
*
沢はどう思っているか分からないけれど、私はこの男が苦手だ。できれば一緒にいたくない。だから私はすぐに弁天台場に向かった。足の速さなら誰にも負けない。そう思い疾風の術で駆け抜けた……が、驚くべきことがおきた。沢が後方につけていたからだ。
(嘘でしょう! なぜ、沢がついてこれるの。常世兄様と私くらいと思っていたのに。もしかして沢は忍びの出なのか)
私は引き離したくて仕方がなかった。沢はなんてことはない顔をして私についてくる。私は脇にそびえる木々の幹を蹴りながら、飛ぶように走った。風を斬り、加速をかけた。久しぶりかもしれない。誰に遠慮することもなく、こうして思い切り駆けるのは。
「着いたー!」
「よっと。ふぅ……お前速くなったな」
「ええっ!」
息を切らすことなく、沢は私の隣に並んだ。
「嘘だ! あなたは、忍びだな!」
「くくくっ。そう思うならそれでいい。相変わらずだな、腹が痛い」
「何を、知ったふうに!」
沢は腹を抱えて笑い始めた。速くなっただの、相変わらずだなどと腹立たしい。途中で加わったくせに、私のことを知らないくせにと腹の虫がおさまらない。まるで兄貴分な沢の態度に苛立ちが増した。
「それより、あれを見ろ」
「あ! あれは……逃げている」
「その向こうから榎本殿の艦隊が迫っている。箱館府の人間は必死だ。ここから援軍を求めても津軽まで行かねばならない。三日はかかるだろうな」
「松前城を落としている間に戻ってくるのでは……」
沢は私の話にふんと鼻をならした。湾を眩しそうに見つめながら何を考えているのか分からない横顔に、どこか懐かしさを覚えた。
(常世兄様……お元気かしら)
薩摩軍にいるのか長州軍にいるのか定かではない。でもきっと、常世兄様はどちらにいたとしも上手く立ち振る舞っているに違いない。兄様は私と違いとても優秀だから。
「全兵力を上げて松前に行くわけがないだろう。この五稜郭と弁天台場は重要な司令の拠点となる場所だ」
「では、それなりに信用できる隊がここを守ると」
「普通はそうするだろう」
確かにそうだ。ここからは箱館港がよく見渡せる。どんな船が入ってきたかは一目瞭然だ。ここに大砲をおけば簡単には近づけないだろう。
「おまえ、この戦争が終わったらどうするんだ」
「戦争が、終わったら……」
「どう転んでも、ここが最後だろ」
沢のそんな問いかけに私の頭は動かなくなった。それはいつか終わる戦争だと分かっていながら、終わることを考えていなかったからだ。私はただ土方のあとをついて来ただけで、何もその先のことを考えていなかった。
(戦争が終わったら、私はどうする。土方はどうなる)
「どうせ、今が精一杯で考えていないんだろう。そういうところが甘いんだよ」
「っ! そういうあなたは、どうするのですかっ」
「俺は勝とうが負けようが、また旅に出る。もしかしたらこの国を出るかもしれない」
「異国にっ、行くのか」
「ああ」
沢にはこの戦争のその後の人生があるらしい。まだ若い私たちならそうあるべきだ。でも私にはその先の人生が思いつかない。もしそこに、土方がいなかったら。
(いやだ! 土方さんのいないこの世なら消えてもいい)
そんなことを言えば愚かだと罵られるに決まっている。そうか、私は土方ありきの将来を望んでいるのか。どんな結末を迎えようと、土方と一緒でなければ無意味なのだ。
「もしもこの戦争が、終わったら。その時にならないと、分からないな」
「おまえらしいな」
沢は相変わらず知ったふうな口をきく。鼻につくけれど、私のこの想いは決して口にはできない。
(生きるも死ぬも、土方さんと共にありたいなんて、言えない)
「俺の勘が正しいなら、おまえは土方さんしだいで生きるか死ぬかを選ぶだろ」
「私は土方さんの小姓です。ただ、それだけです。それ以上でもそれ以下でも、ない」
「へぇ」
沢はまるでお前のことはよく知っているとでも言いたげだった。簡単に知られてたまるか、私の気持ちは土方にも言わない。女として、土方を好いているなんて今更言えるはずがない。
「主人である土方さんを、護ります」
「おまえっ……」
あの人を最後まで武士として支えたいから。どう見ても不利であるこの戦争を死にゆく手段にはしたくない。私たちが歩んできた道には、武士になりたかった成りきれなかった者たちの魂が眠っている。幕府のためにと立ち上がり、そして散っていった者たちの想いを土方は背負っている。身を切る思いで粛清した仲間たちを、そして罪を着せられたまま去った頭の全てを土方は抱えている。
「独りで逝かせはしない!」
この沖田の刀の柄を強く握り、そして誓う。こんな私を仲間だと受け入れてくれた新選組に代わって、私が副長である土方歳三を護る。もしも死にゆくその時が来たら、供に逝くと。
ー ボーッ、ボーッ、ボーッ……
榎本の率いる艦隊が入港した。これで箱館は旧幕府軍が押えた。次は松前か……。
「よし、入ったな。戻るぞ。俺について走れるかな、鉄之助くん」
「なっ! そっちこそ、私の足についてこれるのかっ」
「ふんっ。分からないのか、俺は本気を出していない。待ってくださいと泣くのはおまえだ」
「煩い!」
沢は私をそんなふうに挑発して駆け出した。私は離されぬようあとにつけた。風を斬り、地を蹴って、木々に身を隠しながら進んだ。沢の選ぶ道筋は確かだった。まるで幼い頃に常世兄様とした修行のようだ。辿り着いた先には必ずお爺が立っていた。そして必ず褒めてくれたんだ。
『さすが爺の孫たちだ。爺は鼻が高いのぅ』
本当は、血がつながってないと知っていた。それでも行くあてのない私たちを、育ててくれた。
「何を泣いている。男のくせに」
「泣いてなんかいない!」
(会いたいよ、お爺……。兄様も、どこにいるの)
袖で涙を拭い、走った。私にはもう、土方しかいない。土方さえいえば生きていられる。だから……でも……。もう自分がどうあるべきかなんて分からない。ただ、弁天台場で誓ったことに嘘はない。
あなたを、決して独りにはしない!
*
私たちは五稜郭に戻ると、それぞれの主のもとに行く。
「「土方さんっ」」
「おおぅ、なんだ二人して。やけに息があうじゃねえか」
土方に報告をするのは自分だと、沢と小競り合いながら来たというのに同時に声をかけてしまった。
「ちょっと、私が先に着いたのですが」
「いや違うだろ。市村の方が遅かっただろ」
「私が土方さんのっ」
小姓ですから! と言おうとして大鳥さんにたしなめられた。
「市村くん、誤ってもらっては困るよ。今の君の上司は僕だ。弁天台場の偵察にと頼んだのは土方くんではない。この僕だよ」
「あっ……」
そうだった。一人で行くはずが、なぜか土方が沢も寄こしたのだ。そして腹立たしいことに土方への報告は私ではなく、沢にする義務があるということだ。
「市村くん。行くよ」
「……はい」
「テツ……」
恐らく、松前城を落とすまで土方の隊には戻れないのだろう。土方の方を振り返ると困ったように眉を下げていた。これは自分が招いたことなのに腹が立つ。
(こうなったら、早く松前城を落とすしかない!)
土方とまともに話す時間がないと、私の心は拗ねていた。
「まあまあ、敵じゃないんだ僕たちは。市村くんを悪いようにはしていないよ。彼の身体能力は頭の硬い僕の隊には大変役にたっているよ。君は優秀な部下を持っているね」
「……」
土方は何も言わなかった。私が土方と行動を共にしている時は決して前に出ることはなく、いつも土方に護られていた。大鳥は土方とは違い、後方に控え指示を出すことに徹している。二人の現場での立場はまるで違う。もしかしたら土方は私の能力をあまり知らないのかもしれない。私は大事にされすぎている。
「市村くん、偵察を頼むよ。この先に弁天台場がある。恐らくあそこも、もぬけの殻だとあもうがね。敵の数と箱館湾の様子を見てきてほしい。そろそろ榎本艦隊も入港する頃と思うよ」
「はい」
私に指示を出した大鳥は得意げに土方を見た。すると土方は大鳥には何も言わず、近くにいた沢に指示を出した。
「沢、土方隊として弁天台場を偵察してきくれ」
「承知しました!」
よりによって沢と同じ場所へ偵察に行くなど。なんの因果か……。
「では土方くん。我々は彼らに偵察を任せて軍事会議をしようじゃないか。松前城攻略に向けてね」
試されているかもしれない、そんな気がした。
*
沢はどう思っているか分からないけれど、私はこの男が苦手だ。できれば一緒にいたくない。だから私はすぐに弁天台場に向かった。足の速さなら誰にも負けない。そう思い疾風の術で駆け抜けた……が、驚くべきことがおきた。沢が後方につけていたからだ。
(嘘でしょう! なぜ、沢がついてこれるの。常世兄様と私くらいと思っていたのに。もしかして沢は忍びの出なのか)
私は引き離したくて仕方がなかった。沢はなんてことはない顔をして私についてくる。私は脇にそびえる木々の幹を蹴りながら、飛ぶように走った。風を斬り、加速をかけた。久しぶりかもしれない。誰に遠慮することもなく、こうして思い切り駆けるのは。
「着いたー!」
「よっと。ふぅ……お前速くなったな」
「ええっ!」
息を切らすことなく、沢は私の隣に並んだ。
「嘘だ! あなたは、忍びだな!」
「くくくっ。そう思うならそれでいい。相変わらずだな、腹が痛い」
「何を、知ったふうに!」
沢は腹を抱えて笑い始めた。速くなっただの、相変わらずだなどと腹立たしい。途中で加わったくせに、私のことを知らないくせにと腹の虫がおさまらない。まるで兄貴分な沢の態度に苛立ちが増した。
「それより、あれを見ろ」
「あ! あれは……逃げている」
「その向こうから榎本殿の艦隊が迫っている。箱館府の人間は必死だ。ここから援軍を求めても津軽まで行かねばならない。三日はかかるだろうな」
「松前城を落としている間に戻ってくるのでは……」
沢は私の話にふんと鼻をならした。湾を眩しそうに見つめながら何を考えているのか分からない横顔に、どこか懐かしさを覚えた。
(常世兄様……お元気かしら)
薩摩軍にいるのか長州軍にいるのか定かではない。でもきっと、常世兄様はどちらにいたとしも上手く立ち振る舞っているに違いない。兄様は私と違いとても優秀だから。
「全兵力を上げて松前に行くわけがないだろう。この五稜郭と弁天台場は重要な司令の拠点となる場所だ」
「では、それなりに信用できる隊がここを守ると」
「普通はそうするだろう」
確かにそうだ。ここからは箱館港がよく見渡せる。どんな船が入ってきたかは一目瞭然だ。ここに大砲をおけば簡単には近づけないだろう。
「おまえ、この戦争が終わったらどうするんだ」
「戦争が、終わったら……」
「どう転んでも、ここが最後だろ」
沢のそんな問いかけに私の頭は動かなくなった。それはいつか終わる戦争だと分かっていながら、終わることを考えていなかったからだ。私はただ土方のあとをついて来ただけで、何もその先のことを考えていなかった。
(戦争が終わったら、私はどうする。土方はどうなる)
「どうせ、今が精一杯で考えていないんだろう。そういうところが甘いんだよ」
「っ! そういうあなたは、どうするのですかっ」
「俺は勝とうが負けようが、また旅に出る。もしかしたらこの国を出るかもしれない」
「異国にっ、行くのか」
「ああ」
沢にはこの戦争のその後の人生があるらしい。まだ若い私たちならそうあるべきだ。でも私にはその先の人生が思いつかない。もしそこに、土方がいなかったら。
(いやだ! 土方さんのいないこの世なら消えてもいい)
そんなことを言えば愚かだと罵られるに決まっている。そうか、私は土方ありきの将来を望んでいるのか。どんな結末を迎えようと、土方と一緒でなければ無意味なのだ。
「もしもこの戦争が、終わったら。その時にならないと、分からないな」
「おまえらしいな」
沢は相変わらず知ったふうな口をきく。鼻につくけれど、私のこの想いは決して口にはできない。
(生きるも死ぬも、土方さんと共にありたいなんて、言えない)
「俺の勘が正しいなら、おまえは土方さんしだいで生きるか死ぬかを選ぶだろ」
「私は土方さんの小姓です。ただ、それだけです。それ以上でもそれ以下でも、ない」
「へぇ」
沢はまるでお前のことはよく知っているとでも言いたげだった。簡単に知られてたまるか、私の気持ちは土方にも言わない。女として、土方を好いているなんて今更言えるはずがない。
「主人である土方さんを、護ります」
「おまえっ……」
あの人を最後まで武士として支えたいから。どう見ても不利であるこの戦争を死にゆく手段にはしたくない。私たちが歩んできた道には、武士になりたかった成りきれなかった者たちの魂が眠っている。幕府のためにと立ち上がり、そして散っていった者たちの想いを土方は背負っている。身を切る思いで粛清した仲間たちを、そして罪を着せられたまま去った頭の全てを土方は抱えている。
「独りで逝かせはしない!」
この沖田の刀の柄を強く握り、そして誓う。こんな私を仲間だと受け入れてくれた新選組に代わって、私が副長である土方歳三を護る。もしも死にゆくその時が来たら、供に逝くと。
ー ボーッ、ボーッ、ボーッ……
榎本の率いる艦隊が入港した。これで箱館は旧幕府軍が押えた。次は松前か……。
「よし、入ったな。戻るぞ。俺について走れるかな、鉄之助くん」
「なっ! そっちこそ、私の足についてこれるのかっ」
「ふんっ。分からないのか、俺は本気を出していない。待ってくださいと泣くのはおまえだ」
「煩い!」
沢は私をそんなふうに挑発して駆け出した。私は離されぬようあとにつけた。風を斬り、地を蹴って、木々に身を隠しながら進んだ。沢の選ぶ道筋は確かだった。まるで幼い頃に常世兄様とした修行のようだ。辿り着いた先には必ずお爺が立っていた。そして必ず褒めてくれたんだ。
『さすが爺の孫たちだ。爺は鼻が高いのぅ』
本当は、血がつながってないと知っていた。それでも行くあてのない私たちを、育ててくれた。
「何を泣いている。男のくせに」
「泣いてなんかいない!」
(会いたいよ、お爺……。兄様も、どこにいるの)
袖で涙を拭い、走った。私にはもう、土方しかいない。土方さえいえば生きていられる。だから……でも……。もう自分がどうあるべきかなんて分からない。ただ、弁天台場で誓ったことに嘘はない。
あなたを、決して独りにはしない!
*
私たちは五稜郭に戻ると、それぞれの主のもとに行く。
「「土方さんっ」」
「おおぅ、なんだ二人して。やけに息があうじゃねえか」
土方に報告をするのは自分だと、沢と小競り合いながら来たというのに同時に声をかけてしまった。
「ちょっと、私が先に着いたのですが」
「いや違うだろ。市村の方が遅かっただろ」
「私が土方さんのっ」
小姓ですから! と言おうとして大鳥さんにたしなめられた。
「市村くん、誤ってもらっては困るよ。今の君の上司は僕だ。弁天台場の偵察にと頼んだのは土方くんではない。この僕だよ」
「あっ……」
そうだった。一人で行くはずが、なぜか土方が沢も寄こしたのだ。そして腹立たしいことに土方への報告は私ではなく、沢にする義務があるということだ。
「市村くん。行くよ」
「……はい」
「テツ……」
恐らく、松前城を落とすまで土方の隊には戻れないのだろう。土方の方を振り返ると困ったように眉を下げていた。これは自分が招いたことなのに腹が立つ。
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