上 下
40 / 57
三章 -箱館編ー

苦渋の別れ

しおりを挟む
 あれ以来、大鳥圭介は私に接触をしてこなかった。そのせいか土方には疑われることもなく、船は順調に蝦夷に向かっていた。途中の港で本州では最後の物資を積んだ。もうこれで、私たちはあとには戻れない。

「テツこっちだ」
「はい」
「テツあれを見ろ」

 テツ、テツと土方は常に私をそばに置いた。乗船前に土方は私が女とばれやしないかと心配をしていたからだと思われる。男だらけの船内で万が一知られたらどうなるかを、耳に蛸ができるほど聞かされた。

(土方さんは、心配性だ……)

 そんなある夜、土方は私を部屋に呼んだ。私の部屋は土方の隣で、それも土方が指定した。同部屋にするには船内は狭すぎるし、私が土方が衆道と勘違いされるのは嫌だといったらこうなった。

「なんでしょうか」
「おまえ、何か隠してねえか」
「どういう意味でしょうか」

 心臓が飛び出るかと思った。これまでの私はそんな素振りもそんな顔も見せたつもりはない。なのに土方はそんなことを言うのだ。

「もっと近くに寄れ。そこに、座れ」
「はい」

 土方の座っている椅子のすぐ前にベッドという異国の褥がある。そこに私は腰を下ろした。土方は腕組みをして私の顔をじっと見る。

(常葉、大丈夫よ。普通にしていれば!)

「不安な顔をときどきするだろう」

 土方は組んでいた腕を外し前屈みになって私と距離を詰めた。そして手の甲で私の頬を撫でる。潮風で荒れた私の頬を何度も往復する。照れくささに思わず俯いた。

「荒れているな」
「それは仕方がないですよ。こんなに長く海の上にいたことがないですから」
「年頃の女が、そんなことでどうする」

 土方は徐に机の引き出しから小さな陶器の瓢箪のような入れ物をだした。小さな口の栓を抜き、手のひらに少しの液を出す。

「それは」
「花の露だ。これはなこうやって使うんだよ」
「ひっ」

 土方の手のひらで伸ばされたそれが私の頬に当てられた。微かに香るのはなにかの花の匂いか、その露が頬に染み込んでいく。

「江戸の女たちはこうやって、女らしさを保っていたそうだ。おまえは若いからな、これだけでも女らしくなるよ」
「女らしさは、いりません」

 私がそう言うと、土方の手が止まった。そして「すまん」とこぼす。女を隠せと言うくせに、女らしさを引き出そうとする土方の矛盾した態度に、私は困惑していた。本当は泣きたいほど嬉しかったのに。土方はその手をそのまま引っ込めてしまった。

「もうすぐ上陸だ。そうしたらまた始まる。五稜郭という奉行所を落とし、そこが落ちたら今度は松前城だ。箱館と言う土地らしいが、五稜郭と松前はかなり遠い。覚悟しておけよ」
「はいっ」
「雪が降ったら、なんにもできねえからな」

 土方と共にと走り続けてきた。そして土方はどんな時も私をそばに置いてくれるようになった。だからよけいに心が痛んだ。大鳥との約束を思えば胸が苦しくなる。でもそれが、土方が生きることの意欲となるのなら……。

「また、そんな顔をする」
「そんな顔とは」
「そんなに堅くなるな。そんなに意気込むな。俺がいるだろう」
「はい」

 土方は隣に座り私の肩を抱き寄せた。こんなふうに触れ合うのは久しぶりかもしれない。女になりたくないのに、こんな時だけは女になりたいと思う自分は勝手だな。

「船がついたら忙しくなる」
「そう、ですね。あっ、今のうちに刀の手入れをしておきましょう。私が土方さんの刀も一緒にっ……あっ」

 とさりとベッドに倒される。

「こっちの手入れが先だ」
「こっ、こっちとはっ。あっ、ま、待ってくだい。そんないきなり」
「騒ぐと誰かが来るぞ」
「っ……」

 土方は私の上着の釦を外し、手を中に入れてきた。慣れた手つきでさらしを緩めると、そのままそれを捲り上げた。その手に躊躇いはなく、現れた私の乳房を掬い上げる。

「なにが成長していませんだ……てめえの事なのに分かってねえなおまえは」
「ひじっ、かたさ……や、やですよ」
「何が嫌なんだ」
「そのっ、触り方ですっ」

 止めてもらえると思ったのに、「ほう」と目を細めながら嬉しそうにする。そしてさらなる刺激を与えてきた。声に出すまいと奥歯を食いしばる。それでも難しい。

「んっ……は、あん」
「我慢、できねえよな」

 分かっているよと言うように土方は口づけで私の声を呑み込んだ。土方の舌が口内で溢れんばかりに私を翻弄する。知らなければよかったのに、知ってしまうと抗えない。もっと、もっとと淫らな欲が零れ出る。私は土方の肩を掴んでいた腕を首に回し、離れまいとしがみついていた。

「そんなにしたら、何もできないだろう」
「何も、しなくていいですから。だからこのまま、こうしていたいのです」
「今生の別れを前にしているみたいだな」

 おまえはまだまだガキだと土方は言い、それでも私が願ったように抱きしめてくれた。船の揺れが加勢して土方の重みを身を持って知れる。大きなこの体に包まれていると、何も怖くないと思うことができる。

(土方さん、お願いです。生きてください。例えこの戦争に負けても……)

 大鳥が言うように土方は死に場所を探しているのだろうか。本当のところは分からない。けれど、支えだった近藤や沖田を失い、新選組の御旗も手放した。それが意味するものとは……。

「おまえは俺を絞め殺すつもりか」
「すみません。でも、もう少しこのままで」
「仕方のないやつだ」

 皆の前で女らしくなれなくてもいい。土方だけがそう思ってくれていればいい。あの花の露だって、土方のためだけにつけたい。

「土方さん」
「まだなんかあるのか」
「ありがとう、ございます。さっき、花の……」
「あれな。悪かったよ。俺が女と知られるなと言っていたのにな。適当に海にでも流しておく。気にするな」
「だめですっ。捨てないでください。あの、ときどき塗ってもいいですか。こっそり、ばれないようにしますから」

 私がそう尋ねると土方は驚いた顔をして、そしてゆっくりと頬を上げ笑った。

「好きにしろ、あれはおまえのものだ」

 夜が更ける。
 もうすぐ、蝦夷の大陸が見えてくる頃だろう。そこで終わりにしたくない! そう思い始めた自分がいた。







 船の速度が変わった。船首が港に向いていたのに、気づくと沖を向いていた。そして、

ボーッ、ボーッ、ボーッ……

 大きく三度の汽笛が鳴った。私は思わず両手で耳をふさいだ。

「着いたな」
「あれが、蝦夷地」

 榎本武揚が率いた艦隊が集結した。また小舟に乗って陸に上がるそうだ。

「錨を下ろせぇーー!」

 海軍兵と呼ばる者たちが慌ただしく駆け回る。帆はすでに下ろされており、残るは錨を下ろせば停泊が完了するらしい。こんな大きな塊を人間が操ることに感慨深い気持ちになる。この刀ですら操るのは難しいというのに。

「さて、そろそろ上陸だね」
「大鳥さん」

 相変わらず読めない表情で大鳥がやってきた。

「土方くん、榎本さんからは聞いているね。上陸したら君たち新選組は僕の傘下だって」
「はい。上陸後、すぐに五稜郭に向かうと」
「その通りだ。そのための作戦を説明するよ」

 私たちは大鳥についで作戦室と呼ばれる部屋に入った。そこには地図が広げられてある。箱館の地図だそうだ。本来、箱館には大きな港があり、そこであればこの艦隊も入港できるそうだ。しかしそこには明治政府が箱館府を置いて管理している。援軍を呼ばれ港に閉じ込められでもしたら、いくら最強の艦隊だとしても一貫の終わりだ。

「艦隊は僕たちを下ろしたら、ゆっくりと箱館に回る。その間に僕たちが後ろから彼らを撃退するのさ。あっちも必死になって旧幕府軍の艦隊の行方を追っているらしい。知られるのも時間の問題だろう。そうだな……七日だ。七日以内に五稜郭を制圧する」
「七日、ですか……」

 制圧に許された時間を聞いて、みな驚いた。これだけの距離をしかも何処で現れるか分からない敵と戦いながらの進軍。しかし、土方は黙ったまま地図をじっと見ていた。

「土方くんの意見を聞きたいな。どう思う」
「隊を分けるんですよね。峠下と鹿部の川汲峠の二手に」
「そうだよ。ただ、無駄な戦いはしたくないのでね、一応お行儀よく箱館府には使者を送るよ」
「……五日だ。五日で五稜郭を手に入れる」

 辺りがざわめいた。大鳥の七日でさえ驚いていたのだから当然だろう。大鳥は嬉しそうに笑った。

「さすが榎本さんが言うだけあるね。気に入った。五日で制圧しよう。では隊を分けよう。ここに記してある通りに分かれてくれたまえ」

 大鳥が率いるのは旧幕府軍の伝習隊を始め各藩の兵士たち。土方が率いるのは新選組や彰義隊が主だった。そして土方隊の中に私の名はなかった。

「大鳥さん」
「なんだい土方くん」

 ギロリと、土方が最近にないくらい恐ろしい目つきで大鳥を睨んだ。睨まれた大鳥は待っていたとでも言わんばかりに嬉しそうに答える。

「間違ってもらっては困る。市村はうちの隊の人間だ」
「ああ、言い忘れていたよ土方くん。間違ってなんかいないよ。市村くんは私と動くことになっているんだ。ねえ、市村くん」
「あ、えっ」

 ここで話を振られると思っていなかった私は言葉に詰まった。土方がそんなわけないだろうと大鳥に詰め寄る。

「こいつは俺の小姓だ。あなたのものではない」
「そうなんだけど、市村くんは勉強をしたいそうだよ。オランダで学んだ戦術をね。そうだろ? 市村くん。これも主人である君のためだと言うんだから泣かせるよね」
「おい、テツ。本当なのか!」

 土方が鬼のような形相で私を睨んだ。おまえは俺と一緒じゃないのかという圧力が迫る。私だって離れたくはない。今回だって刀を交える事もある危険な進軍だろう。でも、何よりも私は土方を生かせたいから。

「本当、です」

 目を見て答えることができなかった。土方は大きな舌打ちをすると、私に背を向けて大鳥に言う。

「人質でも取ったつもりか」
「なんのことだい。まあ、そう思われても構わないけどね。お小姓さんを取り戻したければ、さっさと五稜郭を落として我々に合流したらいい」

 土方は拳をガツンと地図に叩きつけた。まさかここで喧嘩が始まるのかと私はびくびくした。すると島田や相馬がすぐにかけより何か声をかける。沢もそばに行くとチラリと私の方を振り返って呆れた顔をし、土方に声をかけた。「私が代わってお仕えします」と。
 しばらくして、土方が口を開いた。

「土方隊、出発する!」

 土方は私と目を合わさぬまま部屋を出た。
 愛想をつかれたもしれないと、もしかしたら沢の方がよっぽど役に立つと思われるかもしれないと不安がよぎる。胸の奥が苦しくて、何かを吐き出したい気分だった。

(土方さん!)

 すぐに駆け寄ってその背中に縋りたかった。私も連れて行ってくださいと、お供しますと叫びたい。でも、それを必死で抑え込んだ。

「さあ、僕たちも行こうか」

 こうして私たちの五稜郭攻略が始まった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

戦国三法師伝

kya
歴史・時代
歴史物だけれども、誰にでも見てもらえるような作品にしていこうと思っています。 異世界転生物を見る気分で読んでみてください。 本能寺の変は戦国の覇王織田信長ばかりではなく織田家当主織田信忠をも戦国の世から葬り去り、織田家没落の危機を迎えるはずだったが。 信忠が子、三法師は平成日本の人間が転生した者だった…

シンセン

春羅
歴史・時代
 新選組随一の剣の遣い手・沖田総司は、池田屋事変で命を落とす。    戦力と士気の低下を畏れた新選組副長・土方歳三は、沖田に生き写しの討幕派志士・葦原柳を身代わりに仕立て上げ、ニセモノの人生を歩ませる。    しかし周囲に溶け込み、ほぼ完璧に沖田を演じる葦原の言動に違和感がある。    まるで、沖田総司が憑いているかのように振る舞うときがあるのだ。次第にその頻度は増し、時間も長くなっていく。 「このカラダ……もらってもいいですか……?」    葦原として生きるか、沖田に飲み込まれるか。    いつだって、命の保証などない時代と場所で、大小二本携えて生きてきたのだ。    武士とはなにか。    生きる道と死に方を、自らの意志で決める者である。 「……約束が、違うじゃないですか」     新選組史を基にしたオリジナル小説です。 諸説ある幕末史の中の、定番過ぎて最近の小説ではあまり書かれていない説や、信憑性がない説や、あまり知られていない説を盛り込むことをモットーに書いております。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

クロワッサン物語

コダーマ
歴史・時代
 1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。  第二次ウィーン包囲である。  戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。  彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。  敵の数は三十万。  戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。  ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。  内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。  彼らをウィーンの切り札とするのだ。  戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。  そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。  オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。  そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。  もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。  戦闘、策略、裏切り、絶望──。  シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。  第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。

処理中です...