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二章 -勝沼・流川・会津編ー

再会、すり替えられた刀

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 ザク……ザク……と音がして、一定の小さな揺れが私の意識を呼び戻した。薄っすらと目を開けたが、辺りは暗く何も見えない。ほんのりと心地の良い温度に包まれて、体は宙に浮いているような感覚だった。次第に意識がハッキリとしてきて、耳も鼻も感覚が戻ってきた。眼も暗闇に慣れたのか辺りの様子が見え始める。

(誰かに、担がれている……!)

 敵の手に落ちたのかと体がビクリと跳ねた。私の反応が伝わったのか動きが止まった。私の足元に立派な刀が差してある。立ち止まり呼吸を整える息遣いから、その者は大きな男だと分かった。

(殺される……)

「気が、ついたか」
「……」

 しかし、その低い声からは殺気は感じられない。体はとても重く、逃げる力はなさそうだ。返事をした方がよいのか、答えが出せないでいた。

「おい……」
「……」
「テツ」
「えっ」

 私のことをテツと呼ぶのは一人しか知らない。まさか、どうして、なぜ、此処にっ。

「ふ、ふくちょ」

 私は地面に降ろされて、すぐに真っ黒いものが私の体を覆った。抱きしめられていると、分かったのは暫くしてからだった。

「副長が、どうして私を」
「ばか野郎っ。無理はするなと、言っただろうが」
「そんなこと、言いましたか」
「口ごたえか……っ、上等だ」
「ふくっ」

 私は強く体を引き寄せられて、隙間も無くなるほど土方の胸に押し付けられた。息を吸えば土方の汗と埃にまみれた匂いが私の鼻孔をついた。援軍を求めに行くと言ったときと同じ匂いがする。土方が行き倒れた私を見つけてくれたのだ。

「死んだのかと、思った。見つけたときお前は、虫の息だった。ここは戦場だ。助かる見込みのねえ奴は捨てなけりゃならねえ。けど、お前の体は、まだ」
「副長、ありがとうございます」
「お前はばかだ。俺は、もっとばか野郎だ」
「副長はばかではありません。副長は誰よりも考えて、誰よりも荷を背負って、いつも誰よりも辛い決断を」
「ちったあ、黙れ」
「はうっ」

 喉元をやわく噛まれた。そして、生温い感触が首筋を辿った。冷えていた体に突然、火がついたような感覚が襲う。

「あ、あっ……ふくっ、副長ぉ」

 詰めた釦はとうに外され、その隙間から土方は手を入れてきた。抵抗する体力はまだなく、されるがまま見ているしかなかった。すると、ふわっと胸元が楽になった。さらしが緩められたのだ。

「楽になったか」
「は、い」

 随分と呼吸が楽になった。遅くやってきた成長期に心も体も戸惑っていた。今さら膨らみ始めた乳房は、時おり痛みを覚えた。そんな自分の体が嫌でたまらない。すると土方がいきなりコツンと額を合わせて、はぁとため息をついた。

「女、なんだよ……お前は。俺にとって、お前は女なんだ」
「嫌です。私は副長の小姓でいたいのです。女とバレないようにしますからっ。だから、置いて行かないでくださいっ」

 動かぬ体に鞭を打って、私は腕を土方の首に絡ませた。突き放されないように必死だった。でもうまく力が入らず、組んだ指が離れていく。

「お役に……立ちたいのです。お願いですから私を女だなんて言わないで下さい」

 だから、懇願するしかなかった。要らないと言わないでほしい、蹴飛ばされても何をされても着いていきたい。私は力の入らぬ体をとうとう土方の胸に預けた。こんなだから土方から女だと言われてしまうのに。

「もう忘れたのか。お前は俺のもんだと言ったのを。まだ、離しはしない」
「ふくちょ……ふくちょう」

 その言葉がどれほど今の私の力になったのか土方は知らないだろう。私の縋るような声を聞いて、どう思っただろうか。

「今晩はこれ以上は進めない。ここで夜を明かす」


 少し大きな木の側に移動して、風を避けるようにそこに腰を下ろした。土方は刀を抱えたまま休むようだ。そう、ここは戦場。いつ、どこから新政府軍の追っ手が現れるか分からないのだ。

「私が起きていますから、副長は休んでください」
「そんな力もまともに入らない体で、何ができると言うんだ。ガキはさっさと、寝ろ」
「が、ガキだなんて!」

 土方はふんと鼻を鳴らし、大きな手で私の頭を押さえた。寝ていろと言っているのだ。私はおとなしくそれに従うことにした。でも、不測に反応できるよう刀を腰から抜いて抱えた。それを横目で見た土方が少しだけ笑う。ガキ扱いされている事が腹立たしくもあり、それが自分だけの特権のような気がして嬉しくもあった。

「飾緒か」
「はい。私の刀と沖田先生の刀はよく似ているので、間違えないようにと……あっ」
「どうした」
「沖田先生を、見失いました。申し訳ありませんっ、酷く体力を消耗していたのに。なのに、私は自分だけ逃れて。沖田先生は大丈夫でしょうか!」

 私は土方に、覚えているだけのことを話した。敵の武器は鳥羽伏見と同じだったこと、数が圧倒的に多く、隊士たちの士気がもたなかったこと。そして撤退するときに、皆からはぐれたこと。

「沖田先生が、後方で敵と戦っていました。恐らく局長たちを逃がすために時間を稼いでいたと思われます。敵が木の影から鉄砲を構えたのに気がついて、私は無我夢中に走りました。私は沖田先生と、山を転がり落ちて、そして……そこから憶えていません」

 土方は黙って私の話を聞いてくれた。そして、ぼそりと言葉を紡ぐ。

「俺がお前を見つけたとき、誰かに隠されたように倒れていた。恐らくそれをしたのは、総司だろう」
「沖田、先生が」

 私は刀に結ばれた飾緒を握りしめた。倒れた私を運ぶことができずに、私を木陰に隠したのだろう。もしかしたら土方が通るはずだと予見していたのかもしれない。

「もう、寝ろ。明日また、聞く」
「はい」

 土方に会えた喜びと沖田の行方を見失って、私の心はぐちゃぐちゃだった。




 翌朝、朝露で濡れた草むらを歩いて日野を目指した。一晩が過ぎると私の体もだいぶ動くようになった。

「歩けるのか」
「なんとかなりそうです」
「無理はするな。痛むところはないのか」
「あちこち痛いですけど、折れてるとかはなさそうなので大丈夫です」

 そう答えると、土方は私を頭からつま先まで目視確認をした。そして肩や背中、腰を土方は手で押して確認された。

「いっ......。そんなに強く、押さないでください。あっ、たたっ」

 全身を打ち付けたから痛いのはかくせなかった。そんな私を見て土方は深くため息をついて「乗れ」と言って屈んだ。負ぶされといっているのだ。

「歩けますから」
「煩い、言うことを聞けないやつは置いていく」
「副長っ。……分かりました。重いですけど、すみまん」

 土方の肩に手を掛けた時、腰に差した刀が揺れた。浅葱色の飾緒が朝日に栄える。

(浅葱色……。えっ、浅葱色!)

「沖田先生のっ」
「どうした」
「副長っ。これ、沖田先生の刀です!」
「お前、何を言って。おい、鉄之助っ」
「沖田先生が、ううっ……私の刀と、すり替えたんですっ……どうしてっ、そんなことをっ。うわぁぁ」
「テツ」

 泣いた。泣かずにはいられなかった。愛刀をあの戦乱で手放すなんて、武士ならありえないことだ。それが沖田なら尚の事。新選組の為に、近藤の為に軋む体に鞭を打って挑んだこの戦。その手に刀が戻ったとき、あんなに愛おしそうに触れていたのに。

「どうして、手放したのですか。これは貴方の命そのものなのに」

 土方は私の方を振り返って、その刀の柄を引いて鞘から出した。朝日に向けるようにかざして、加州清光の刀身を見上げた。

「間違いない。これは総司の刀だ」

 何人もの人を斬り、血を吸ったそれは美しく日の光を反射させた。きらきらと眩しくて、思わず目を細めた。まるで沖田が悪戯に笑っているようだ。土方はひとしきり眺めると、ゆっくりとそれを私の腰にある鞘に戻した。

「お前に、託したのだろう」
「私に」
「俺はお前の腕を知らねえ。けど、総司が自ら刀を預けたのなら、お前は確かな腕の持ち主だと言うことさ」
「私には重すぎます。山口先生や永倉先生が持たれたほうがよっぽど」
「いや。お前じゃなきゃ駄目だったんだろ。これはお前が持っておけ。総司の命をお前が引き継ぐんだ」
「でも、でもまだ沖田先生は」

 土方はあいつはまだ生きてるよ、そう簡単には逝きはしないと言った。拭いても拭いても涙は止まず、だんだん肌が痛くなってきた。土方は動かない私を強引に抱え上げた。

「うわっ」
「何もかもが終わったような顔をしやがって。泣きたいのは俺の方だ。援軍を連れて帰ってこれなかったんだぞ。情けないことだ」
「副長の、せいではありませんよ」
「ふんっ。分かったような口をきくんじゃねえよ」
「すみません」

 ぎゅうっと力を込めて抱きしめられた。こんなことをされると、土方は私のことを好いているのかと勘違いしてしまう。

「行くぞ。ほら、背中に乗れ」
「はい」

 私はその広い背中に体を預けた。硬くて厚いこの背にはたくさんの責任が乗っている。私も少しは背負えたならいいのにと、そんなことを思った。今の私には沖田の愛刀を預かるだけで精一杯なのに。

「ガキは寝てもいいんだぞ」
「っ、寝ませんっ」

 太陽が眩しいのをいいことに、土方の肩に顔を埋めた。大人の、男の匂いが、した。
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