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25 エンジン始動
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巡視船かみしまから飛び立ったヘリコプターうおたかは、護衛艦つるみが待つ水域へと順調に飛行していた。航海長の角倉は通信長の江口とコンタクトを取る。まもなくかみしまとのチャンネルを護衛艦つるみに切り替える。
「こちらうおたか、角倉です。飛行は順調。護衛艦つるみにチャンネルを切り替えます」
『了解しました。あちらさんに宜しくお伝えください』
「はい。下ろしたらすぐに戻りますので、皆さん頑張ってください」
『それぞれの命を優先して、帰還は不要との船長からのお言葉です。では、これで通信切ります』
船長の松平からは、危険を冒してまでかみしまに戻るなということであった。江口はそれを伝え、通信を切った。
船長ら以下、船に残った海上保安官たちは、最悪の場合は巡視船かみしまと沈むつもりなのだ。
(私たちだけ助かるなんて! 簡単に諦めないから!)
「航空長?」
「すみません。では、護衛艦つるみと交信を開始します」
「航空長、我々もかみしまを見捨てたくありません。かみしまあっての航空科でしょう。私はあなたの命令に従いますよ」
ヘリコプターうおたかの機長である、和久博実は大型ヘリコプターを難なく操る大ベテランだ。昔は第三管区で特別救難隊を乗せ、荒れた海原へ何度も出動した。五十歳を過ぎても、その腕に衰えはない。
角倉空音にとっては、父のようであり、迷った時に背中を押してくれる偉大な人なのだ。
「機長……ありがとうございます!」
航空科の気持ちはひとつだ。それを確認して、角倉は護衛艦つるみとの通信を再開した。
「こちら、海上保安庁AS332うおたかです。DDHつるみ応答願います」
『こちらDDHつるみ。感度良好です』
「わたくし、航空長の角倉と申します。五分でそちらに着きます。機長の和久に代わります」
『了解です』
『機長の和久です。こちらの現在地は――』
◇
護衛艦つるみは現在、巡航速力(時速22キロ)にて航行中である。幸い波は高くなく、風も気になるほどではない。
艦内では海上保安庁のヘリコプターを迎え入れるための準備が進んでいた。
「艦長。後五分で到着です」
「うむ。あれか……確認した。半速に落とせ」
「半速!」
「はんそーく」
護衛艦への着艦に慣れない海上保安庁のヘリコプターに、艦長の屋島は艦の減速を指示した。半速は9ノット、時速はおよそ16キロだ。それ以上は落とせない。
巡視船かみしまの船長松平からは、職員の退避が完了したら石垣海上保安部へ寄港してくれと言われている。今回の件は、海上保安庁でことを収めると言うのだ。
言われればそうであろう。海上警備行動も防衛出動も発令されていない中、自衛隊が対処することはない。人道的支援しかできないのだ。
「艦長、高速艇の接舷予定は二十分後です」
「分かった。それまで半速を維持。全員乗艦が確認されたら速力維持したまま訓練予定海域まで航行。その後、待機」
「艦長、それは」
ヘリコプターの着艦が終わったら、高速艇やエアーボートがやってくる。彼らを保護したのち、艦長の屋島はもともと予定していた訓練海域で巡視船かみしまを待つつもりなのだ。
「鹿島、お前ならわかるだろう。司令には私から説明する。君は我々にできることを考えるんだ」
「はい」
ただの通りすがりの艦ではない。同じ日本の海を守る艦なのだ。与えられた権限は最大限に使うべきである。それはときに、法律からはみ出すことになろうとも。
鹿島は三年前のことを思い出しながら、海上保安庁ヘリコプターうおたかの着艦を見守った。
「うおたかさん。当方、9ノットで航行中。左舷より進入願います」
『了解しました。9ノット、左舷より進入します』
機長の和久が、航行中の船に着陸することは初めてではない。海上保安庁の巡視船では幾度となく経験している。式典では総理大臣を乗せて、降りたこともあるのだ。むしろ今回は楽な方である。護衛艦の甲板は巡視船よりも広い。滑り止めもあるし、何の不安もない。
うおたかは護衛艦つるみの左舷側に並び、同じ速度で飛行をした。右手に見えるつるみの甲板員の旗を見つめながら。
合図と共に、うおたかはゆっくりと甲板上の停止位置へと移動した。
甲板員の旗が振られ、少しずつ降下を開始。ここが緊張する。海からの風、プロペラが巻き起こす風が混ざり機体が横に揺れ始めた。
(大丈夫だ。このくらいなら問題ない)
じわじわと機体を下げる。
甲板員の両腕が下に下がった。
―― 着艦
うおたかのタイヤが護衛艦つるみに見事着地した。
サスペンションがきいた大型ヘリコプターは、その時の衝撃はほとんど感じさせない。
「着艦、完了。ステップ出して。乗員は海自さんの指示に忠実に従うように」
機長が機内アナウンスをした時、一人の幹部職員が尋ねた。
「和久さん。あんたら、やっぱり戻るのかい」
「はい」
「そうか……船長たちを頼む」
十五名の先発隊が護衛艦つるみに退避した。それを確認した海上自衛隊の甲板員がうおたかを固定しようと作業にはいる。それを見た和久はマイクをオンにした。
「すぐに飛びます。申し訳ない、誘導をお願いします」
「えっ! 戻られるのですか。しょ、少々お待ちいただけますかー」
甲板員は指示が入るまで、作業を止めた。迎え入れる海自幹部は大慌てだ。
「副長! うおたかが戻るそうですが! どうしますか!」
「なに、それは本当か……。艦長」
鹿島が振り向くと、艦長の屋島は黙ってうなずいた。
(行かせてやれと⁉︎)
鹿島は艦橋からうおたかを見た。機長と目があった気がした。俺たちは仲間を見捨てない。あなたならその気持ちが分かるはずだ。そう訴えられた気がした。
彼は鹿島の発艦許可を待っている。
「発艦を許可する!」
海上保安庁ヘリコプターうおたかは、再び大海原へ飛び立って行った。
(生きて戻れよ!)
◇
その頃、巡視船かみしまはメインエンジンに火が灯ったばかりであった。
「船長、機関長の佐々木さんからです。かみしまはいつでも動けるとのこと。錨、あげますか」
「伊佐くんはどうなった。歌川くんの報告は?」
「それがなにを言っているのかさっぱりでして……」
「歌川くんを呼んでくれ」
「はい」
船長の松平は伊佐が何かをしていることは分かっている。佐々木が巡視船かみしまのエンジンに火を入れたこと、人造人間を海の底に沈めてやるだのと言い放ち、歌川に無線を押し付けたこと。
船長の許可も待てないほど、状況は良くないということだろうと想像した。
食堂で大捕物を行っていた、かみしま特警隊A班からは人造人間を外に出してしまったという報告以降、通信が途絶えたままだった。
(まったく海の男は困ったもんだね。個性が強すぎる……)
そんなことを考えているとき、船橋のドアが開いた。
「お呼びでしょうか、船長」
「船長。申し訳ありません」
歌川と、かみしま特警隊隊長の平良が入ってきた。歌川はいつもと何ら変わらない表情だが、平良に至ってはがっくりと肩を落とした状態だった。
「二人とも無事でなによりです。さて、お呼びだてしたのは他にありません。人造人間はどこに」
「それが……」
「咎めはしません。正直にお話しください」
船長の落ち着きすぎた態度に、歌川も平良も恐怖を覚えた。下手なごまかしは効きそうにない。
歌川は眼鏡のふちを一度触れ、船長にこう言った。
「人造人間を海底に沈めるため、伊佐監理官がおとりとなって飛び込みました」
「一人で、ですか?」
船長のその問いかけに、平良は頭を下げた。
「申し訳ありません! 我々、特警隊がおりながら全く歯が立ちませんでした」
平良は項垂れた。軽症ではあるが隊員に怪我人を出してしまった。それだけでなく、船長補佐である伊佐が全てを引き受けてしまったからだ。
「平良隊長。あれと対等に戦える者はいません。よく生きていてくれました。ありがとう」
「船長っ」
「彼らの位置の特定に全力を尽くしてください」
「「はい!」」
船長は無線を取り、機関室にコンタクトをとる。エンジンの異常がないことを確認した。
「総員に告ぐ! 錨をあげーい」
「錨をあげーい」
「全ての装備を使う! 単装砲、機関砲の準備。あれはロボットだ。どこかの国が起こしたテロリズムだ。戦闘準備よーい!」
歌川も平良も耳を疑った。
この海上保安庁巡視船で、戦闘態勢などあり得ないからだ。いや、もしかしたらあるのかもしれない。
「全員、防弾ベストを着用しろ」
「はい」
「みんな覚悟を決めてくれ。海上保安官生命にかけて、アレを討つ」
最小人員で運航する巡視船かみしまは、今まさに戦いの準備に入ったのだ。
(うわぁ、まずいって。まずい、まずい! 伊佐さん、早く上がってきてくださいよー)
このままでは伊佐まで戦闘に巻き込まれてしまう。歌川は人生で最大に焦っていた。
◇
その頃、レナはずっと海面を見ていた。
伊佐が潜った水域の僅かな変化も逃すまいと、双眼鏡を離さない。
(伊佐さん、早く上がってきて! お願い、早く)
見つめる先の海面が、大きく膨らんだ。何かが爆発したような妙な波の動きだ。以前、研修で見たことのある機雷爆破に似ていた。
そのあとしばらくして、ぽかんと何かが浮かび上がる。波に押されてぷかぷか流れる。
「あれは‼︎」
海上保安庁という文字が確かに見えた。レナの体温が急激に下がる。
「エアーボンベ! まさか、伊佐さん!」
レナは震える指先で、インカムでコンタクトを試みた。違っていて欲しい、でも、それ以外考えられない。
「こちら我如古レナ! エアーポンプが浮いています! 付近に人影なし! 伊佐さんがっ、伊佐さんが!」
「我如古さん、すぐに行きます。我如古さん? 我如古さん!」
レナの耳からインカムは外れていた。
レナは海面を見ている。
―― 伊佐さんを、助けなきゃ!
「こちらうおたか、角倉です。飛行は順調。護衛艦つるみにチャンネルを切り替えます」
『了解しました。あちらさんに宜しくお伝えください』
「はい。下ろしたらすぐに戻りますので、皆さん頑張ってください」
『それぞれの命を優先して、帰還は不要との船長からのお言葉です。では、これで通信切ります』
船長の松平からは、危険を冒してまでかみしまに戻るなということであった。江口はそれを伝え、通信を切った。
船長ら以下、船に残った海上保安官たちは、最悪の場合は巡視船かみしまと沈むつもりなのだ。
(私たちだけ助かるなんて! 簡単に諦めないから!)
「航空長?」
「すみません。では、護衛艦つるみと交信を開始します」
「航空長、我々もかみしまを見捨てたくありません。かみしまあっての航空科でしょう。私はあなたの命令に従いますよ」
ヘリコプターうおたかの機長である、和久博実は大型ヘリコプターを難なく操る大ベテランだ。昔は第三管区で特別救難隊を乗せ、荒れた海原へ何度も出動した。五十歳を過ぎても、その腕に衰えはない。
角倉空音にとっては、父のようであり、迷った時に背中を押してくれる偉大な人なのだ。
「機長……ありがとうございます!」
航空科の気持ちはひとつだ。それを確認して、角倉は護衛艦つるみとの通信を再開した。
「こちら、海上保安庁AS332うおたかです。DDHつるみ応答願います」
『こちらDDHつるみ。感度良好です』
「わたくし、航空長の角倉と申します。五分でそちらに着きます。機長の和久に代わります」
『了解です』
『機長の和久です。こちらの現在地は――』
◇
護衛艦つるみは現在、巡航速力(時速22キロ)にて航行中である。幸い波は高くなく、風も気になるほどではない。
艦内では海上保安庁のヘリコプターを迎え入れるための準備が進んでいた。
「艦長。後五分で到着です」
「うむ。あれか……確認した。半速に落とせ」
「半速!」
「はんそーく」
護衛艦への着艦に慣れない海上保安庁のヘリコプターに、艦長の屋島は艦の減速を指示した。半速は9ノット、時速はおよそ16キロだ。それ以上は落とせない。
巡視船かみしまの船長松平からは、職員の退避が完了したら石垣海上保安部へ寄港してくれと言われている。今回の件は、海上保安庁でことを収めると言うのだ。
言われればそうであろう。海上警備行動も防衛出動も発令されていない中、自衛隊が対処することはない。人道的支援しかできないのだ。
「艦長、高速艇の接舷予定は二十分後です」
「分かった。それまで半速を維持。全員乗艦が確認されたら速力維持したまま訓練予定海域まで航行。その後、待機」
「艦長、それは」
ヘリコプターの着艦が終わったら、高速艇やエアーボートがやってくる。彼らを保護したのち、艦長の屋島はもともと予定していた訓練海域で巡視船かみしまを待つつもりなのだ。
「鹿島、お前ならわかるだろう。司令には私から説明する。君は我々にできることを考えるんだ」
「はい」
ただの通りすがりの艦ではない。同じ日本の海を守る艦なのだ。与えられた権限は最大限に使うべきである。それはときに、法律からはみ出すことになろうとも。
鹿島は三年前のことを思い出しながら、海上保安庁ヘリコプターうおたかの着艦を見守った。
「うおたかさん。当方、9ノットで航行中。左舷より進入願います」
『了解しました。9ノット、左舷より進入します』
機長の和久が、航行中の船に着陸することは初めてではない。海上保安庁の巡視船では幾度となく経験している。式典では総理大臣を乗せて、降りたこともあるのだ。むしろ今回は楽な方である。護衛艦の甲板は巡視船よりも広い。滑り止めもあるし、何の不安もない。
うおたかは護衛艦つるみの左舷側に並び、同じ速度で飛行をした。右手に見えるつるみの甲板員の旗を見つめながら。
合図と共に、うおたかはゆっくりと甲板上の停止位置へと移動した。
甲板員の旗が振られ、少しずつ降下を開始。ここが緊張する。海からの風、プロペラが巻き起こす風が混ざり機体が横に揺れ始めた。
(大丈夫だ。このくらいなら問題ない)
じわじわと機体を下げる。
甲板員の両腕が下に下がった。
―― 着艦
うおたかのタイヤが護衛艦つるみに見事着地した。
サスペンションがきいた大型ヘリコプターは、その時の衝撃はほとんど感じさせない。
「着艦、完了。ステップ出して。乗員は海自さんの指示に忠実に従うように」
機長が機内アナウンスをした時、一人の幹部職員が尋ねた。
「和久さん。あんたら、やっぱり戻るのかい」
「はい」
「そうか……船長たちを頼む」
十五名の先発隊が護衛艦つるみに退避した。それを確認した海上自衛隊の甲板員がうおたかを固定しようと作業にはいる。それを見た和久はマイクをオンにした。
「すぐに飛びます。申し訳ない、誘導をお願いします」
「えっ! 戻られるのですか。しょ、少々お待ちいただけますかー」
甲板員は指示が入るまで、作業を止めた。迎え入れる海自幹部は大慌てだ。
「副長! うおたかが戻るそうですが! どうしますか!」
「なに、それは本当か……。艦長」
鹿島が振り向くと、艦長の屋島は黙ってうなずいた。
(行かせてやれと⁉︎)
鹿島は艦橋からうおたかを見た。機長と目があった気がした。俺たちは仲間を見捨てない。あなたならその気持ちが分かるはずだ。そう訴えられた気がした。
彼は鹿島の発艦許可を待っている。
「発艦を許可する!」
海上保安庁ヘリコプターうおたかは、再び大海原へ飛び立って行った。
(生きて戻れよ!)
◇
その頃、巡視船かみしまはメインエンジンに火が灯ったばかりであった。
「船長、機関長の佐々木さんからです。かみしまはいつでも動けるとのこと。錨、あげますか」
「伊佐くんはどうなった。歌川くんの報告は?」
「それがなにを言っているのかさっぱりでして……」
「歌川くんを呼んでくれ」
「はい」
船長の松平は伊佐が何かをしていることは分かっている。佐々木が巡視船かみしまのエンジンに火を入れたこと、人造人間を海の底に沈めてやるだのと言い放ち、歌川に無線を押し付けたこと。
船長の許可も待てないほど、状況は良くないということだろうと想像した。
食堂で大捕物を行っていた、かみしま特警隊A班からは人造人間を外に出してしまったという報告以降、通信が途絶えたままだった。
(まったく海の男は困ったもんだね。個性が強すぎる……)
そんなことを考えているとき、船橋のドアが開いた。
「お呼びでしょうか、船長」
「船長。申し訳ありません」
歌川と、かみしま特警隊隊長の平良が入ってきた。歌川はいつもと何ら変わらない表情だが、平良に至ってはがっくりと肩を落とした状態だった。
「二人とも無事でなによりです。さて、お呼びだてしたのは他にありません。人造人間はどこに」
「それが……」
「咎めはしません。正直にお話しください」
船長の落ち着きすぎた態度に、歌川も平良も恐怖を覚えた。下手なごまかしは効きそうにない。
歌川は眼鏡のふちを一度触れ、船長にこう言った。
「人造人間を海底に沈めるため、伊佐監理官がおとりとなって飛び込みました」
「一人で、ですか?」
船長のその問いかけに、平良は頭を下げた。
「申し訳ありません! 我々、特警隊がおりながら全く歯が立ちませんでした」
平良は項垂れた。軽症ではあるが隊員に怪我人を出してしまった。それだけでなく、船長補佐である伊佐が全てを引き受けてしまったからだ。
「平良隊長。あれと対等に戦える者はいません。よく生きていてくれました。ありがとう」
「船長っ」
「彼らの位置の特定に全力を尽くしてください」
「「はい!」」
船長は無線を取り、機関室にコンタクトをとる。エンジンの異常がないことを確認した。
「総員に告ぐ! 錨をあげーい」
「錨をあげーい」
「全ての装備を使う! 単装砲、機関砲の準備。あれはロボットだ。どこかの国が起こしたテロリズムだ。戦闘準備よーい!」
歌川も平良も耳を疑った。
この海上保安庁巡視船で、戦闘態勢などあり得ないからだ。いや、もしかしたらあるのかもしれない。
「全員、防弾ベストを着用しろ」
「はい」
「みんな覚悟を決めてくれ。海上保安官生命にかけて、アレを討つ」
最小人員で運航する巡視船かみしまは、今まさに戦いの準備に入ったのだ。
(うわぁ、まずいって。まずい、まずい! 伊佐さん、早く上がってきてくださいよー)
このままでは伊佐まで戦闘に巻き込まれてしまう。歌川は人生で最大に焦っていた。
◇
その頃、レナはずっと海面を見ていた。
伊佐が潜った水域の僅かな変化も逃すまいと、双眼鏡を離さない。
(伊佐さん、早く上がってきて! お願い、早く)
見つめる先の海面が、大きく膨らんだ。何かが爆発したような妙な波の動きだ。以前、研修で見たことのある機雷爆破に似ていた。
そのあとしばらくして、ぽかんと何かが浮かび上がる。波に押されてぷかぷか流れる。
「あれは‼︎」
海上保安庁という文字が確かに見えた。レナの体温が急激に下がる。
「エアーボンベ! まさか、伊佐さん!」
レナは震える指先で、インカムでコンタクトを試みた。違っていて欲しい、でも、それ以外考えられない。
「こちら我如古レナ! エアーポンプが浮いています! 付近に人影なし! 伊佐さんがっ、伊佐さんが!」
「我如古さん、すぐに行きます。我如古さん? 我如古さん!」
レナの耳からインカムは外れていた。
レナは海面を見ている。
―― 伊佐さんを、助けなきゃ!
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