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第4話 エメルトン夫人の反論
しおりを挟むエメルトン夫人は無意味とも思える、長ったらしい自慢話を延々と聞かされて、このまま『はい、そうですか、あなたの仰るとおりですね』などと素直に負けを認めて、すごすごと退散するわけにはいかないのだった。周囲に集まっている、他の乗客たちも、いったいどちらの論説が勝るのかと、いまや固唾を飲んで、この議論の成り行きを見守っていた。彼らのほとんどは実のところ、コウロギやバッタ程度の存在である。ただ、低確率ではあるが、この周囲には、ロンドンでの集う会の審判団の一員も含まれているかもしれない。後で勝者の旗を上げる役目を担う方々が、もし聞き耳を立てていたら、これは大変なことだ。この言い争いを、一般人から眺めれば、馬鹿馬鹿しい光景だろう。だが、この不毛とも思える論争で勝利した者が、後に行われる、ロンドンでの集う会にて主導権を握ることは明白に思えた。エメルトン夫人はその思考回路の中で、ここで一歩引いてしまっては、ロンドンの舞台において、最高の栄誉に輝くことは難しいとさえ思われた。彼女はそこで、この眼前の無礼な二人に対して、これ以上の激しい反論を展開することが、周囲に集まった人々に必要以上の悪い印象を与え、ひいては自分の名誉に傷をつけることになるかもしれない、という杞憂を承知の上で、自身の面子を保つために、致し方なく反論に出ることにした。この状況で猫の爪で引っかかれたネズミのように後ろに引くことは、自身の熱い感情が決して許さなかったからだ。
「おっしゃることは、とても良くわかりましたわ。でも、なんですって? ロマンと仰いましたか? あなたのような、よぼよぼとしたみすぼらしい、何の飾り気もない老年の方から、そんな言葉を聞かされるとは思いませんでしたわ。何か、ご自分の思い出だけを都合よく美化されて、私の人生はご都合主義で美しさが足りないとか、大舞台で発表するエピソードとしては単純すぎるとか、結論としては、そんなお話だったようですけど、運の強弱というものと、あなたの言われるロマンとは、そもそも何の関わりもありませんからね。あなただって、長年の間、ずっと思い慕い続けてきた珍しい蝶とようやく巡り合われて、心が抑えきれないほど動揺してしまい、蝶のあまりの美しさのために易々とは手出しが出来なかった、あるいは心のタガが緩んで、つい見逃してしまった、とでも言うのであれば、その体験に少しのロマンスも美徳とやらも感じるのですが、結局のところ、金銭に目が眩んで、その蝶をそのまま標本にしてしまったというのですからね。これには呆れてものが言えませんわ。ご自分の長い人生を浪費してまで、ようやく出会えた存在を天使のような蝶とまでうたっておきながら、結局のところは、道の先にこれ見よがしにばら撒かれた大金へと、あわてて群がる俗物と同様に、その蝶の遺体をご自分の立身出世のために使われてしまったんですからね。あなたの話には何の宗教的美徳も感じませんわ。あなたは今のつまらない話をロンドンの会場においても、したり顔で発表して、集まった観衆の注意を引きたいようですけど、そんな不毛なる話は世間に溢れていますからね。ロンドンには一流の制作スタッフが集う劇場も映画館も無数にあるんです。劇作家だって一流から三流四流、果てはアマチュアまで、雲霞のごとく揃っていますわ。アメリカならともかく、欧州の民衆はその手の底浅い話に、もううんざりしていますからね。誰も泣いてくれませんし、手を叩いてもくれませんよ」
「なんだと! あんたは、この私がやっと体験できた、一夜のロマンスを侮辱するつもりか!」
老医師はもはや我慢ならぬと、元々赤い顔をさらに真っ赤にして、その身を前に乗り出した。このままでは、会場に着く前につかみ合いの喧嘩が始まりかねないと、周囲の関係のない人間までもが慌てて止めに入ろうとした。エメルトン婦人はまだ言い足りぬという風に、落ち着いた態度で話を続けた。
「ええ、その通りですわ。あんな子供だましによって、世界から集められた強運者の頂点にまで立とう、などとは考えが甘すぎるんですよ。まあ、お聞きなさい。学生でも用意できそうな、その程度の美談でも良いのであれば、私だって言いたいことが山ほどあります。あなた方は先ほど、私の素性を述べる際に、これまでの人生において、宝くじを二回当てただけの女と評価しましたけれど、それだけでは私の半生を残らず語ったことにはならないんですよ。何しろ、私は一度目に宝くじを当てた後で、もっと正確に言えば、二度目に宝くじを当てる直前に、長いこと連れ添ってきた夫と離縁しておりますのでね」
「だから、それは知っていますよ。あなたは宝くじで得た財産を独り占めしようと目論んで、可哀想な旦那さんを飼っていた家畜と一緒に荒野に放り出して、そのまま見捨てたんでしょう?」
ここで、トンボイ青年がすかさず口を挟んできた。夫人も彼の方に挑発的なそれでいて気品のある尖った視線を向けて小さく頷いた。
「ええ、そうですわ、その通りですわ。それでいいことにしましょう。確かに、私は宝くじをもう一度当てる前に、夫を見捨てました。長いこと続いた、彼との夫婦生活を終わりにしました。食卓を囲むごとに口から飛び出してくる、きわめて説教くさい夫の言い分に、いい加減うんざりしたということもありますけど、本当のところは、自分がこの先に得るであろう、途方もない大金に、そして、自分の幸運が否応なく吸い寄せてしまうであろう未来の財産に目が眩んでしまったのです」
「よく、しゃあしゃあと言えるな。あんたは鬼畜だよ!」
プジョル医師は黄泉に巣くう餓鬼のような形相になって、そう叫んだ。しかし、夫人は一向に構わずに自分の話を続けた。
「確かに、あなた方のような俗物からすれば、私の率直なやり方は非情にも見えるかもしれませんわね。しかし、このことが、二度目の大当たりの前に自分の夫をすでに捨てていたという事実が、私の生まれ持った強運を何にも増して証明してくれるのですからね。さて、ある一般階級の名もない夫人が宝くじを当てて、夫と財産を二分しました。さあ、あなた方ならこの後どうなされます? 夫と未来永劫一緒に暮らしていくか、私のように夫をあっさりと見捨てて、この先は我が身一つで歩んでいくか。あなた方二人を含めて、ほとんどの人間は前者を選ぶでしょうね。安定と保証、これこそが、あなた方俗物が判断に迷った際に最初に判断材料にされることです。生涯を左右できる大金が目の前に転がっているときに、安定を選択ですって? けっ! 冗談じゃありません。私のような選ばれし者なら、迷わず配偶者と離れて、一人きりで生きていくことを選択するでしょうよ。だって、ああ……、このことが、この一因が何より重要なのですが、未来においても、自分は再び圧倒的な財産を得る自信があるから、夫との安定した生活などは、もういらないと判断したこのことが、私を世界一の強運者と証明してくれる、もっとも有力な証拠の一つなのですからね。
そうです! あなた方の言われる通り、私は宝くじを再度当てる前に、夫を冷酷に見捨てました。世の果てに捨てて参りました。では、それは何故なのか? 自分がもう一度宝くじを当てるということが、再び大金を得て脚光を浴びるということが、すでにわかっていたからです。己の強運を無知な大衆に説明するにあたって、これほど説得力のある発言がありますかしら。自分がこれからの長い道のりを独りで生きていかねばならないという孤独感を、あるいは、どんな手厳しい逆境に遭っても、すべての苦難を自分一人の能力で解決していかねばならない、という巨大なリスクを跳ね除けて、ものの見事に二度目の栄冠を手にしたんですからね。私がロンドンの大舞台において、観衆の前で再びこのStory を紹介すれば、先ほどあなたからお聴きした、珍妙な蝶を捕まえただの、しばらく、見とれていただのという、汗臭い、うじうじとした思い出など、聴衆の記憶からは吹き飛んでしまうに決まってますわ」
エメルトン夫人は老医師の両眼の狭間を鋭く指差して、勝ち誇ったようにそう言い放った。プジョル医師はといえば、満座で恥をかかされたわけだが、これ以上の反論はやめて、発言を避けて、夫人からその顔を背けた。議論に競り負けたわけではなくて、あなたとは議論のそりが合わないと、そう周囲に訴えたいようだった。しかし、この室内にいる、もう一人の反乱分子である、トンボイ青年は、それでも一歩も引くことなく、さらに、強運にまつわるこの議論を広く展開させていくことになる。
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