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巨象に刃向かう者たち 第五話
しおりを挟む「しかしですね、どこかの裏組織に見咎めらて邪魔されたり、警察署のご厄介になる等、ことが悪い方向に決着した場合、または、依頼主のその後の行方が分からなくなった場合、こちらが大変な負債と身の危険を抱える可能性があります。ある程度の情報は身の安全の担保としてご提供ください」
丁寧にそう説明したつもりだったが、当然、嫌な顔をされた。自分たちのプライベートをほとんど晒さなくとも、こちらに厄介な仕事を押しつけられると、思い込んでここまで来たらしい。それに私の身の安全にも、そこまでの配慮を配っていないらしい。やはり、こいつらは多少の図太さは持ち合わせている。何十億ドルも持ち合わせていても、デパートの安手のチョッキを値切ろうとする老紳士もいるらしい。社会の闇はまこと深い。資産の使うべきところをきちんとわきまえていると表現すべきなのか。
「私と君はまだそれほどの仲じゃない。こちらから提示できる情報には限度がある。うちの組織はな、率直にいえば、政府筋やマフィアの深層にも通じてしまっている。君のような社会の末端の男にまで、その繋がりをはっきりと示せというのか? 私の存在を必要以上に大きく感じたりはしないか? 鬼や閻魔にも見えてくるだろう? 君はいつバラされてもおかしくはないガラクタのようなものだ。その辺りをもう少し慮ってくれよ。街角の隅の薄汚い靴磨きだって、対話くらい仕掛けてくるだろうが、もう少しは遠慮をするもんだぞ。こういうとき、君たちは『はい、承知しました。どんなことでも行います』と答え続けて、長生きの人生を拾えばいい。百億円の財産を作ることが人生の目的である人もいれば、ただ漠然と五十年を生きられるだけで、それを奇跡と呼ばなくてはならない人もいる。『人生五十年』と定義してみても、アリの五十年と英雄の五十年では、その重みはまるで違う。オリンピックの男子百メートルで世界記録を出した英雄とそれをスタジアムの末席から見物していただけの客とでは、確かに同じ時間と空間を共有していたわけだが、その価値はまるで違うはずだ」
「しかし、アリの小さな声援が英雄のタイムをコンマ一秒でも縮めることはあり得ます」
「バカなことを言っちゃいかん。そんなことはあり得んよ。英雄のタイムは才能と努力のみが作り出すものだ」
「この人は沢山のシロアリと同居しているから、きっと、そう思えるのですよ」また、ふたりで声を揃えて笑い出した。ここまでされると、真っ当な客とは思えなくなる。いくら生活費のためとはいえ、真面目に応待しろという方が無理というものだ。
「しかしですね、もう少しよく考えてみてください。あなたの申し出の中に、もし、欺瞞や危険な要素が含まれていた場合、こちらがその申し出に嫌な香りを感じ取って断った瞬間に、そちらの懐から真っ黒な拳銃がこちらの内臓に向けられることになるかもしれないんです。私には身を守る術がない。そちらにとって、私は取るに足りないもの、どぶ鼠のようなもの。ちょっと、気に喰わなければ、いつでも地獄送りにできます。しかし、命は命なのです」
「どぶ鼠ですって……、今度はつまらない寸劇で泣かせようって腹なの? 賃金交渉だけはいっちょ前に仕掛けてくるくせに……」金髪美女の嘲りの声がまた届いてきた。どうやら、この企業の幹部連中の間では、彼女だけがこの仕事を私に一任することにかなりの不満があるらしい。美しい女性は外見の身で男の性質を値踏みする。私は今頃、最低の評価を下されているのだろう。それにしても、老紳士とこの金髪美女の意図が異なっているのはどこか不自然に感じる。
「おいおい、ずいぶんと信用がないじゃないか。私が只者じゃないことくらいは分かっているんだろう? なら、それでいいじゃないか。今、不利な立場にいるのは君の方だろ? 水道もガスも止められているそうじゃないか。これが、どんな嫌な仕事だろうと、引き受ける以外にないだろうが……。君の返事がどちらに転ぼうと、こちらには不都合があるわけではない。代わりはいくらでもいる……。この先で何が起ころうが、困るのは常にそっちなんだ」老人はにやにやと笑いながら、優位に話を進めている。
「まずは、こちらの質問に答えて頂きたい。いずれかのベンチャー企業の役員のような風貌に見えるのですが……」
「それは外見だけで判断しているのかね?」
「いいえ、そういったきつい物の言い方も含めてです」
「一応否定はしておくが、もし、そうだとしたら、こちらとしては余計に名乗ることはできないと……、論理的に考えるとそうはならんかね? 私の詳しい素性を知る者はこの世界で五本の指で数えられる程度なんだからね。君がもし、私の立場ならどうする? ここでべらべらと素性を喋ってしまうのかね? それでは今は良くとも、いずれ、どの組織からの信用も失うことになる……」
「分かりました。そちらの情報は現状のままで結構です。ご依頼の詳細をお話しください」
老人は額に手を当てたまま、少しの間考え込んでいた。そして、少しだるそうな素振りで、テーブルの上に置かれているペリカンを模した置時計を指さした。現時刻を確認したように見える。その上で、彼はひとつの条件を提示してきた。
「ここからが本題になるが、こちらとしてはこの仕事の完遂を急いでいる。期限は今夜の午後八時ということにしないか? それを過ぎたら、たとえ解決したとしても報酬は半分だ」
「そんなに厳しい制限時間を? いったい、その男がいるとあなた方にどんな迷惑がかかるというのですか?」
「花火大会ができなくなるのよ!」
「なに、花火ですって? 花火の集まりのために人を追い出そうっていうのですか?」
「そうよ、今晩、スラムの一角の広場で派手なコンサートを企画しているの。そのエンディングテーマに派手な花火を数百発打ち上げるの。ところが、きちんと地上げをしてきたつもりが、広場の隅にぼろアパートが一件だけ残ってて……」
その後を老人が引き継いで自分の都合を語り始めた。
「一応、申し述べておくが、君のところにたどり着くまでに、すでに三名の便利屋がこの一件で素寒貧にされて、転がされている。今夜の敵を、あまり甘く見ない方が身のためだ。結果が少しでも気に喰わなければ一文も金は出さん。使い物にならん人間に支払う金はないからな。その見苦しいお仲間に入りたくはなかろう? どうだ、この条件でやってくれるかね?」
「追い出しに成功するのは当然として、時間も厳守ということですね?」
「そうだ、午後八時ちょうどに件のアパートをブルドーザーでぶっ潰すことになる。もし、それが、説得の最中であったら、君も一緒に踏みつぶされる」
「こちらが説得に赴きまして、まったく、取り付く島もなかった場合はどうなさるおつもりですか?」
「うちのボスは相当に苛立っている……。そいつの脳天に鉛の弾でも撃ち込みかねないな。君の遺体もその横に並ぶことになるがね……」
「そこまでムキになる理由が分かりませんね。一軒くらいアパートが残ったって、まあ、夜空は少し狭くなるんでしょうが、それでも構わずに、花火大会は開催しちまえばいいじゃないですか」
「これは、そんなに単純な問題じゃない。向こうは貧民の分際で刃向かってきている。喧嘩を売られているのはこちらなんだ……」
「感情的な問題も含んでいるということですか?」
「まあ、そういうことだな。依頼金は200ドルでお願いしたい。君のような人間にとっては、破格の金額だと思う」
「200ドルですと、標的がどのような性格の人物であれ、必要最低限の説得しか出来かねます。その場合、想定以上に口が上手い相手の場合、うち漏らすことも十分に考えられますが、それでも、よろしいでしょうか」
「想定以上に口が上手いだと……、君のようなピエロが他にいるのかね? まあ、今回の依頼に限ってはそういう相手かもしれんな。ただの文無しのバカかと思っていたが、意外に取り引き上手なんだね。では、時間通りに仕事を終えたら400ドルまでは出そうじゃないか。どんな事態が生じても、この案件は成功させたいからな。それでも、断るというなら、この案件はCIAにでも持ち込もう。君の存在は用なしになってしまうが、一文無しでもやっていけるのかね?」
「わかりました。そこまで仰るのでしたら、こちらもプロです。お引き受けいたします」
「その言葉を聴けて安心したよ。君はただの理屈っぽい男じゃなく、やればできる男だと思っていた」
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