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思いつき犯罪の極み 第二話

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「自分を除くほとんどの人間は法をろくに学ばず、何らかのルールを常に破り、町の風紀を公然と踏みにじっている」という私の主張は言わずもがなだが、理解しやすいがために、反論も作りやすく、かえって多くの人の反感を買うことになるのだろう。彼らの脳には、少しでも癪にさわることを言われ、痛いところを突かれると、瞬時に反撃する地対空ミサイルのようなロジックが組み込まれており、非常に単純なプログラムで動いている。

「貴方の仰っていることを聞いていますと、この世の3分の1ほどの人間は、常に何らかの軽犯罪に手を染めていることになりますわね。この際、私だけじゃなくて、その全員に対して、そのご批判をぶつけてくださいませんか?」

 夜中の三時頃までラジオを大音量で鳴らすことで知られ、機嫌が悪ければ、出勤途中に自宅の前で騒がしく遊ぶ子供が目につけば、ストレス任せに思いっきり引っ叩いていく、この暗黒社会のお手本のようなご婦人は、臆面もなく、そういう反撃に出てくるのである。あるいは、この世界のすべての情景を、さかさまに眺めてみたかのような、このような意見も飛び出してくる。

「酔っぱらいが車掌にいちゃもんをつけて電車を遅らせるとか、電車マニアが車両の写真を正面から撮るために線路内に無断で立ち入るとか、急いでいるときにやむなく信号無視をして道路に飛び出すとか、ニュースを見て軽い衝動に駆られ、被害者宅に冷やかしのFAXを送るとか、それらは確かに悪質な行為とみることもできるだろう。だから、刑法に問おうと思えば、問えるのだろうが、逆にこうは考えられないだろうか。地球上のほとんどの人間の手に、犯罪の垢がこびり付いているとするなら、それはつまり、人間という生き物の内部に、元々犯罪と隣り合わせに生きざるを得ない、呪われた遺伝子が埋め込まれていて、君や僕もいつかどこかで、そのような犯罪に加わるのかもしれないということなのさ」

 このような、まるで意味不明の主張が繰り出されても、きちんと吟味しなければ反論を組みにくいところが、こちらの泣きどころである。他人には理解しがたい理屈や批判を並べて、議論を振り出しに戻すような極論、あとは事前に考えられていた揚げ足取り。ワイドショーや深夜に放送されている、安い芸能人がわんさか出演するような討論番組。これらの番組の存在目的は、視聴者の知性向上のためなどではなく、放送枠がどうしても埋まらなかったときのための、ただの時間稼ぎである。こういった欺瞞を正当化していくようなテクニックを考えることに、そのあり余る知性を使えるのであれば、市民社会がより良くなる方向にこそ、その貴重な時間を割いて頂きたいものである。「誰でも軽犯罪を犯す可能性があるから全員が無罪」と反論して来るのであれば、こちらとしては、今の社会がそういう状況だからこそ困っている、と最初から主張しているわけなのだ。

 以上の理論が、周囲の住民からすれば、素性も知れない独身中年である私が、実際には市民のお手本となり得る善人であることの説明となる。彼らは戸惑うだろうが、これは打ち消しようもない。先に説明した通り、私は純朴で正直な人間ではあるが、その思考の多くは周辺住民への不平不満で満ち満ちている。これらはほとんど呪いや呪縛と表現してもよいくらいだ。最近になって、体力づくりとダイエットを兼ねて、土日は必ず散歩に出ることを決めて実践しているのだが、その歩いている間、本来は周囲の景色を楽しんだり、いかに早い時間で回れるかということに神経を集中したいはずなのだが、実際には、悪しき余計な妄想に捉われてしまうことの方が多い。心の清く美しいはずの自分が、地元住民の方々の悪行をこの目にして、不本意ながら、自分まで感情を昂らせてしまい、他人を畜生道に貶め、自己批判にまで至り、理屈と屁理屈の悪循環にまで陥っているのである。

 私が気に入っているこの散歩道は、一車線のそれほど広い通りではないが、幹線道路であり、この先は競馬場や産業道路へと繋がっていく。そのため、車通りは非常に多い。ただ、その脇を走る狭い歩道を進んでいくと、付近には小物屋、鍵屋、時計修理業、漬物屋、自転車屋など、付近の住民を相手にする便利屋が軒を連ねながらも、平日にせよ土日祭日にせよ、駅前の商店街と比較すれば、人通りはかなり少ないといえる。私は他人の視線に敏感な方であるから、人目を気にせず、ゆったりと散歩をするには絶好の歩道である。幅が狭いことは唯一の欠点といえる。他人とすれ違うことがほとんどないので、さして気にはならない。後ろの席に子どもを乗せた主婦や近所の悪ガキの集団が何やら騒ぎ立てながら、自転車で行き過ぎることも、それほど多くはない。誰も訪れない神社、小さな公園でラジオ体操をする老人たち、のどかな光景が広がり、散歩のために往復するには絶好といえた。

 ふたりがすれ違うのも窮屈な細い歩道を、二分も進まぬうちに立派な木製の門扉の屋敷が見えてくる。この付近には新卒者向けの安価な賃貸マンションやアパートなどは次々と建築されているが、これほどの立派で印象に残る住居は他にない。私は前々からこの豪勢な邸宅の素性が気になっていた。その巨大な邸宅をすっぽりと石造りの壁が取り囲み、歩道からでは、屋敷の上半分しか見ることはできなくなっている。濃緑の鬼瓦の屋根と太い松の木の枝葉だけはここからでも確認できる。すなわち、その邸宅の内部がどのような様式になっているかを、この位置から覗き見ることは、ほぼできない。家主の趣味でこのような外観にしているのかもしれないが、論理的に考えていくと、このような守りの堅い邸宅には、それなりの財産が隠されているものである。他人に盗られるものが何もなければ、他人が覗き見たい物が何もなければ、大して見るものもない土地の上に、このような大地主の邸宅をわざわざ建てることは賢明とはいえない。ただ、その家が江戸の昔から連綿と続く由緒ある家柄なのか、皇族の血を微かに繋ぎながらもこの地に身を潜める、奥ゆかしい一族なのか、それとも、近年になって財を成したただの株成金なのかは、付近に住む庶民の我々にはいっさい分からないわけだ。古くからこの地に住む人々には、その誉れ高い伝説が密かに伝えられていることもあるし、彼らがなぜそのような資産を持つに至ったのかを、周辺に住む誰もが知らないこともあるし、何代も前からの豊かな遺産を継いでいるはずの本人たちすら、自分らの出目をよく知らないで贅沢な生活を続けていることもある。

 不摂生により、腰痛とひざの関節痛を併発した私が、土日祭日にこの付近を散策するようになって丸二年ほどが経つ。次第に、町のあちこちを散策することは、住民の生態を観察することへと変わってきた。どのような種の人々がこの付近に住まっているのかが、徐々に分かってきて興味深い部分も多い。ただ、この大きな門構えの屋敷から、貴族のような立派な風袋の人々が出てくるところ、あるいは、それらしき雰囲気の乗用車が出入りするところ、あるいは、この立派な門扉の前で、ここの居住者が付近の知人らと立ち話をするところなどを、一切見たことがない。停めるスペースは一台分しかないが、黒光りする鉄柵の付いたガレージの中には、真っ黒な外車が駐車しており、これも誰かに洗車されたり、運転されているところを見たことはない。人の出入りのあまりない大邸宅があっても、こちらは一向に構わない。貴重な土地を無駄に使っているとか、税金はきちんと払われているのかと、いちゃもんをつけるつもりも、さらさらない。ただ、資産家というのは、常に衆目を集めるものだ。

 私はガレージに近寄り、なるべく触れないようにして、名も知らぬその高級車を凝視した。表面に砂ぼこりもついていなければ、タイヤに泥も付いていない。乗りこなされてはいないが、定期的にクリーニングされていることは明白だ。ただ、しばらくの間、誰にも運転されていないような印象は受ける。まるで、外国車デューラーでの飾り物のようだ。石の壁の向こうにその姿を覗かせる、十数本が横並びする立派な松の木も、枝葉の先の細かい部分まで、きちんと刈り取られている。つまり、ひと気は感じられないが、この屋敷は決して空き家ではなく、間違いなく人が住んでいるように思えるのだ。何らかの理由で遠出をせざるを得なくなり、長期間家を空けて出ているか、あるいは、外出を厳しく制限させられて引きこもって暮らしている可能性があった。もしくは、この邸宅の住人には寝たきり状態の老人しかいないために、ちょっとした外出すらままならない可能性だってある。私は後者の可能性が高いと見ていた。なぜなら、この住居の屋根瓦や、見える限りの庭の配置、全体の造りは非常に旧式のもので、おそらく、千九百六十年代頃に建てられた可能性が高い。その場合、二十五歳頃に結婚された夫婦が、大手の建設業者に依頼してこれを設計させたにしても、現在ではもう八十代。仮に子どもたちがいたとしても、今はすでに五十代半ばか、もっと上の世代であり、すでに独立して、長いこと家を出ている可能性の方が高いと思われる。風呂敷に包まれた大きなお土産を抱えて、この家を訪ねてくる人間や、住民の姿を、今の今まで一度も目撃したことがないからだ。

 私は急に不安になってきた。彼ら家族が生涯かけて貯めてきたであろう大変な額の資産を、人の弱みにかこつけて奪い取ろうとする悪者たちからすれば、この邸宅は格好の標的となり得るからだ。いや、周囲の住民との交流がほとんどないとすれば、警備員すらおかれていないこの家は、今現在、すでに何らかの被害にあっている可能性が高かった。地元に住む我々がその凶行に気づかなかっただけなのだ。この日この時間、この家は今まさに強盗の被害に遭ってしまっているところなのかも……。この先は考えたくもない最悪のケースだが、自宅の中が執拗に踏みにじられ、散々に荒らされていたり、居間や廊下に血まみれの老夫婦の惨殺された遺体が転がっていることさえ考えられるわけだ。邸宅の外観は整然としているが、中の様子を垣間見ることができない以上、どんな恐るべき事態が、この大邸宅の内部において、すでに起こされているかを、ここから伺い知ることはできないのである。つまり、自分の命を賭けてまで、勇気を振り絞り、この邸内の捜索に乗り出す等、何らかの賢明な手段をとるならば、それはまさに今である。人命救助に乗り出すか否かは、自分ひとりで今すぐに判断しなければならない。この冷酷な現実に、私はしばし慄然とするしかなかった。
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