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Ⅲ 覚醒するなりそこない令嬢

第49話 天使のなりそこないじゃなかった娘

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 セラヒムらが応接間ドローイングルームに通されたところで、オレリアン伯爵、ビアンカ、夫人に加えて、つい先刻、連れ戻すことに成功したミリオンが連れて来られた。

 頭に緑色のスカーフをぐるぐると巻いたミリオンは、困惑も顕な表情で、心のうちを見せない笑みを張り付けるセラヒムに不安げな視線を向ける。

 彼女の困惑などまるで気にも留めない様子で、セラヒムは唐突に話を始めた。

「困ったことになったよねぇ? ね、ミリオン。私のために魔法を使って見せてくれないかな? けどおかしなことを考えてはいけないよ。君が世話になっていた店は何と言ったかな。そうそう―――……だとか」

 ゆっくりと口の形だけで「コ・ゼ・ル・ト」と告げて見せる。口角を引き上げ、弧を描いた目の形を作りながらも、全く感情が伴っていないセラヒムの顔は、美しくはあるが不気味さしか感じとれない。だからミリオンは、自分の返答次第で、助けてくれた人たちに、何か良くない脅威が降り掛かるだろうと確信する。

「逃げませんよ。ですからおかしなことは止めてくださいね」

 考えは分かっているから、大切な人たちに何もしないでと、強い思いを込めてじっと視線を合わせる。けれどもセラヒムは、さもミリオンが被害妄想に満ちた馬鹿げたことを言っているとばかりに肩を竦めてみせた。

「私は何も言っていないよ? ただ、ミリオンがお世話になった平民達の『名前』を知っていると言っただけだからね」

 あくまでも、後ろ暗いところはないと笑顔を崩さない。そんな探り会いじみたミリオンとセラヒムの遣り取りに、焦れたビアンカが怒りで顔を歪めて、2人の間に割って入る。

「ちょっと、ミリオン! あなた、しばらく会わないうちに随分と生意気な口を利くようになったんじゃないの!? セラヒム様に失礼よ!! それに何よこんな布切れなんて被っちゃって、それで醜い容姿を隠そうとでもしているの!?」

 そして、嫌がらせをしようとしたのだろう、力任せにミリオンが頭に巻いたスカーフを引き剥がした。

「なっ……!」

 絶句したビアンカに遅れて、ミリオンの姿を捉えた者たちが次々と息をのむ。

 緑色のスカーフに隠れていたのは、ほんの数か月前の彼女からは想像もつかないほど、豊かで、艶やかな銀黒に輝く髪だった。

 ――その姿は大聖堂ドゥオモの壁画などで伝えられる、安寧をもたらす黒い翼の「黒天こくてん」そのもので――居合わせた者たちは、その稀有なる美しさに心奪われ、知らず、目を見張った。

「あぁ……ミリオン。君は本当に美しくなったね。すっかり見違えたよ」

 蕩ける様な甘い笑みを向けて来るセラヒムとは対照的に、ビアンカは、青褪めてわなわなと震えている。

「オレリアン伯爵、君の見る目の無さには呆れてしまうよ。まさか最後の最後でこんな間違いを犯すなんてね」
「申し訳ございません。しかしながら、私の代でここまでの完成度を揃えられたのは望外の喜びです。どうぞ、お役立てください」

 セラヒムと、オレリアン伯爵の間で交わされる不穏な取引が、自分たちを指すと気付いたミリオンは、気遣わし気にビアンカを見遣り、夫人へも視線を向ける。

(この2人も、わたしと同じく被害者なのね。かわいそうに)

 じっと見詰める視線に気付いたビアンカが、ミリオンを鋭く睨み付けて来る。

「あんたさえ居なければっ……生まれてこなければ、私は天使で、伯爵家跡取りで、セラヒム様の婚約者になって、彼に愛されていたのに!!!」

 視線で呪い殺そうとするような激しい憎しみをぶつけられて、ミリオンは思わず全身を竦ませ、驚きも露に見開いた瞳でビアンカを見詰める。その様子に気付いたセラヒムが、苦笑しつつ、ゆっくりとビアンカに近付く。

「おや、ビアンカ。良くないね。大切な黒天を傷つけられては堪らないな。君には少し躾が必要だね」
「――え」

 微かに、セラヒムが片手を振った。

 たったそれだけの動きで、良く躾けられた公爵家の兵士たちは為すべきことを速やかに実行した。


 問う言葉を発したのはビアンカだったけれど、互いが10歩と離れていない室内で、誰もが目の前で起こった出来事を正確に把握できなかったのではないだろうか―――少なくとも、オレリアン家の面々は。

「ビアンカッ!!!」

 叫ぶなり、胸を朱に染めて崩れ落ちた彼女に駆け寄ったのはオレリアン夫人だった。
 たった今、ビアンカの胸から引き抜いた剣をそのまま無造作に夫人に向けた兵士に、セラヒムは笑顔で制止の合図を送る。

「彼女では何の効果もないだろう。ただの他人だからね。むしろ些少でも効果を期待できるのは実父である伯爵の方かな」
「なっ……セラヒム様、何を――」

 オレリアン伯爵が問う声は、最後まで言い切らずに途切れる。答えが返るより早く、セラヒムの意図に応えた兵士の剣が、伯爵の腹部に深々と食い込んでいたのだ。
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