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Ⅱ 薫香店の看板娘

第25話 「天使」に一目惚れ

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 晴天の虹という瑞兆に恵まれた『使徒の虹祭り』からはや1週間。貴族も平民も、あの感動をいまだ昨日のように鮮やかに記憶に留めてはいるが、人々の営みは留まってはいない。

 今日も朝の開店と同時に客が詰め掛ける『コゼルト薫香店』では、店員達のいつも通りの声が響く。

「おい、藁負い娘! 保管庫から伽羅の木と白樺、それと麝香の革袋を3束! 至急だ! 加工室のアル爺を待たせるな」
「はいっ! 直ぐに!」

 荒っぽいペシャミンの指示に、元気良く返答したのはミリオン。いつも裏方に徹している彼女だったが、今日は珍しく開店時間となっても、店舗に留まっていた。正面扉横の雨戸を開けるのに手間取っているうちに、目敏く近付いてきた何人かの男性客から『商品説明』を求められ、裏へ回れずにいたのだ。

「済みません、わたし直ぐに行かなきゃ。けどお求めの商品説明はわたしよりもずっと詳しい彼が承りますわね」

 にこりと男性客らに微笑みかけつつ、ペシャミンを紹介するよう指先を揃えて示す。けれども「いや、もう充分だよ」「彼の時間をとるのは申し訳無いから大丈夫」などと断りが返ってきて、呆れを隠そうとしない表情のペシャミンが側に来る頃には、全員がそそくさと立ち去ってしまった。

「コゼルト薫香店をご贔屓にー!」と、彼等の後ろ姿に声を掛けていると、ペシャミンが背負い籠をグイグイ押し付けて来る。

 あの祭りでの特別に目立つ役割に、潜むようにここで暮らしている自分はどうなってしまうのだろうかと心配でならなかったミリオンだが、いつも通りな薫香店の日常が始まり、安堵していた。いや、これまで以上にペシャミンからの扱いは雑になったかもしれない。特に力仕事面で。

「ほらほら、背中の薪はもう無いんだから。早く裏山に行って取ってこ・――ぃてっ」

 ペシャミンの急かす言葉を遮ったのは、黒い笑顔を浮かべつつ、彼の頭頂部を握り拳でグリグリするコゼルトだ。

「ペシャミン? 女性への扱いは落第だねぇ。あの冷やかし客からフローラを助けたまでは感心していたのに。そんなことじゃあ、天使様にも嫌われてしまうんじゃないかなぁ?」
「「んなっ!?」」

 思わず、ペシャミンと声が重なったミリオンに2人が振り返る。

「おっ……お前のことじゃないからな! 俺の天使は高貴で清楚で美しい、真の貴族のお嬢様なんだからなっ」
「わ・かっていますっ! わたし、すぐに素材を持って来ますね」

 ミリオンは、一瞬脳裏を過った面影を振り切る様に、そそくさと立ち去った。

(パレードでは、ビアンカやセラヒム様に出くわさなくてホッとしていたのに。いきなり天使なんて言葉が出るからびっくりしちゃったわ! けどホントにビアンカのことだったら……ううん、そんなことないわよね)

 脱出以来、姿を見ることのなくなったオレリアン伯爵家やビアンカ、そして名ばかりの婚約者だったセラヒム。何か月も出くわすことの無い事実に、ミリオンはこの平民街の安全を信じていた。街から一歩裏路地へ踏み入れば、表通りでは出会うことのない破落戸や、不思議な魔導書店に出会ったりもする。そのくらい、世界は近いようで遠く、広い。だから、先日のパレードでの予期せぬ接近は本当に稀なことで、この穏やかな生活がいつまでも続くものだと確信している。

 とは言え、穏やかで変化のない毎日かと思われた薫香店にも、ちょっとだけ変化はあった。

「あれれ? ペシャミン? なんでまた雨戸閉めてるの」

 ミリオンが遠ざかる背後で笑いを含んだコゼルトの声がする。さらに、しばらくして裏からおつかい品を持ち帰って来てみれば、ちらりと見えた売り場のハーブティーの試飲テーブルで、ぼんやりとポットを傾けるペシャミンが目に入った。なんだか嫌な予感がしてそっと見ていれば、案の定彼は手にしたカップの許容量を超えてまだポットを戻そうとしていない。

「ペシャミン様! ハーブティーが零れますわっ!!」
「ぅわちぃっ!!」

 堪らず注意の声を上げたが、手遅れだったらしい。

「なんだよ! 早く教えてくれればいいだろ! っとに愚図なんだからさ・っぃて!」

 涙目のペシャミンが、奥から駆け寄ったミリオンに悪態をつくと同時に、コゼルトの頭頂グリグリが決まる。

「ペーシャーミーン? 君の叶わぬ恋煩いの鬱憤を、フローラにぶつけるのはみっともないと思うよー?」
「ぇえっ! 素敵! ペシャミン様、恋をされたのですか!」
「――っ!! 旦那様!? そんなことこんな場所でっ・っておい! お前まで調子に乗って言ってんじゃないぞ!!」

 どうやらペシャミンはあの日、貴族街の祭りの神輿馬車フロートで見た「天使」に一目惚れしたらしかった。
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