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I 伯爵邸の虐げられ令嬢
第10話 できそこないの覚醒
しおりを挟むミリオンは、晴れ晴れとした想いを込めて、手元の本に視線を向けた。
「本屋のおばあちゃんだって、強くお生きって応援してくれてるんだもん。負けてられないわ!」
力強く呟けば、本がほのかに明るく光って答えた気がした。応援してくれるとも取れる本の反応に、ミリオンは俄然力が湧いてくる気がする。
(お庭に兵士がいっぱい! けど絶対に捕まるもんですか!!)
信用ならない全てを捨てて、ただ唯一、力を与えてくれる魔道書を胸にしっかりと抱えたミリオンは、無我夢中で足を動かしはじめる。
家族からの必死の脱出のさなか、脳裏に次々浮かぶのは緑の美しい少年の姿・母との穏やかな思い出・さらに虐げられていた1年も、母との約束を支えに、前向きに魔法を鍛練した実りのある日々として浮かんでくる。
(出会えた緑の男の子やおばあちゃん、それにこの不思議な本のお陰で、あの人たちの無茶ぶりにもなんとか応えられるようになったわ)
洗濯には水流を操る魔法を使い、掃除には風を操る魔法を使う。寒い冬の庭の除雪では、雪を溶かし身を温めるための火魔法に救われた。暖炉にくべる薪割りに、3階の義母や義姉の部屋にあるバスタブへの湯運び――普通の10代そこそこの年齢の貴族令嬢が、一人で熟すことが困難であろう仕事も淡々と片付けた。嫌がらせを受けての労働ではなく、自身の魔法練習のための特訓だと思えば、辛い仕事など無くなってしまった。
暖かな希望を胸に抱き始めたミリオンを応援するように、魔導書が白い光を纏い始める。
(行こう! 優しいあの人たちに会いに!! 自由に、わたしらしく生きられる場所に!)
ミリオンの弾む気持ちに呼応し、力強く輝きだした魔導書の光が大きく膨らむ。
「何だ!? この強い光は!」
「こんな強い光の魔法は見たことが無いぞ!」
オレリアン邸に控えていた、セラヒムに仕えるプロトコルス家の私兵らが動揺も顕わに、真っ白な光に包まれた中で大声を張り上げる。主からはオレリアン家から逃げる者を誰一人逃さず捕えるよう命じられている。けれど目を開けることもままならない閃光の暴力に、その任務を遂行することは不可能であった。
この日、オレリアン伯爵家から一人の少女が姿を消した。
出来損ないの期待外れな娘は、誰にも惜しまれることもなく、秘密裏に消されるはずだった。
光が収束し、普段と変わらぬ景色を取り戻したオレリアン邸では、兵士たちから任務失敗の報告を受けたセラヒムが苛立たし気にオレリアン伯爵に詰め寄っていた。
「どう云う事か説明願おうか。彼女は魔法の素養の欠片もない、使徒の風貌も持たぬ出来損ないだと断言していたな? まさか私を欺いていたのではないだろうな」
「断じてそんなことは御座いません。公爵家に我がオレリアンの血が誇る最も天使に近い娘を差し上げんがため、私がどれだけ苦心を重ねたかお話したつもりです。公爵家を欺いて私に何の得が有りますか?」
伯爵もまた、予定外の出来事に焦りと腹立ちを押さえられない表情で、震える拳を握りしめる。
「ふん、そうだったな。伯爵はなかなかの努力家であった。苦心して手に入れた駒の使いどころを間違うような御仁ではなかったな。ならばアレは伯爵の知らぬ間に使徒の力に覚醒したやもしれんということか。惜しい駒をみすみす始末するところだったとは……まぁ、良いモノを見せてもらえた礼に、今回の失態は水に流すことにするとしようか」
皮肉気な笑みを込めて告げられた言葉に、オレリアン伯爵がギリリと奥歯を噛み締める。そんな2人の解り難いやり取りの意味を捉えられないピアンカは、自分を見て! とばかりに甘ったるい声を発してセラフィムの腕に絡みついた。
「セラヒム様ぁ? 私を婚約者にしてくださるんですよね」
「あぁ、ビア。彼女が魔法で逃げてしまったのだからね。婚約はお預けだね」
「そんな!」
「君がもっといっぱい頑張ったら、婚約への道は近付くんだろうね」
セラヒムの、やわらかい笑みの形を作った表情を疑わないビアンカは、彼が「誰」との婚約を望んでいるか明言していないことに気付かない。オレリアンは勿論気付いているが、今回セラヒムの天秤に乗った駒はどちらもオレリアンの物だから、敢えて訂正せずに口を噤む。
「わかりました! 私頑張りますね、セラヒム様のためにっ」
「ふふ……いい子だね。愛しいビア?」
ビアンカは、弾む声とは対照的な仄暗い瞳を、ミリオンの去った戸外へ向ける。セラヒムはそんな彼女の様子に、柔和な表情をつくりながらも酷薄な光を湛えた瞳を向けて笑う。
一人の娘が消えることは、この館に集う全ての者達の思惑通り……――のはずだった。
けれど逃走に使われた魔法が、それぞれの運命と思惑を大きく変えていた。
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