ペイン・リリーフ

こすもす

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【1】 コンフォート・ゾーン

8 流れる時間

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 散乱しているスナック菓子の袋や空き缶をゴミ箱に突っ込み、雑誌やDVDなどを片付けた。
 僕のスマートフォンが転がっていないかと注視したが、残念ながら見つからなかった。
 カーテンを明け、淀んだ空気を入れ替える為に少しだけ窓を開ける。雨はすこし弱まったが、まだ降り続いている。

 足元の畳はささくれ立ち、建付けが悪いのか、窓はすんなり開かなくて、ふすまもきっちり閉まらない。
 所々、ガタがきているようだ。
 いろいろと落ち着いたら、修理を依頼することも検討してみよう。


 篠口先生は薄暗い台所に立って、シンクに溜まっていた食器を洗って片付けていた。
 生ゴミが入ってヌメヌメした排水口のカゴをピッカピカにした後でお湯を沸かし、食器棚の引き出しにあったインスタントコーヒーの袋を見つけて淹れてくれた。
 賞味期限をこっそり確認していたのを、僕は見逃さなかった。

「すまない」

 座って飲んでいたら謝られた。
 謝るのはどう考えてもこっちなのに、よく謝る人だなぁと思いながら首を捻る。

「何がですか?」
「一軒家だと聞いたから、ご家族と住んでいるのだと思い込んでいて」
「気にしないでください。誰だってそう思いますよ」

 そう言ってみて、果たしてそうなのかなという疑問が湧いた。
 記憶障害を起こしている今の僕にとっては、何もかもが未知すぎる。
 僕は、片付けをしている最中に見つけた学生証をポケットから取り出して、篠口先生に見せた。

「とりあえず、僕が通っている大学は分かりました」

 今、大学3年生らしい。
 こんなみすぼらしい冴えない姿で大学に通っていただなんて信じ難いけれど(自分に失礼)、学生証が紛れもない真実をもの語っている。

「そうか。じゃあ、後で連絡してみようか。何かが分かるかもしれないし……」

 あ、綺麗。
 篠口先生が目を伏せて学生証を見つめる姿が、なぜか儚げで切なく見えた。
 長めのまつ毛がふわふわとしていそうで、なぜか無性に触れたくなった。

「どうした」

 一瞬、意識がどこかに飛んでいた。
 いつの間にか、視線がばっちりと絡み合っている。
 端正な顔のあなたに見蕩れていたんですとも言えなくて、適当に誤魔化した。

「何か思い出せないかなぁと思って、考えこんじゃって」
「そうか……けれど、無理はしない方がいい。どうして分からないんだとか、早く思い出したいとか、そういう焦る気持ちは出てくると思うけど、今ある自分の存在を否定することになってつらくなってしまうから、思い詰めないように。心とからだが健康であることが大事だから」

 篠口先生はまた落ち着いて、コーヒーを飲んだ。
 最初は少し怖い人なのかと思っていたけど、今は全然そんな風には思わない。
 2人の間には独特の雰囲気が漂っていた。

 さぁさぁと降る雨の音やエアコンの送風音、遠くで救急車のサイレンの音が聞こえる。
 会話は少なくも多くもなく、僕らはただゆったりと時間を共有していた。
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