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◇第6章◇優しくて不器用なひと

72 三日月と猫

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 ポツリと空に浮かぶ三日月が僕の後をいつまでもついてくる。
 駅へ向かう途中、塀の上にぼうっと浮かび上がる白い影が見えた。
 お化けではなく、一匹の白猫が香箱座りしていた。

 チーかと思って目を凝らすが違った。目の色はイエローで片方の耳には黒い毛が混じっているし、そもそもチーがこんなところにいるはずない。
 猫は僕を見下ろしたままピクリとも動かない。
 様子を伺いつつ、僕は少しずつ間合いを詰めていく。

「猫ー。そこで何やってるの?」

 当然返事はないけれど、周りに人がいないのをいいことに話しかけてみる。

「きみ、チーに似てるね。チーがきみに似てるのかな。ま、どっちでもいっか……きみも1人なの?」

 すごい。瞬きひとつしない。
 猫の瞳孔は丸くなっているから、警戒心むき出しだ。
 猫って視力はそんなに良くないって聞くけれど、僕の姿形や表情はどのくらい見えているんだろう。

 そういえばチーも、最初はこんな感じだった。
 だけど徐々に、僕に気を許してくれていた。

 やっぱり最後に触りたかったな。
 チーを思いながら手を伸ばすと、猫は勢いよく塀から降り、電柱の裏に逃げ込んだ。

「あぁごめん。きみも1人なのって、勝手に決め付けないで欲しいよね。もしかしたら仲間と一緒に暮らしてるかもしれないのに」

 僕は膝を追って座り込む。
 相変わらず猫は、不信感マシマシで僕を見つめてくる。

 外灯に照らされて、猫の体の毛が綿毛みたいにふわふわして見えた。
 触りたいけど、僕が手をほんの少し動かすだけで猫は体を強ばらせている。

 こういうことだよな。
 いくらこっちが興味を持って好いていたりしても、相手に受け止めてくれるだけの器がなくちゃ。

 律には僕を受け入れる器は無かったのだ。


「でもさ、だったら助けないで欲しかったよね。最終的にはこうなるんだって、頭のいい律は予測出来なかったのかな……」

 やりきれなくて、ため息がこぼれる。
 どるんどるんどるん……。
 心の中に淀んだ空気が重低音を響かせて溜まっていく。

「あ、助けるって、僕を海に連れてった時のことと、ムサシさんからってことで2つの意味ね。ほっといてくれれば僕だって律を……」

 猫は「なんだコイツ」って目で僕を見てくる。

 どるんどるんどるん。
 さっきよりも大きく胸に刻まれる音。

 澱のように深く溜まっていく音が、やけに鮮明に耳に飛び込んでくる。
 なんだかこれ、エンジン音に聴こえる。
 もしそうだとしたらもう、死んでもいいかも。

 黒いバイクが僕の横に止まると、猫はついに風のように逃げ出して角を曲がっていった。
 
 姿を消した猫。
 代わりに現れたのは、律だ。

 ヘルメットの中で、律が呆気に取られてように目を見開いているのが分かる。
 僕も固まったまま同じ表情になっていると思う。
 律は長い両足を地面に付けて、ヘルメット越しに僕を見下ろした。
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