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Phase:01 サクラサク

side B 悪夢の幕開け(下)

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「あーあ……残念」
「え?」

 その瞬間、ゾッとするものが背中を駆け抜けた。顔を上げた女は口の端を吊り上げてにやりとわらい、氷のように冷たい声でそうつぶやいたと思ったら、何を思ったのか恩人の顔に右ストレートを叩きつける。
 何してんだよ。その子はただ、あんたをかばっただけだ。結果的に車は直撃しなかったけど、助けてくれた人に殴りかかるなんておかしいだろ!

「……っ!」
「援護する。行こう!」

 以心伝心って、まさにこういう状況だよな。俺の意図を瞬時に察し、着物のおっさんがゴーサインを出すとともに駆け出した。
 女の子へ馬乗りになったリポーターが、反対側の頬めがけて二発目のパンチを繰り出す。殴られた衝撃でアスファルトに頭をぶつけたらしく、ごちんと鈍い音が辺りに響いた。
 綺麗な黒髪にうつろな目をした女の子と、サングラス越しに目が合う。その瞬間――俺の中で何かが切れた。

「確保!」
「おらっ、おとなしくしろ!」

 三発目の準備で振りかざした鬼の片腕をつかみ、そのまま体重をかけて後ろに引きずり倒す。こういうのって普通、仲間が止めに入るのが筋じゃないの?
 そう思って撮影クルーに目を向けると、あいつらは人形みたいに無味乾燥な表情を浮かべ、同僚がうつ伏せの体勢で男二人に組み伏せられる放送事故をスタジオに生中継していやがった。
 身内のやらかしよりスクープが大事ってか? いい大人が何やってんだよ!

「救急車呼べ! それと警察!」
『無理だ。〈Psychicサイキック〉が言うことを聞かない!』
「だったら、そのオフライン脳みそで考えろ。
「何を言って――いや、待て。そうか!」
「オフェンスで真価を問われるのは追い込まれてからだぞ。俺のマネージャーなら忘れるなよ」

 我に返ったAIマネージャーは『お前、やけに冴えてるな。打ち所の悪いヘディングでもしたか?』と憎まれ口を叩きながらも、すぐに行動を始めた。
 一方、俺に協力してくれたサムライはリポーターの腕を後ろ手に回し、懐から出した結束バンドで手際よく犯人を拘束している。なんで都合よくそんなものが懐から出てきたのかは、あえてツッコまないことにした。

「よくやった。お手柄だな」
「アシストどうも。やけに手慣れててカッコ良かったですよ」
「キミは彼女を頼む。できる限りの応急処置を」
「承知しました」

 スーツのお姉さんが倒れたまま動かない女の子を軽々と抱き上げ、離れた場所まで避難させた。
 二人の姿が視界から消えると、リポーターは急におとなしくなった。突然奇行に走ったのは〈Psychic〉経由で脳をハッキングされ、あの子をぶん殴るよう命令を受けたからだろうな。それくらいは俺でも察しがつく。つく、が……
 くそっ、頭がうまく働かない。どう転んでもバッドエンドの予感がする。そう、まるでみたいな――

「で? あんた、なんでこんなことしたんだ」
「……」

 目の前にさあっと黒い霧が広がり、心拍数が跳ね上がる。冷や汗と身体の震えが止まらない。自分をしっかり保たないと、たちまち飲み込まれてしまいそうだ。
 ダメだ、これ以上思い出すな。直感的にブレーキをかけて回想をやめた俺は、あえて関係ないが今の状況に合った質問を口に出した。

「それに『残念』ってなんだよ、不謹慎にも程があるぞ。あんた自身と俺たちが事故に巻き込まれて死ぬのを望んでたかのような言い草だな」
「ええ。そのとおりよ、

 相手の口を割った呼び名に、思わず身体がこわばる。落ち着け俺、当てずっぽうで言われただけだ。平然と、いつもどおりに振る舞えばいい。
 鼻筋に手をやってサングラスをずり上げながら、俺はここへ来る前に着物のおっさんと交わしたやり取りを思い出した。

『それはキミに対する世間の認識を阻害し、一般人と誤認させるスマートグラスだ。人前で不用意に外すことは厳に慎むように』
『へぇ~。もし外し……外れたらどうなるんです?』
『すぐに身元を特定され、大パニック間違いなし。バレた時の状況によっては最悪の展開も覚悟せねばなるまい』
『と、いうと?』
『二度とピッチに立てなくなるだろうね』

 それは、俺にとって重すぎる警告だった。直接命を取られることはないにせよ、社会的に終わりかねないとあっては慎重に行動せざるを得ない。
 というか俺、自慢じゃないけどネットの大炎上に関しては前科あるんで、言われるまでもなく叩かれるつらさは身に染みてますよ。

『不便を強いることについては謝ろう。だが、これもキミを守るためだ。マネージャー君もご理解いただけないだろうか』
められたものだな。そんなふざけた条件呑むわけ――』
『ん~……よし。表参道の中身がはみ出るたい焼き専門店、エトワール。あそこのプレミアムクロワッサンたい焼き(税込四五〇円)一匹で手を打ちます』
『なんで安請やすうけ合いするかなお前はァァァァァ!』

 だから、こいつを取り押さえるのは正直言って不安だった。倒れ込んだ衝撃でサングラスが外れるかもしれないし、事情を知らない人間が見たら、白昼堂々路上で女を押し倒したと勘違いされかねない。
 でも、幸いなことに運は俺に味方した。スマートグラスが身体に触れている限り、そっくりさんだと言えば押し通せる。残念だったな!

「おっと! 今の聞きました? 俺、イケメンサッカー選手似ですって!」

 窒息を防ぐため上からどいてやったタイミングで、リポーターが縛られたままの腕を振り上げ、反撃を試みた。が、アッパーカットが飛んでくると予測した俺の運動神経はいち早く反応し、避けるまでの時間には余裕すらあった。
 くうを切った腕をサムライに捕らえられ、相手のささやかな抵抗は終わりを告げる。

「良かったじゃないか。どれ、答え合わせでサングラスを取ってみては――」
「イヤで~す。今日の服装はこれ込みのコーディネートなんで」

 不意打ちでめられ、有頂天になった俺に上司さんがフェイントをかける。
 自分ではうまくかわしたつもりだったが、相手は「やれやれ」と言いたげな顔で肩をすくめると、わざとらしくせき払いをした。

「いい気分に浸っているところ悪いが、話を戻そう。目の前であんな行いをされたら問いただしたくもなるが、これ以上まともな答えは望めない」
「はい? たった今、ちゃんと受け答えしてたじゃないですか。死ねばいいのにって思ったのか、っていたら『そのとおりよ』って」
「この顔を見てもそう言えるか?」

 促されて足元に目を落とし、俺はぎょっとした。ついさっきまでニヤニヤ笑いながら悪びれる様子もなかった女が顔をゆがめ、歯ぎしりをし、涙を流しながら白目をむいて、ワケのわからないことを言い出したからだ。

「ごめんなさいごめンなさィ! ワたシ――えへっ、残念……残念ダわ。皆さン、潔く死んデくれレバ――あ、違う、私……あアああアあ!」
「彼女は自我を失い始めている。精神保護プログラムを突破され、汚染が深層意識にまで及んでしまうと、自力で抗うのは不可能に近い」
「じゃあ、あの子をぶん殴ったのは……」
「無論、彼女の意思じゃない。心の底から子どもを嫌っていない限りはね」

 あんまりムカついたんで「女」だの「あんた」だのと散々言っちゃったけど、嫌々やらされてるんだってわかると、もがき苦しむ姿に心が痛む。
 だけど、だからといって、この人のしたことが帳消しにはならない。人を殴ってケガさせたのは、それが無理強いだったことも含めて疑いようもない事実なんだから。
 今、俺を駆り立てるのは何だろう。この人を追い詰めたかもしれない罪悪感? 違う。怖いもの見たさの興味本位? それも違う。
 なら、激しく胸を焦がすこの想いは――

「かなり言動がバグってきたな。犯人はキミを支配し、顔役とするつもりのようだ」
「いヤ……ワたシ、そんナこと、シたく……あハァ」
「だが、あいにく私たちには電子戦でAIを打ち負かす技量もなければ、解毒薬に相当するアンチプログラムもない」
「そうデしょウ。人間サンがかなウわけ……違う、嘘。なニ、言っテるの?」
「すまない。私たちでは、キミを助けられないんだ」
「どうして? 私、こンなこトしたくナい。死ニたクない! お願い、信じテ! だレか、助ケて――!」

 目を逸らしたくなる悲壮感。何もできない腹立たしさ。助けられない、助からないって被害者本人に直接伝えた瞬間の、圧倒的な無力感。そういうのが全部、ごちゃ混ぜになって襲ってくる。
 それはおっさんも同じようで、「なんで」とか「どうして」って言いたそうな顔をしていたであろう俺の肩に右手を置くと、首を静かに横へ振った。
 ポーカーフェイスに隠した本音、触れた手から伝わる震え。ああ――この人も、血のかよった人間なんだ。

「その代わり、約束しよう。最後までキミを信じると」
「……エ?」
「信じよう。そして証言しよう。たとえ、キミがこの後どれだけ私たちに敵対する行動を取っても、それらはすべて本人の意思に反するものだったと」
「ナに、それ……」
「それが――それだけが、私たちにできる償いだ」

 その言葉の意味さえわからないほど、俺はバカじゃない。冗談だろ? だって、相手は同じ人間。しかもまだギリギリ意識があるんだぞ。
 ずっと気になってたけど、その腰に差した日本刀……まさか、な?

「大丈夫、決着は私がつける。未来ある若者に手を汚させはしないさ」
「そういう問題じゃないだろ! だって……だって、こんな……」

 サムライが離れると、リポーターは片膝を立てて起き上がった。そのまま歯を使って手首の拘束をきつく締め直し、自分のすねに向けて縛られた腕を振り下ろす。
 ばちん――と音がして、プラスチックのコードが弾け飛んだ。完全な自由を手に入れたことで、また周囲の誰かを襲いやしないかと警戒する俺たちを尻目に、彼女は……いや、その身体を借りた黒幕がゆっくりと口を開く。

逢桜町あさくらまちの皆さん」

 不思議なことに、俺は追い詰められるほど勘が働く男らしい。試合でも、ボールを持って相手のディフェンダーに追い回されていると、急にゴールへつながる「道」が見える時があるんだ。
 俺は地道な練習に加え、こうした直感にも頼って実力至上主義の世界を勝ち抜き、いつしか青いユニフォームの十番を任せてもらえるまでになった。
 そして今、よく当たる俺の第六感はこう言ってる。

 この試合、そもそも「道」が無い――と。
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