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カラフル 〜 陽也によって色づく景色

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夏がすぎて行く。
青く晴れた日があったり、
突然夕立がふったり、
丘の緑が昨日の雨でキラキラ光っている日があったり、
海が夕焼けに赤く染まる日があったり。
夏はカラフルだと思う。
瓶に入ったアメ玉みたい。

兄は、日々を淡々と過ごしている。
同じ時間に起き、同じ時間に食事をし、
決められたプログラムをこなし、
決まった時間に消灯する。

私はそんな兄を毎日見舞った。
八月も半ばになった。
兄はちっとも良くなっているようには見えない。
相変わらず、疲れた顔に無理をして笑顔を浮かべている。そして、聞こえないはずの声に怯えている。

私はというと、毎日息をつめて勉強していた。
塾で勉強していると、時々野生動物のことを考える。
カリカリカリカリとペンの音がして、
その音が私を追い詰めようとしている気がする。
〝休むな! 休むな!〟
と、追い立てられているみたいだ。
それで私は必死でペンを走らせる。
命からがら、サバンナをかける草食動物みたいな気持ちで。

それから、陽也のこと。
丘の坂道では、時々陽也にあった。
会うと陽也はいつも、「よう」とか、「相変わらず勉強ばっかりか」とか声をかけてきた。

ある日、見舞いの帰り、
坂を下っていると、自転車を押しながら坂を上る陽也にバッタリと出会った。
陽也は、スーパーの買い物袋を自転車のカゴに乗せていた。
「お使いの帰り?」
と私が聞くと、陽也は照れくさそうにした。

私たちが向かう道は、真逆だった。
私は丘の下へ。
陽也は丘の上へ。

「じゃあ、またね」
そう言った時に、胸の奥でかすかな痛みがうずくのを感じた。
私の胸の奥に、
しかと見つめることができない感情が潜んでいる気がした。
それは金魚のように胸の奥でゆらめいていて、ひらっと尾ひれを見せては、
すぐに胸の奥にもぐってしまう。

「じゃあな」
そう言って、私と陽也は坂道ですれ違った。
一歩、一歩、歩くごとに、
陽也の足音と自転車の車輪が回る音が遠くなっていく。

私の足は、だんだんとゆっくりになった。
木漏れ日が風で揺れる。丘が風に鳴る。
私は何かに引っ張られるみたいに、足を止めた。
すると、背後から、
「なあ!」
と声が降ってきた。

振り返ると、陽也も足を止めてこちらを見ていた。

「今日、これから予定ある?」

「ないわ。受験勉強以外には」

「なら、うちに寄ってかない?」

「陽也んち?」

私が目を丸くすると、陽也は頬を赤くして目をそらした。

「そんな気分じゃないなら、無理には誘わないけど」

私は、大きく一つ深呼吸をして、
「寄ってく」
と答えた。
心の中で膨らんでいた受験の不安も、兄の心配も、今は小さくしぼんで感じられた。すっかり不安が消えたわけじゃないが、
スイカくらい大きかった不安が、
リンゴくらいになったようだ。
おかげで、木漏れ日の暖かさが心に染み込む余裕ができた。

どうしてだろう。
陽也がいると、いろんな物事が大丈夫だと思えてくる。
体の中に張りつめていた糸のようなものが緩む気がする。
強張っていた肩の力が抜ける。
息がしやすくなる。

軽い足取りで坂を上る私を、陽也は照れ臭そうな顔をして待っていた。
キラキラとした木漏れ日があたりいっぱいに降っていた。

 
       •    •    •

高二の頃、
陽也とクラスの友達数人とで、
放課後の教室に集まって、
王様ゲームをしたことがある。

私は、後にも先にも王様ゲームをしたのはその一回きりだ。
ルールは単純で、〝くじ引きで王様を決めて、王様が出した指示を、指示された人が実行する〟というゲームだった。

私はそのゲームで、陽也からキスをされることになった。

キス、キスと、まわりからはやされて、
〝見せ物みたいだ〟と不快に思った。

でも、陽也がとまどいの表情を浮かべながら私の両肩をつかんだ時、
私は魔法にかけられたみたいに動くことができなかった。

陽也の顔がゆっくりと近づいてくる。
ヒャーッとまわりを囲む友達が声を上げた。

私は自分の心臓の鼓動を聞きながら、ギュッと目を閉じた。

陽也の鼻先が、私の鼻先に触れ、
私は息をのんだ。

頭が真っ白になる。
そして、まわりを囲む友達の声が遠のいていく。

私、陽也とキスをするんだーー。

そう思った時、思いがけないことが起こった。
触れ合っていた鼻がサッと離れたのだ。

目を開けると、陽也の顔が離れていくのが見えた。

私は、その時、驚くほどさみしさを感じていた。
陽也に拒まれ、寂しい場所にポツンと一人取り残されたみたいな気持ちがしたのだ。

「途中でやめんなよ」
まわりからブーイングが起きた。

「もういいだろ、くだらないよ」

陽也が怒った顔をしてそっぽを向いた。
陽也がそんな顔をするのは珍しかったので、そこにいた人たちは顔を見合わせた。
そして、そのうちの一人が、空気を変えるべく、
「まあ、いっか。次のくじ引きをしよ」
と言った。

そのあと、私と陽也は頃合いをみて二人で教室から抜け出した。
靴に履きかえて昇降口から出ると、空が真っ赤な夕焼けに染まっていた。
空の下にいる私たちまで赤く染められそうだった。

夕方の学校周辺は、とても静かだった。
街中から人が消えて、二人っきりになったみたいに感じた。

私の隣を歩く陽也の動きが妙にぎこちなかったが、それが私の歩幅に合わせるためだと気づいた時、私は陽也を愛おしく思った。
高い背をして小幅で歩く陽也は、かわいらしかった。

学校から電車の駅までの道を二人で並んで歩いた。駅が見えてきたころ、私は陽也に尋ねた。

「なんでキスしなかったの?」

陽也は立ち止まると、大きな目をして私を見つめた。
  
「ゲームでも、私とは嫌だった?」

陽也は、
「ちがうよ!」
と慌てて否定した。

それから、頬を赤くし、困惑した表情を浮かべ、
「ゲームだから、嫌だったんだ」
と言った。

「ゲームだから?」

「だから……」
陽也は、いよいよ顔を赤くして頭をかきむしった。
「もう、いいじゃん。帰ろう」

私はそれ以上深く尋ねなかった。
二人で並んで黙々と歩いた。

私は時々空を見上げた。
空は相変わらず真っ赤で、静かな街並みがその色を際立たせていた。情熱的な色だった。瞳から胸の奥にまで染み込んで、心に火を灯しそうな色だと思った。
空の色のせいか、心臓がトクトクと音を立てる。私は陽也の横顔をちらちらと眺めて歩いた。

その時の陽也の横顔を思い出し、私はピタリと手を止めた。
解きかけた数学の問題から目を離し、
テーブルで向かい合って勉強をしている陽也を見た。

私たちは、陽也の部屋で勉強をしていた。
青いカバーのついたベッドが陽也の後ろに見える。いつも、陽也が寝ているベッドだと思うと、ドキドキとした。

私は問題集を解く陽也をチラチラと眺めた。うつむいた輪郭がきれいだと思った。男の子らしい肩も、手も、好ましく思えた。

私は、もしかすると、陽也のことが……。

そう心の中でつぶやいた時、陽也が顔を上げてこちらを見た。

「どうした?」

そう聞かれ、
「なんでもないよ」
と私は答えた。

「そっか」
と陽也は、また手元に目を落とす。
部屋がしんと静かになる。
私は宙ぶらりんで放り出されたみたいな気持ちになった。
でも、それ以上言葉を続けることもできず、うずうずとした気持ちを抱え、問題集を解いた。
陽也の息づかいやペンを動かす手の動きを、テーブルの向こうに感じながら。

       ・  ・  ・

陽也の家から帰る道々、私はぼんやりと景色を眺めた。

丘の坂道。
風にうなる丘の緑。
揺れる緑が跳ね返す日の光。
空の青。遠くの海の青。
目に飛び込む景色すべてが鮮やかに見えた。
すべてが瑞々しく、幸福そうな色をしていた。
そして、ぼんやりと景色を眺めている間中、胸の中には陽也がいた。
陽也がいたから、すべての景色が美しく見えていたのかもしれない。

私は、丘の上で髪を風にそよがせながら、
「もしかしたら……」
とつぶやく。

「もしかしたら、私、やっぱり……」

その言葉を言い終わる前に電話がかかってきた。
突然の着信音が鳴り響く。
私はカバンの中の携帯電話を手に取った。

電話は母からだった。
私が出ると、母は切迫した声でこう言った。
「夏音? 今すぐ桜良の病院に来れる?」

その一言で、兄に何か良くないことが起こったことが分かった。

私は全身が緊張するのを感じた。
「今、病院の近くにいるの。すぐに行くわ」

そう言って、携帯電話を耳に押しあてたまま、一八〇度方向転換して駆け出した。
丘の上に病院が見える。
胸がザワザワした。
先ほどまで鮮やかに色づいていた丘の緑も空も、今は色あせて見えた。まわりの景色が、電話一本でガラリと変わって感じられた。

兄の身に、何が起こったんだろう。

私は息を切らして坂を駆け上がりながら、母の声に耳を澄ませた。

続く~






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