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生きるための処世術 〜空気の張りつめた居間と幼い兄

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処世術、という言葉がある。

今日、兄が口にした言葉だ。

処世術、と私はつぶやいてみる。
電車の窓にもたれ、流れていく外の景色を眺めながら。

私は、今日、兄を見舞った。
そして、兄と一時間ほど話をした。

私はなるべく明るい話題ばかりを選んで話すようにしていた。
兄は、私の話をニコニコしながら聞いていた。
兄はいつだって人の話をにこやかに聞くのだ。

私は無言になるのを恐れるように、絶え間なく話をし、兄はひたすら相槌をうっていた。

なんだか、二人して壊れた人形になったみたいだった。
スイッチが切れない〝おしゃべり人形〟と、〝首振り人形〟。

私は疲れてしまって少し黙った。

「無理して明るい話ばかりしなくていいよ」
と兄は言った。

労わるような笑みを浮かべている。
無理をしていると、兄に見透かされていたのだ。
そして、逆に気遣われてしまった。

「桜良こそ、ニコニコ笑ってばっかりで無理してるわ」 
と言った。
これまでの人生、兄は他人を気遣って無理をしっぱなしだ。

「そうだね」
と兄は言った。

「だけど、笑うことは僕の処世術だからね」

「処世術?」

「そう、幼い頃に身につけた処世術」

兄はそう言って、自分の影に目を落とした。
影は、兄の足元に空いた落とし穴のように見えた。

窓の外には、
目がくらむような真っ青な空が見えていた。
庭には、ひまわりがたくさん揺れていた。それは、くったくなく笑った子供が整列しているみたいに見えた。

電車に揺られながら、
私は兄の言葉を反芻していた。

〝幼い頃に身につけた処世術〟。

私は兄が言わんとしていることが、なんとなくわかる気がした。

私は幼い兄を思い浮かべてみる。
それから、我が家の居間を。

ーー薄暗く、空気の張りつめた居間。
ーーいつ爆発するか分からないような、
  気難しい父。
ーー血のつながらない母。
ーーそして、そこにいる幼い兄。

幼い者は、
大人の機嫌をとらないことには生きていかれない。

兄は笑いたくてニコニコしているのではなく、
ニコニコしないと生きていかれなかったんじゃないんだろうか。

処世術とは、そういう意味だったんじゃないのか。

でも兄は、今、自分の処世術によって、自らの首をしめている。
あんな生き方をしていては、気の休まる時がない。
ちっとも療養になっていない。

処世術なんてなくても生きられるなら、
それがずっと幸せなのかもしれない。

処世術という言葉に、急に堆積した不幸を感じた。
生きながら積み上げてきた不幸。
まるで根雪のように降り積もり、カチカチに踏み固められている。

兄は笑わないと生きられないのだ。

私は兄を思い、ため息をついた。
電車のアナウンスに、ため息の音はかき消された。

~続く








 
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