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1. 発症前 〜 陰ウツではりつめた居間
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ーー野生動物は、どんな気持ちで生きているのだろう。
私は、
居間で洗濯物をたたむ母親の、
横顔を眺めながら考えていた。
それは、土曜日の午前八時のことで、
節約のために
居間の電気は消されていて、
窓のカーテンが開けられていた。
窓から差し込む光は、
居間をぼんやりと照らしているものの、
居間は全体として薄暗く、
部屋の四隅などは
陰気なほどに影に沈んで見えた。
母親は、
薄暗闇の中で
黙々とタオルやハンカチをたたむ動作を
繰り返していた。
母親の手先の、
洗濯物のシワをピンと伸ばす、
几帳面な動き。
張りつめた眉間のあたり。
母親が、
〝ピン〟
とシワを伸ばすたびに、
部屋の空気も
張りつめるように感じた。
もう少しで
補習授業に出かける予定の私は
高校の制服を着て、
居間にある背の低いテーブルで
朝食を食べていた。
食事をする手を動かし続けながら、
母親が部屋の空気を張りつめさせるたびに、
思わず息を殺した。
そんな自分を、
〝まるで野生の草食動物みたいだ〟と
思った。
すぐそばの草はらに
肉食獣がひそんでいるかもしれない。
今にも飛びかかってくるかもしれない。
そんな張りつめた気持ちを胸に抱えながら、
物音をたてないように
静かに食物を咀嚼している。
窓際では、
座椅子に座った父親が
難しい顔をして新聞を読んでいた。
パラリ、 パラリと、
新聞をめくる音がする。
そんな小さな音が
はっきりと聞こえるくらい、
部屋の中は静かだった。
誰も言葉を発しない。
私は、
箸が茶碗にぶつかる音さえ
うるさく感じて、
つとめて静かに食事をしようと
思っていた。
それなのに、
胸のうちではむくむくと、
〝大声をあげたいような衝動〟がわいてきて、茶碗をもつ手に
ギュッと力を込めた。
父親は
休日はいつもどこにも出かけない。
一日中、家の中にいて、
一日中、ひどく不機嫌な顔をしている。
今日も一段と眉間のシワが深い。
父親が、
一つ咳払いをして、
母親がビクンと肩を震わせた。
母親が、
父親の顔色をうかがう。
そこに何かしら、
爆発物でも置いてあるみたいに、
注意深く父親の様子を観察し、
それから、
また洗濯物をたたむ手を動かした。
私は、
〝自分の輪郭がぼやけていく〟ような錯覚におそわれる。
部屋に満ちる不穏な気配が、
肌を通過し、
自分の内側を侵食していくような感覚がするのだ。
自分の体の内側はがらんどう。
自分の肌は、
外界と自分を隔てる役目を放棄しており、
外界の空気は、
ゴオゴオと川の激流のように、
私の中を通過していく。
私の内側に流れ込む、
不穏な空気。
それは、
私の人格を洗い流し、
確立された自我をもつ、
一人の人であるということを忘れさせようとする。
胸の中がザワザワとする。
母親の、
〝ピン〟
とシワをのばす手つき。
パラリ、
パラリと、
新聞がめくられる音。
張り詰めた母の眉間。
父親の、不機嫌そうな顔。
そういったものが、
私の中に満ち満ちていく。
私はそれらを吐き出したくて、
〝腹の底から叫び出したい衝動〟にかられる。
それを、必死に……、
本当に必死にこらえ、
箸と茶碗をテーブルに置いて、
膝をかかえる。
額を膝に押し当て背中を丸め、
自分の顔と大腿部の間にできた暗がりの中で、私は考える。
ーー野生動物は、
どんな気持ちで生きているのだろう。
不穏な空気の中で、
生と死のギリギリの狭間で、
一体どうして、
正気を保っていられるのだろうか。
続く~
私は、
居間で洗濯物をたたむ母親の、
横顔を眺めながら考えていた。
それは、土曜日の午前八時のことで、
節約のために
居間の電気は消されていて、
窓のカーテンが開けられていた。
窓から差し込む光は、
居間をぼんやりと照らしているものの、
居間は全体として薄暗く、
部屋の四隅などは
陰気なほどに影に沈んで見えた。
母親は、
薄暗闇の中で
黙々とタオルやハンカチをたたむ動作を
繰り返していた。
母親の手先の、
洗濯物のシワをピンと伸ばす、
几帳面な動き。
張りつめた眉間のあたり。
母親が、
〝ピン〟
とシワを伸ばすたびに、
部屋の空気も
張りつめるように感じた。
もう少しで
補習授業に出かける予定の私は
高校の制服を着て、
居間にある背の低いテーブルで
朝食を食べていた。
食事をする手を動かし続けながら、
母親が部屋の空気を張りつめさせるたびに、
思わず息を殺した。
そんな自分を、
〝まるで野生の草食動物みたいだ〟と
思った。
すぐそばの草はらに
肉食獣がひそんでいるかもしれない。
今にも飛びかかってくるかもしれない。
そんな張りつめた気持ちを胸に抱えながら、
物音をたてないように
静かに食物を咀嚼している。
窓際では、
座椅子に座った父親が
難しい顔をして新聞を読んでいた。
パラリ、 パラリと、
新聞をめくる音がする。
そんな小さな音が
はっきりと聞こえるくらい、
部屋の中は静かだった。
誰も言葉を発しない。
私は、
箸が茶碗にぶつかる音さえ
うるさく感じて、
つとめて静かに食事をしようと
思っていた。
それなのに、
胸のうちではむくむくと、
〝大声をあげたいような衝動〟がわいてきて、茶碗をもつ手に
ギュッと力を込めた。
父親は
休日はいつもどこにも出かけない。
一日中、家の中にいて、
一日中、ひどく不機嫌な顔をしている。
今日も一段と眉間のシワが深い。
父親が、
一つ咳払いをして、
母親がビクンと肩を震わせた。
母親が、
父親の顔色をうかがう。
そこに何かしら、
爆発物でも置いてあるみたいに、
注意深く父親の様子を観察し、
それから、
また洗濯物をたたむ手を動かした。
私は、
〝自分の輪郭がぼやけていく〟ような錯覚におそわれる。
部屋に満ちる不穏な気配が、
肌を通過し、
自分の内側を侵食していくような感覚がするのだ。
自分の体の内側はがらんどう。
自分の肌は、
外界と自分を隔てる役目を放棄しており、
外界の空気は、
ゴオゴオと川の激流のように、
私の中を通過していく。
私の内側に流れ込む、
不穏な空気。
それは、
私の人格を洗い流し、
確立された自我をもつ、
一人の人であるということを忘れさせようとする。
胸の中がザワザワとする。
母親の、
〝ピン〟
とシワをのばす手つき。
パラリ、
パラリと、
新聞がめくられる音。
張り詰めた母の眉間。
父親の、不機嫌そうな顔。
そういったものが、
私の中に満ち満ちていく。
私はそれらを吐き出したくて、
〝腹の底から叫び出したい衝動〟にかられる。
それを、必死に……、
本当に必死にこらえ、
箸と茶碗をテーブルに置いて、
膝をかかえる。
額を膝に押し当て背中を丸め、
自分の顔と大腿部の間にできた暗がりの中で、私は考える。
ーー野生動物は、
どんな気持ちで生きているのだろう。
不穏な空気の中で、
生と死のギリギリの狭間で、
一体どうして、
正気を保っていられるのだろうか。
続く~
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