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精神科外来 〜震災の日に芽生えた命

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ある日、外来の夜勤当直中に、夜間用のインターホンが鳴りました。

はい、と応答すると、外来通院中の二十歳の女性が立っていました。

もう時刻は夜中の二時です。
いったいどうしたというのでしょう。

私は懐中電灯を持って当直室を出て、暗い階段を降りました。そして、夜間出入り口のドアを開くと、彼女は唐突に、
「看護師さん、私、妊娠しました」
と言いました。

「同棲してる彼氏におろしてくれって言われたんです。
おまえみたいな、気分が不安定な母親から産まれたら、子供が不幸になるからって」

彼女は切羽詰まった口調で息継ぎもせずに一気にそう言いました。

その日は三月で、外はずいぶん寒かったのに、彼女はパジャマのような服を着て、上着も着ていませんでした。
もしかすると、彼氏と家で口論になり、そのまま家を飛び出してきたのかもしれません。

薄いパジャマの袖口からは、過去にリストカットをしたことがある傷跡がのぞいていました。

精神科で働いていると、
患者さんの病気だけではなく、
〝患者さんの人生そのもの〟に深く関わるような場面に遭遇することがあります。

私たちは〝病気を治す〟ことを目標に看護しているのではなく、
〝病気がありながらも患者さんの生活が保たれている〟ことを目標にしているからです。

「私、おろさなきゃダメ?
看護師さんは、私をよく知ってるでしょう?
看護師さんなら、どう思う?」

私たちは、こういう難しい問題に直面することがあります。
身体科の看護師であれば、「そういうことはご家族で話し合ってください」と言うでしょう。身体科ではその対応で正しいのです。
でも、私たちは、そういった問題に無関係ではありません。
だから、私たちはしばしば答えのない問題に向き合います。

彼女は、その日、母親に迎えに来てもらい、実家で一晩過ごしてもらいました。
そして、翌日、改めて来院してもらいました。彼女のこれからについて、主治医とケースワーカーと話し合うためです。

その日、彼女は両親と一緒に来院しました。
そして、話し合いの約束の時間を待合で待っていました。

両親は落ちつかない様子で、ソワソワと待合の壁際に立っていました。

彼女はというと待合のテレビ前に座って、テレビを凝視していました。
それはもう、異様なほど真剣な面持ちでテレビを見ていたのです。

待合を見渡すと、他にもテレビに釘付けになっている患者さんが数名いました。
医事課の事務員さんまで、会計カウンターの外に出てきて、テレビを見ていました。
待合は異様なざわめきに満ちていました。

どうしたことだろうと思ってテレビを見ると、
テレビでは、他県で起こった地震について報道していました。
大規模な地震でした。
津波も発生し、街を津波が飲み込んでいく様が、ヘリコプターから撮影されていました。
海から離れた場所では火災も起こっていました。

彼女は、意識が画面に吸い込まれてしまったみたいに、その映像を見つめていました。
身動き一つせず、
まばたきもせず、
この世の終わりを見つめるような形相で見つめていました。

私は心配になって、彼女の隣に座りました。

彼女は、私をチラリと見ると、またテレビを見つめました。そして、隣にいる私にようやく聞こえるくらいの小さな声でこう言いました。

「この地震で、いっぱい、人が亡くなったのかな」

それから、お腹に手をあててこう言いました。

「私のここにも命がいるの。
一昨日、エコーでみたの。小さな袋に小さな丸いものが入ってた。
まだ、人の形はしてなかったけど、心臓が動いてた。お医者さんが心臓の音を機械で聞かせてくれたの。
これは、確かに命だなって思った。
私が守らなきゃいけない命だって」

そして、彼女はぽろりと泣いた。

「私がちゃんとした母親だったら、この命が守れるのに……。
死ななくてすむのに……」

彼女は、宝物を包むように両手をお腹にあて、次から次へと涙をこぼしました。

テレビ画面では、ヘリコプターで浸水した家から子供が助け出される様子が映っていました。家にはまだ母親らしき女性が映っていました。
女性は、まだ自分が危険な場所にいるにもかかわらず、子供が無事にヘリコプターへ引き上げられるのを見て、泣きながら安堵の表情を浮かべていました。

私は、テレビを見つめる彼女の背中に、そっと手を当てました。
すると、彼女は私の肩にもたれて声をたてて泣きました。

私たち精神科の看護師は、
患者さんの人生に深く関わることがあります。

彼女はその後、主治医やケースワーカーと面談を重ね、支援体制を整えてから出産しました。
彼女は、時々、子供を連れて外来にやってきます。
今ではすっかり母親の顔になりました。

そんな彼女を見ていると、時々、ある光景を思い出します。
夜間出入り口の前にパジャマ姿で立っていた彼女の様子です。
あの時、彼女が立っていた場所は、
夜間出入り口ではなく、人生の岐路でした。
彼女にとっての岐路であり、お腹の子にとっての岐路でした。

彼女は、子供に〝のぞみ〟と名づけました。
希望と書いて、のぞみと読ませていました。

彼女は、ある日、のぞみちゃんを外来に連れてきました。
そして、彼女はのぞみちゃんを膝にのせ、宝物を抱くように大事そうにのぞみちゃんを両手で抱いていました。

彼女は、どんな思いで〝のぞみ〟と名づけたんでしょう。

自分のお腹の命を守れるかどうか分からなくて泣いていた彼女は、様々な問題を乗り越えて母親になりました。
きっと彼女にとったら、お腹の命は〝希望〟そのものだったんでしょう。

彼女と、彼女の希望の子が、幸せであるように、私は手を合わせ祈るような気持ちで、
日々仕事に励んでいこうと思います。




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