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息子から母へ
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僕がショックを受けたのは、母が認知症になったことではない。
親だろうが、誰だろうが、人はみないつか老いる。
幼い頃ーー、
駆けよるぼくを抱き上げ、
僕のお腹を温かな料理でみたし、
いつでも母として背筋を伸ばし、
僕に安心と安らぎを与えてくれていた母も、いつかは老いることが分かっていた。
人は老いたら、
刃こぼれするみたいに、
少しずついろんなものを失っていく。
体力も気力も少しずつ減り、頭の具合も少しずつ悪くなって、人生の終焉に向かっていく。
その過程で、認知症になることも人によってはあるだろう。
そう思っていたので、母が認知症になることは予想の範囲内だった。
僕が驚いたのは、そのことではない。
僕が、母に対してこう感じてしまったことだ。
〝この人は、誰だろう〟
認知症になった母は、まるで別人のようだった。
〝人格〟とはなんだろう。
人を、その人たらしめるもの。
それは、人間の中のどこにあるのだろう。
僕は、母が認知症になるまで、〝人格〟は〝柱〟のように、確固たるものとして、人間の中にあり続けると思っていた。
例え、歳とってボケてしまっても、〝その人らしさ〟のようなものは、損なわれないと思っていた。
しかし、認知症になった母は、まるで僕の知らない人のようだった。
幼い頃、駆けよると抱き上げてくれたあの優しい眼差し。
夕方、キッチンに立つ母の、料理をする横顔。鍋のグツグツいう音、〝もうすぐできるからちょっと待ってね〟という優しい声ーー、
空腹なのに心はすでに満たされているような、あの優しい夕方の時間。
あの頃を彷彿とさせるような母は、もうそこにはいなかった。
「セツコさん、最近は、あんなふうにトイレの中の手洗い場に歯磨き用のコップとか、紙皿とか、紙スプーンとか、ストローとかを持っていて、物で排水溝をつまらせてしまったり、差し入れのバナナやプリンを手でグチャグチャにしたり、それをテーブルに並べたりするんです」
老人ホーム「ことぶき」の職員が、僕の隣に立って、僕にそう説明してくれた。
僕たちは、「ことぶき」の一室にいた。
そこは、母の部屋で、個室になっていた。
母は、会話する僕らが目に入っているのかいないのか、部屋に備え付けられたトイレの中で手洗い場の蛇口をひねって、紙皿を洗おうとしていた。
「お母さん、ダメだって。
そんなことをしたら、紙が溶けて、また排水溝がつまるから」
僕が止めようと母の腕をつかむと、母は急に大きな声を出した。
「ああああああ!!」
そして、ガバッとこちらに振り返った。その目には、怒りが満ちていた。
「触るな!!」
母から、そのようににらまれるのは初めてのことだった。
それは親が子に向ける視線ではなかった。母は僕を叱ったことはたくさんあるが、どんな時でも、その目には親としての冷静さと、親としての温かな眼差しが入り混じっていた。
「老人ホームのスタッフの方にも、こんなふうに怒るんですか?」
「……そうですね。昼間はわりとお話が通じるんですけど、夕方になるとあまり会話が通じなくなるし、怒りっぽくなることが多くて……。特に、さっき息子さんがされたみたいに、やろうとしていることをスタッフが止めると、セツコさんはとても怒りますね……」
僕は悲しいような、情けないような、なんとも表現しがたい気持ちを感じていた。
〝人に迷惑をかけないように、人を思いやれる人になりなさい〟
昔、母は僕によくそう言った。そして、母自身も、それをきちんと体現する人だった。
母は、まさに僕の生きる道しるべだった。
そんな母が、こんなふうになってしまうなんて……。
• • •
「今から帰るよ」
妻に電話でそう告げて、短い会話を交わしてから電話を切った。タバコを灰皿に押し付けて消し、シートベルトをしめ、ハンドルに手を乗せる。
「ことぶき」の駐車場を出て、ビルや並木に囲まれた二車線道路を走り、六十代の妻が待つ我が家に向かう。
今日は日曜日で、娘夫婦が孫を連れて遊びにきているので、妻は今頃孫に食べさせる料理を張り切って作っているはずだ。
夕陽がさす街並みを走りながら、僕はそう思った。
ーー暗い声ね。
妻は電話の向こうでそう言っていた。
ーーお義母さん、どうだった?
ーーどうってことはないよ、と僕は答えた。
ーー前回様子を見にいったときと、なんにも変わりない。ボケたままだよ。
淡々と僕は答えた。
ーーそう。
妻はそれ以上何も聞かなかった。だけど、その声には労わるような響きが含まれていた。
妻は僕が落ち込んでることを見抜いていたにちがいない。
僕が子どもだったころ、誰よりも僕の心を見抜いてくれるのは母だった。
だけど、無理やり心の中をのぞきこもうとはしない人だった。
友達とケンカをした日も、
自信のあったテストで悪い点をとった日も、
サッカー部で先発メンバーから下された日も、
〝なぜ落ち込んでるの〟などと問いただしたりはしなかった。その代わり、夕食に僕の好物をたくさん作ってくれて、そっと僕にエールを送ってくれた。
就職して、県外で一人暮らしを始めると、母は時々ダンボールに食べ物をつめて送ってくれた。
ダンボールに貼られた送り先の欄に書かれた僕の名前は、少しクセのある母の字で書かれていた。
ダンボールを開けると、そこには冷凍された母の手料理がプラスチック•バッグに入ってたくさん詰められていた。
懐かしい母の得意料理の数々。
そして、ダンボールの中には、必ず手紙が添えられていた。
「毎日お疲れ様。しっかり栄養をつけてね」
「仕事はどうですか? あなたのペースでやりなさいね。体だけは大事にしてね」
「就職して一年、よくがんばりました。おいしいもの、たくさん食べてね」
「昇進おめでとう。お母さんもお父さんも喜んでます。責任が増えたぶん、大変なこともあるだろうけど、無理はしないようにね」
母がくれた、たくさんの手紙たちーー。
僕は結婚したあとも、時々、押入れの奥から母の手紙を引っ張り出して読み返すことがあった。
子供が生まれた時とか、子供が小学校に上がった時とか、人生の節目節目に、時々……。
でも今は、書いた本人がその手紙のことを忘れてしまっているだろう。
車は夕闇の中を淀みなく走る。
車の両サイドの窓の外を、日の暮れた街がすり抜けていく。
僕も母も、長い長い時をくぐり抜けてきた。
僕と母の過去はーー、僕の知っている母は、過去のどこかに置き去られ、もうどこにも見当たらないのだ。
• • •
「お困りの様子ですね」
メガネをかけた僕と同年代の男が、僕を労わるような目をして椅子に腰かけている。
僕と母も椅子に腰をかけて、その男と向かい合っていた。
母がその男に、ふいに手を伸ばす。
「ダメだよ、触ったら」
「いや、かまいませんよ」
男は穏やかな笑みを浮かべる。
母は、立ち上がると、男の着ていた白衣の襟に触れた。
「お医者さんに失礼だよ」
僕はそう言ったが、目の前の男ーー母の主治医である認知症専門医のハタケナカ先生は、
「いえいえ、たぶん、襟の折り目を直そうとしてくれているんでしょう」
と言った。
僕は苦笑した。
手洗い場に濡れた紙皿を詰まらせたり、グチャグチャに手でつぶしたバナナをテーブルに並べたり、訳がわからないことばかりしているくせに、他人の襟を直そうとするなんて……。
僕は最近の老人ホームでの様子をハタケナカ先生に説明した。
「こうやって説明しながらも、なんとも情けない気持ちになります。
施設のスタッフさんには、迷惑をかけてばかりで……」
そう言いながら母をチラリと見る。
母は自分の話をされていることすら、分かっていない様子で、ぼんやりとした目をしていた。
ここが病院で、診察を受けているということもわかっていないのかもしれない。
しきりと自分の服のボタンをいじったり、椅子の肘置きを叩いてみたりしている。
「セツコさん自身は、何は困ったことはないですか?」
ハタケナカ先生は、母の顔をのぞきこんで問いかけた。
「お母さん、先生が聞いてるよ。なんか困ったことはないの?」
母は、パチクリと目を瞬かせると、僕を見てこう言った。
「どうかした?」
「どうかしたじゃないよ。お母さんがなんか困ってないかって」
「何? お腹すいたの? なんか、つくろうか?」
そう言って立ち上がると、ハタケナカ先生の肩をつかんで、
「ちょっと、冷蔵庫あけてみて」
と言った。
「なんか入ってない? 野菜でも肉でもいいけど……。ご飯はいつでもたくさん炊いてあるからね……」
そんなことを言いながら、肘置きに手を置いて、のろのろと歩き出す。
「あら、コンロはどこだったかな?」
僕は、母の腕をつかむと、
「何をおかしなこと言ってんだ」
と怒った顔をして言った。
「ここ、家じゃないよ! 病院‼︎
もう、余計なことしなくていいから、とにかく大人しく座ってて!」
母は、途端にクシャクシャッと悲しそうな顔をした。
叱られた子どもみたいだった。
そして、どうしたらいいのか分からないみたいに立ち尽くしてしまった。
その顔を見て、僕はよりいっそう悲しいような、やるせないような気持ちを感じた。なぜ、母を子どもが叱らないといけないだろう。
なぜ、母のクシャクシャの顔を見ないといけないだろう。
僕だって叱りたいわけじゃない。
母がなんにも困るようなことをしなけりゃ、叱る必要もないのに。
どうして、母は僕を困らせるんだろうーー。
僕は、悲しみと同時に、いらだたしさを感じていた。
「息子さん」
ハタケナカ先生が、ゆっくり立ち上がる。
そして、ゆっくりと僕の隣にやってくると、こんな言葉を僕に言った。
「お母さんは、立派ですね」
「え?」
僕は驚いてハタケナカ先生の顔をのぞきこんだ。
ハタケナカ先生は僕に微笑みかけると、母と視線の高さを合わせるように腰を屈めて顔をのぞきこんだ。そして、穏やかに笑いかけた。
「セツコさん、あなたは立派なお母さんですね」
そして、ハタケナカ先生は母の手をとり、両手で包みこんだ。
「今でも、あなたは一生懸命家事をしてお母さんをやっているつもりなんですよね?」
ーーえ?
僕は、どういうことか分からなくて、首を傾げた。
「先生、今でも家事をしているつもりって、どういうことですか?」
「セツコさんは、今自分が何歳で、どこに住んでいるのかも分かっていません。
この場所が診察室なのかキッチンなのか、それすら判断がつきません。
家事の仕方なんて、もうだいぶ前に忘れてしまっています。
それでも、抜け落ちていく記憶をかき集めて、一生懸命、家事をしようとしているんですよ。
昔みたいに」
僕はハッとした。
僕は……、僕はずっと勘違いしていた。
母はボケて訳がわからないことをやって施設の人や主治医を困らせてばかりいると思っていた。
でも、それは、違っていたのだ。
僕は、老人ホームのスタッフから聞いた母の様子を思い出してみた。
〝セツコさん、最近は、あんなふうにトイレの中の手洗い場に歯磨き用のコップとか、紙皿とか、紙スプーンとか、ストローとかを持っていて、物で排水溝をつまらせてしまったり、差し入れのバナナやプリンを手でグチャグチャにしたり、それをテーブルに並べたりするんです〟
差し入れを手でグチャグチャにしてテーブルに並べるのは、何かしら料理を作っているつもりだったのかもしれない。
紙皿や紙コップを手洗い場で洗うのは、料理の後片付けをしていたつもりだったのかもしれない……。
母のやっていることは、
母の中では、ちゃんと意味があったのだ。
大事な意味があったのだ。
「母は、認知症になった今でも、昔と同じように家事を毎日しつづけていたんですね……」
ハタケナカ先生はうなずいた。そして、こう僕に問いかけた。
「それは誰のためでしょうね」
僕は、ハタケナカ先生の目をのぞきこんだ。
ハタケナカ先生は、僕に優しい瞳を向けた。
「あなたのためだと思いますよ」
僕の中に、いくつもの記憶がよみがえる。
駆けよった幼い僕を、優しく抱き上げる母ーー。
夕方、ランドセルを背負って歩く廊下。廊下にただよう手料理のにおい。キッチンをのぞくと、そこにある料理をつくる母の後ろ姿。
ダンボールにつめられた母の手料理と、手紙の数々ーー。
母は、今でも、僕の知る母だったーー。
僕を育てた過去の時間を、母として生き続けていたーー。
「ありがとう……」
自然と、口からそんな言葉がこぼれていた。
僕と母の視線が合った。
僕は、まじまじと母の顔を眺めた。
僕の子供の頃に比べ、シワが増え、皮膚のハリはなくなり、骨と皮だけになって小さく縮んだみたいに見えるその顔にたくさんの年月を感じた。
あと、母は何年生きられるんだろう。
僕は、これから、母に何が残せるんだろうーー。
• • •
病院から施設までの道中、母は助手席に乗って車の振動に揺られながら、ずっと野菜を刻むような仕草をしていた。
左手を左膝の上に添え、右手で見えない包丁を持っているみたいに、トントントントンとリズミカルに動かしている。本当に野菜でも刻んでいるみたいだった。
「刻まなくていい。刻まなくていい」
僕は苦笑した。
それから、母の右手をそっと握りしめてみた。
母は、見えない野菜を刻むのをやめて僕を見つめてきた。キョトンとした目をしている。
僕は、運転しながらチラチラと母の顔を眺めた。
思えば、認知症になってからあまり母と顔を見合わせることがなかった。
認知症になった母をマジマジと見るのが怖かったのだと思う。積み上げてきた母の像が壊れてしまう気がして。
でも、認知症になった母の中にも、ちゃんと母が生きていると分かって、僕はとても嬉しかった。
これからは、母らしさを探すために、母をまっすぐに受け止めてみようと思う。
住宅地の細道を、ゆっくりと静かに車は走る。
夕陽の色が住宅地を染めている。
僕が車の窓を開けると、どこかの家から、ゆうげのにおいがした。
僕は懐かしい気持ちを感じた。
赤信号に引っかかり、車を停めてあたりの景色を眺めながら窓枠の上に肘をついた。
その時、ふと、頭の左側に何かが触れた。
左隣を見ると、母が僕の頭をそっとなでていた。
幼い子の頭をなでるみたいに。
僕の頭の中に、過去の景色が川の流れのように流れ込んでくる。
キッチンにたつ母の姿。お腹をすかせて駆けよってきた僕に笑いかける顔。
〝もう少しだから待ってね〟
〝今日のごはん何?〟
〝まだ秘密。でも、あなたの大好きなものよ〟
〝えー、何、何?〟
僕の頭を撫でながら、母はふふふと優しく笑った。
母は、毎日、そんなふうに僕に料理を作りながら微笑んでくれた。
母はよく笑う。僕を見て、とても愛おしそうに笑う。
僕が生まれてから大人になるまで、母が僕に微笑んでくれた回数はいったい何回だろう。
おそらく、何万回と笑いかけてくれたのではないだろうかーー。
母の何万回の笑顔に、ありがとう。
今まで、ずっと感謝してこなかったけれど……。
• • •
車は、住宅地をひた走る。
現在、母のいる老人ホームに僕が訪ねていく頻度は週一回。
一年で四八回、母に会う計算になる。
滞在するのは、せいぜい一時間。
だから、僕が一年のうちに母と過ごす時間は、おおざっぱに考えたら四八時間かそこらだ。
たった四八時間……。
そう考えるとすごく短い。
母が生きるのはあと何年だろう。
その間に、僕はどのくらい母と会話をし、何回くらい母に笑顔を届けられるだろうーー。
母の何万回分の笑顔には敵いそうにないけれど、これからは感謝をこめて母にたくさん微笑もう。
今が、その一回目だ。
どうか、何万回分の感謝が母に届きますようにーー。
~~続く。
親だろうが、誰だろうが、人はみないつか老いる。
幼い頃ーー、
駆けよるぼくを抱き上げ、
僕のお腹を温かな料理でみたし、
いつでも母として背筋を伸ばし、
僕に安心と安らぎを与えてくれていた母も、いつかは老いることが分かっていた。
人は老いたら、
刃こぼれするみたいに、
少しずついろんなものを失っていく。
体力も気力も少しずつ減り、頭の具合も少しずつ悪くなって、人生の終焉に向かっていく。
その過程で、認知症になることも人によってはあるだろう。
そう思っていたので、母が認知症になることは予想の範囲内だった。
僕が驚いたのは、そのことではない。
僕が、母に対してこう感じてしまったことだ。
〝この人は、誰だろう〟
認知症になった母は、まるで別人のようだった。
〝人格〟とはなんだろう。
人を、その人たらしめるもの。
それは、人間の中のどこにあるのだろう。
僕は、母が認知症になるまで、〝人格〟は〝柱〟のように、確固たるものとして、人間の中にあり続けると思っていた。
例え、歳とってボケてしまっても、〝その人らしさ〟のようなものは、損なわれないと思っていた。
しかし、認知症になった母は、まるで僕の知らない人のようだった。
幼い頃、駆けよると抱き上げてくれたあの優しい眼差し。
夕方、キッチンに立つ母の、料理をする横顔。鍋のグツグツいう音、〝もうすぐできるからちょっと待ってね〟という優しい声ーー、
空腹なのに心はすでに満たされているような、あの優しい夕方の時間。
あの頃を彷彿とさせるような母は、もうそこにはいなかった。
「セツコさん、最近は、あんなふうにトイレの中の手洗い場に歯磨き用のコップとか、紙皿とか、紙スプーンとか、ストローとかを持っていて、物で排水溝をつまらせてしまったり、差し入れのバナナやプリンを手でグチャグチャにしたり、それをテーブルに並べたりするんです」
老人ホーム「ことぶき」の職員が、僕の隣に立って、僕にそう説明してくれた。
僕たちは、「ことぶき」の一室にいた。
そこは、母の部屋で、個室になっていた。
母は、会話する僕らが目に入っているのかいないのか、部屋に備え付けられたトイレの中で手洗い場の蛇口をひねって、紙皿を洗おうとしていた。
「お母さん、ダメだって。
そんなことをしたら、紙が溶けて、また排水溝がつまるから」
僕が止めようと母の腕をつかむと、母は急に大きな声を出した。
「ああああああ!!」
そして、ガバッとこちらに振り返った。その目には、怒りが満ちていた。
「触るな!!」
母から、そのようににらまれるのは初めてのことだった。
それは親が子に向ける視線ではなかった。母は僕を叱ったことはたくさんあるが、どんな時でも、その目には親としての冷静さと、親としての温かな眼差しが入り混じっていた。
「老人ホームのスタッフの方にも、こんなふうに怒るんですか?」
「……そうですね。昼間はわりとお話が通じるんですけど、夕方になるとあまり会話が通じなくなるし、怒りっぽくなることが多くて……。特に、さっき息子さんがされたみたいに、やろうとしていることをスタッフが止めると、セツコさんはとても怒りますね……」
僕は悲しいような、情けないような、なんとも表現しがたい気持ちを感じていた。
〝人に迷惑をかけないように、人を思いやれる人になりなさい〟
昔、母は僕によくそう言った。そして、母自身も、それをきちんと体現する人だった。
母は、まさに僕の生きる道しるべだった。
そんな母が、こんなふうになってしまうなんて……。
• • •
「今から帰るよ」
妻に電話でそう告げて、短い会話を交わしてから電話を切った。タバコを灰皿に押し付けて消し、シートベルトをしめ、ハンドルに手を乗せる。
「ことぶき」の駐車場を出て、ビルや並木に囲まれた二車線道路を走り、六十代の妻が待つ我が家に向かう。
今日は日曜日で、娘夫婦が孫を連れて遊びにきているので、妻は今頃孫に食べさせる料理を張り切って作っているはずだ。
夕陽がさす街並みを走りながら、僕はそう思った。
ーー暗い声ね。
妻は電話の向こうでそう言っていた。
ーーお義母さん、どうだった?
ーーどうってことはないよ、と僕は答えた。
ーー前回様子を見にいったときと、なんにも変わりない。ボケたままだよ。
淡々と僕は答えた。
ーーそう。
妻はそれ以上何も聞かなかった。だけど、その声には労わるような響きが含まれていた。
妻は僕が落ち込んでることを見抜いていたにちがいない。
僕が子どもだったころ、誰よりも僕の心を見抜いてくれるのは母だった。
だけど、無理やり心の中をのぞきこもうとはしない人だった。
友達とケンカをした日も、
自信のあったテストで悪い点をとった日も、
サッカー部で先発メンバーから下された日も、
〝なぜ落ち込んでるの〟などと問いただしたりはしなかった。その代わり、夕食に僕の好物をたくさん作ってくれて、そっと僕にエールを送ってくれた。
就職して、県外で一人暮らしを始めると、母は時々ダンボールに食べ物をつめて送ってくれた。
ダンボールに貼られた送り先の欄に書かれた僕の名前は、少しクセのある母の字で書かれていた。
ダンボールを開けると、そこには冷凍された母の手料理がプラスチック•バッグに入ってたくさん詰められていた。
懐かしい母の得意料理の数々。
そして、ダンボールの中には、必ず手紙が添えられていた。
「毎日お疲れ様。しっかり栄養をつけてね」
「仕事はどうですか? あなたのペースでやりなさいね。体だけは大事にしてね」
「就職して一年、よくがんばりました。おいしいもの、たくさん食べてね」
「昇進おめでとう。お母さんもお父さんも喜んでます。責任が増えたぶん、大変なこともあるだろうけど、無理はしないようにね」
母がくれた、たくさんの手紙たちーー。
僕は結婚したあとも、時々、押入れの奥から母の手紙を引っ張り出して読み返すことがあった。
子供が生まれた時とか、子供が小学校に上がった時とか、人生の節目節目に、時々……。
でも今は、書いた本人がその手紙のことを忘れてしまっているだろう。
車は夕闇の中を淀みなく走る。
車の両サイドの窓の外を、日の暮れた街がすり抜けていく。
僕も母も、長い長い時をくぐり抜けてきた。
僕と母の過去はーー、僕の知っている母は、過去のどこかに置き去られ、もうどこにも見当たらないのだ。
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「お困りの様子ですね」
メガネをかけた僕と同年代の男が、僕を労わるような目をして椅子に腰かけている。
僕と母も椅子に腰をかけて、その男と向かい合っていた。
母がその男に、ふいに手を伸ばす。
「ダメだよ、触ったら」
「いや、かまいませんよ」
男は穏やかな笑みを浮かべる。
母は、立ち上がると、男の着ていた白衣の襟に触れた。
「お医者さんに失礼だよ」
僕はそう言ったが、目の前の男ーー母の主治医である認知症専門医のハタケナカ先生は、
「いえいえ、たぶん、襟の折り目を直そうとしてくれているんでしょう」
と言った。
僕は苦笑した。
手洗い場に濡れた紙皿を詰まらせたり、グチャグチャに手でつぶしたバナナをテーブルに並べたり、訳がわからないことばかりしているくせに、他人の襟を直そうとするなんて……。
僕は最近の老人ホームでの様子をハタケナカ先生に説明した。
「こうやって説明しながらも、なんとも情けない気持ちになります。
施設のスタッフさんには、迷惑をかけてばかりで……」
そう言いながら母をチラリと見る。
母は自分の話をされていることすら、分かっていない様子で、ぼんやりとした目をしていた。
ここが病院で、診察を受けているということもわかっていないのかもしれない。
しきりと自分の服のボタンをいじったり、椅子の肘置きを叩いてみたりしている。
「セツコさん自身は、何は困ったことはないですか?」
ハタケナカ先生は、母の顔をのぞきこんで問いかけた。
「お母さん、先生が聞いてるよ。なんか困ったことはないの?」
母は、パチクリと目を瞬かせると、僕を見てこう言った。
「どうかした?」
「どうかしたじゃないよ。お母さんがなんか困ってないかって」
「何? お腹すいたの? なんか、つくろうか?」
そう言って立ち上がると、ハタケナカ先生の肩をつかんで、
「ちょっと、冷蔵庫あけてみて」
と言った。
「なんか入ってない? 野菜でも肉でもいいけど……。ご飯はいつでもたくさん炊いてあるからね……」
そんなことを言いながら、肘置きに手を置いて、のろのろと歩き出す。
「あら、コンロはどこだったかな?」
僕は、母の腕をつかむと、
「何をおかしなこと言ってんだ」
と怒った顔をして言った。
「ここ、家じゃないよ! 病院‼︎
もう、余計なことしなくていいから、とにかく大人しく座ってて!」
母は、途端にクシャクシャッと悲しそうな顔をした。
叱られた子どもみたいだった。
そして、どうしたらいいのか分からないみたいに立ち尽くしてしまった。
その顔を見て、僕はよりいっそう悲しいような、やるせないような気持ちを感じた。なぜ、母を子どもが叱らないといけないだろう。
なぜ、母のクシャクシャの顔を見ないといけないだろう。
僕だって叱りたいわけじゃない。
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どうして、母は僕を困らせるんだろうーー。
僕は、悲しみと同時に、いらだたしさを感じていた。
「息子さん」
ハタケナカ先生が、ゆっくり立ち上がる。
そして、ゆっくりと僕の隣にやってくると、こんな言葉を僕に言った。
「お母さんは、立派ですね」
「え?」
僕は驚いてハタケナカ先生の顔をのぞきこんだ。
ハタケナカ先生は僕に微笑みかけると、母と視線の高さを合わせるように腰を屈めて顔をのぞきこんだ。そして、穏やかに笑いかけた。
「セツコさん、あなたは立派なお母さんですね」
そして、ハタケナカ先生は母の手をとり、両手で包みこんだ。
「今でも、あなたは一生懸命家事をしてお母さんをやっているつもりなんですよね?」
ーーえ?
僕は、どういうことか分からなくて、首を傾げた。
「先生、今でも家事をしているつもりって、どういうことですか?」
「セツコさんは、今自分が何歳で、どこに住んでいるのかも分かっていません。
この場所が診察室なのかキッチンなのか、それすら判断がつきません。
家事の仕方なんて、もうだいぶ前に忘れてしまっています。
それでも、抜け落ちていく記憶をかき集めて、一生懸命、家事をしようとしているんですよ。
昔みたいに」
僕はハッとした。
僕は……、僕はずっと勘違いしていた。
母はボケて訳がわからないことをやって施設の人や主治医を困らせてばかりいると思っていた。
でも、それは、違っていたのだ。
僕は、老人ホームのスタッフから聞いた母の様子を思い出してみた。
〝セツコさん、最近は、あんなふうにトイレの中の手洗い場に歯磨き用のコップとか、紙皿とか、紙スプーンとか、ストローとかを持っていて、物で排水溝をつまらせてしまったり、差し入れのバナナやプリンを手でグチャグチャにしたり、それをテーブルに並べたりするんです〟
差し入れを手でグチャグチャにしてテーブルに並べるのは、何かしら料理を作っているつもりだったのかもしれない。
紙皿や紙コップを手洗い場で洗うのは、料理の後片付けをしていたつもりだったのかもしれない……。
母のやっていることは、
母の中では、ちゃんと意味があったのだ。
大事な意味があったのだ。
「母は、認知症になった今でも、昔と同じように家事を毎日しつづけていたんですね……」
ハタケナカ先生はうなずいた。そして、こう僕に問いかけた。
「それは誰のためでしょうね」
僕は、ハタケナカ先生の目をのぞきこんだ。
ハタケナカ先生は、僕に優しい瞳を向けた。
「あなたのためだと思いますよ」
僕の中に、いくつもの記憶がよみがえる。
駆けよった幼い僕を、優しく抱き上げる母ーー。
夕方、ランドセルを背負って歩く廊下。廊下にただよう手料理のにおい。キッチンをのぞくと、そこにある料理をつくる母の後ろ姿。
ダンボールにつめられた母の手料理と、手紙の数々ーー。
母は、今でも、僕の知る母だったーー。
僕を育てた過去の時間を、母として生き続けていたーー。
「ありがとう……」
自然と、口からそんな言葉がこぼれていた。
僕と母の視線が合った。
僕は、まじまじと母の顔を眺めた。
僕の子供の頃に比べ、シワが増え、皮膚のハリはなくなり、骨と皮だけになって小さく縮んだみたいに見えるその顔にたくさんの年月を感じた。
あと、母は何年生きられるんだろう。
僕は、これから、母に何が残せるんだろうーー。
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病院から施設までの道中、母は助手席に乗って車の振動に揺られながら、ずっと野菜を刻むような仕草をしていた。
左手を左膝の上に添え、右手で見えない包丁を持っているみたいに、トントントントンとリズミカルに動かしている。本当に野菜でも刻んでいるみたいだった。
「刻まなくていい。刻まなくていい」
僕は苦笑した。
それから、母の右手をそっと握りしめてみた。
母は、見えない野菜を刻むのをやめて僕を見つめてきた。キョトンとした目をしている。
僕は、運転しながらチラチラと母の顔を眺めた。
思えば、認知症になってからあまり母と顔を見合わせることがなかった。
認知症になった母をマジマジと見るのが怖かったのだと思う。積み上げてきた母の像が壊れてしまう気がして。
でも、認知症になった母の中にも、ちゃんと母が生きていると分かって、僕はとても嬉しかった。
これからは、母らしさを探すために、母をまっすぐに受け止めてみようと思う。
住宅地の細道を、ゆっくりと静かに車は走る。
夕陽の色が住宅地を染めている。
僕が車の窓を開けると、どこかの家から、ゆうげのにおいがした。
僕は懐かしい気持ちを感じた。
赤信号に引っかかり、車を停めてあたりの景色を眺めながら窓枠の上に肘をついた。
その時、ふと、頭の左側に何かが触れた。
左隣を見ると、母が僕の頭をそっとなでていた。
幼い子の頭をなでるみたいに。
僕の頭の中に、過去の景色が川の流れのように流れ込んでくる。
キッチンにたつ母の姿。お腹をすかせて駆けよってきた僕に笑いかける顔。
〝もう少しだから待ってね〟
〝今日のごはん何?〟
〝まだ秘密。でも、あなたの大好きなものよ〟
〝えー、何、何?〟
僕の頭を撫でながら、母はふふふと優しく笑った。
母は、毎日、そんなふうに僕に料理を作りながら微笑んでくれた。
母はよく笑う。僕を見て、とても愛おしそうに笑う。
僕が生まれてから大人になるまで、母が僕に微笑んでくれた回数はいったい何回だろう。
おそらく、何万回と笑いかけてくれたのではないだろうかーー。
母の何万回の笑顔に、ありがとう。
今まで、ずっと感謝してこなかったけれど……。
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車は、住宅地をひた走る。
現在、母のいる老人ホームに僕が訪ねていく頻度は週一回。
一年で四八回、母に会う計算になる。
滞在するのは、せいぜい一時間。
だから、僕が一年のうちに母と過ごす時間は、おおざっぱに考えたら四八時間かそこらだ。
たった四八時間……。
そう考えるとすごく短い。
母が生きるのはあと何年だろう。
その間に、僕はどのくらい母と会話をし、何回くらい母に笑顔を届けられるだろうーー。
母の何万回分の笑顔には敵いそうにないけれど、これからは感謝をこめて母にたくさん微笑もう。
今が、その一回目だ。
どうか、何万回分の感謝が母に届きますようにーー。
~~続く。
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精神科閉鎖病棟の、
今もなお存在する課題についてつづった短編。
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