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7話 アランの本音

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 慌てて立ち上がり、窓を閉める。タイミングよくアランが戻ってきた。

「アラン、窓の外が夜になってしまったの? 何かあったのかしら?」
 心配になって訊ねると、私の顔を見たアランが、ぷっと噴き出し、口を覆って笑い出した。

 何が起こったのかわからない私は、笑っているアランをぼんやりと眺める。
 やがてアランは顔を戻し、「失礼しました」と謝った。胸ポケットから取り出したハンカチで、私の顔を拭う。

「え? ちょっと‥‥‥」
 戸惑って体を引くと、荷物から手鏡を取り出し見せてくれた。

 鏡に映るのは、鼻先と頬が黒く染まった私の顔。
「どうして、こんなことに?」

「トンネルに入ると、汽車の煤が入ってくるのです。警笛が鳴りませんでしたか?」
「警笛? 気づかなかったわ」

「では、今後汽車に乗る時、警笛が鳴ればすぐに窓を閉めてください。でないと、また、ふふ‥‥‥煤けますよ」
 注意を促しながらも、最後は明らかに笑っていた。私を座らせてから、ハンカチで顔を拭ってくれる。

 むくれながら、でもおとなしくされるがままになる。こんな顔では、顔を洗いに個室から出ることもできない。アランに甘えない、とさっき思ったばかりなのに。

 優しい笑みを浮かべながら、やっていることは私のお世話。当たり前のようにしているけれど、アランはどうして、ついてきてくれたのかしら、嫌じゃないのかしらと気になった。

 ふと、違和感に気づいた。いつもどおりの優しい表情なのに、いつもと違う。
「あ‥‥‥髪型」
 頭に沿うように固めていた髪が下りていて、こめかみを覆っている。まだ濡れていて、溜まった雫がぽたっと落ちた。

 いつもと違う雰囲気に、私の心臓が早鐘を打つ。
 腕を伸ばし、頬を濡らした雫を拭ってやると、アランは驚いたように軽く目をみはった。

「髪を洗ったの?」
「はい。実を言うと、髪が固いのは苦手だったのです」

「そう、だったのね。知らなかったわ」
「清潔さを求められていましたから、崩れる髪型はできなかったのです。でも、もう自由でよろしいのですよね」

「もちろんよ。あなたは執事じゃないもの」
「ありがとうございます。シェリーヌ様」

「敬称もいらないわ。私は貴族の身分を捨てて平民になるの。アランは執事でなくなったんだから、おかしいわ」

「そうですが‥‥‥急には無理です。わたしは生まれた時から執事教育を受け、シェリーヌ様が生まれた時から、お世話をさせていただいておりますから」

「ねえ、アラン」
 顔を拭いてくれているアランの手に、自分の手をそっと重ねる。

「どうして、私の世話を焼いてくれるの? 私は世間知らずで、あなたに面倒ばかりかけるのが目に見えているのに。自由になるチャンスを逃していいの? それとも私をアノルド国で降ろしてから、自由になるつもりなの?」

「シェリーヌ様をおひとりにはさせません。あなたといることが、わたしにとっての自由なのです」

「どうしてそこまでしてくれるの? お給金はもう出せないの。両親の領地は取られてしまったから」

「そんなものは、いりません。使う暇がなかったので、個人資産はそれなりにありますから」
「それじゃあ、情? 全てを失った私が可哀想だから?」

「いいえ。情でついてきたのではありません。わたしがいるのは、ご迷惑ですか? 新しい生活を始めるのに、わたしがいると踏み出せませんか?」

「そんなわけないわ! とても心強いの。でも、私はアランに甘えてしまう。頼ってしまうから、成長できないでしょう?」
 顔を拭うために顎に軽く添えられていた指が、私の頬を包み込む。

「甘えてください、頼ってください。成長のお手伝いは、わたしがいたします」
 アランの真摯な言葉が、私の胸を打つ。一歩踏み込みたい。踏み込んでもいいかしら? と何かが私の背中を押した。

「側近として?」
 酷く弱々しい声。アランが、何と言うのか、返事を聞くのが怖い。けれど、訊いてしまったからには、答えが知りたい。返事によっては、今後一緒にいるのがつらくなるかもしれないのに。

「側近としてではありません」
 はっきりと、違うと否定してくれた。でも、私が訊きたいのはその先。アランの心が知りたい。

 見つめあっていたのに、アランの視線が少し外れた。顔を拭っていた右手が持ち上がる。
 優しく撫でるのは、アランがくれた髪留め。

 もう一度、目を合わせてくれる。

「身分がなくなるのですから、叶わぬ恋に身を焦がさなくていい。あなたを諦めなくていい。ということですよね」

 今度は私が目をみはる番だった。


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