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第一部 出立
5話 出来る側近
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夜が明けきらないうちに、私は侯爵邸を出た。
気づかれないように、できる限り音をたてないように静かに移動したので、見送りはない。
寂しさなんて、全くない。ここの従業員たちはほぼ全員敵に近かったから。
8歳だった私がここに連れてきたのは、アランとクラリッサの2人だけ。
メイドのクラリッサは、屋敷のメイドたちに田舎者とイビられて心を疲れさせてしまい、一年で退職してしまった。
今は、私に戻るはずだった領地で兵士の夫と結婚し、子どもにも恵まれて、幸せに暮らしてると手紙で知らせてくれた。
新しく雇われたリタは、私よりも雇い主に従うメイドなので、心を許したことはない。
メイドとしての仕事はよくやってくれていたとは思うけれど、給料分の仕事以上は期待できない人だった。
リタに何も言わずに出てきたけれど、もう会うこともないだろうし、構わない。
トランクを両手で持ち上げる。重たいけれど、心に夢と希望が満ちているので、持ちこたえられるはず。
辻馬車で駅に向かって、汽車に乗る。予定。
どちらも使ったことがないからうまく乗れるかわからないけれど、やってみないとわからない。
人に訊ねながら、行ってみましょう。
ゆっくりと空が白み始める中、足を踏み出す。すると、急にトランクの重さがなくなったのを感じた。瞬間、体のバランスが崩れた。
「きゃあ」
「失礼いたしました」
ウエストに手を回されて支えられたお陰で転ばずにすんだけれど、耳元で聞こえた男性の声に体が強張った。
「声をお掛けしてからと思ったのですが、あまりにも不安定な歩きかたをなさっておいででしたので」
「ア‥‥‥アラン?」
顔を向けると、見慣れた側近の顔が近くにあった。アランだとわかって、強張っていた体から力を抜く。
「お持ちいたします」
トランクを奪われた。
重さを感じないのか、軽々と自分の荷物と私のトランクを持って歩いて行く、アランの隣に並ぶ。
「どうして? アラン」
「主従関係は終わりと宣告され、首になりましたので、自由意志でやって参りました」
「首までは言っていないわ」
「再雇用して頂けるのですか」
「雇わないわ。もう、そういう関係は終わりにするの」
「左様ですか。では、自由にさせて頂きます」
「好きにすればいいわ。話し方だって、変えていいのよ」
「よろしいのですか」
「ええ。だって、私はもう、貴族でないのですもの」
「‥‥‥いえ、今はまだ、いつもどおりで過ごしましょう。お嬢様と側近で」
「なぜ?」
「明らかに身分が違う服を着ているのに、変な目で見られます」
言われて気がついた。アランはいつものタキシードではなくて、少しばかりきれいな平民用のスーツを着ていた。
一方の私は旅行用スーツ、服と色を合わせた緑のグローブ、髪を隠すための大きなつばのある帽子。これでも抑えてきたのだけれど。
アランはすたすたと歩いて行き、道端に停まっている馬車に近寄った。御者と話をした後、戻ってくる。
「お乗りください」
「え? ええ」
これが辻馬車なのかしらと思いながら、アランのエスコートで乗り込んだ。
ふだん貴族学校に向かう際に使う馬車と変わりない快適さで、学校のある方向とは逆の道を進む。
私は見納めになる街の様子を見つめた。
白い石造りで、同じ高さで、ベランダの階数も決まっている建物が整然と並んでいる。
同じ外観だから、お店には絵や文字の書かれた木製の看板が設置されている。早朝だから、どのお店も扉を固く閉ざしていた。
私はお店で商品を買ったことがない。屋敷に出入りをする商人に用立てもらっていた。緊急で必要な場合は、アランに頼んでいた。
これからは自分の手と足で、好きな場所に行き、好きな物を買える生活になるはず。不安はあるけれど、期待のほうが大きい。
駅で停まった馬車から降りて、私たちは駅舎に入る。開業してまだ5年ほどのレンガ造りの駅舎は、身分社会から飛び出そうとする私を祝福してくれるかのように、輝いて見えた。
「こちらをどうぞ」
アランから渡された白い紙きれを受け取る。紙には文字が書かれていた。ルクディア王国からアノルド国へ。それと番号がいくつか。
「これは何?」
「鉄道切符です。それがないと汽車に乗れません」
「大切な物なのね。どうしてそれが、あなたのスーツの内ポケットから出てくるのかしら?」
「昨日のうちに手配しておきました。アノルド国に向かうと仰せでしたので。あそこに立っている駅員にお見せください」
言われるがまま、私は駅員とやらに紙きれを見せる。
「ご利用ありがとうございます」と恭しく頭を下げられ、その横を通る。
黒い車体を光らせた汽車が、二台止まっていた。うちの一台に迷いなくアランは進む。案内された車両は、個室だった。
「発車してから車掌が切符の確認に参りますので、お預かりいたします」
切符はまたアランの内ポケットに収まった。
次回⇒6話 私の過去と未来
気づかれないように、できる限り音をたてないように静かに移動したので、見送りはない。
寂しさなんて、全くない。ここの従業員たちはほぼ全員敵に近かったから。
8歳だった私がここに連れてきたのは、アランとクラリッサの2人だけ。
メイドのクラリッサは、屋敷のメイドたちに田舎者とイビられて心を疲れさせてしまい、一年で退職してしまった。
今は、私に戻るはずだった領地で兵士の夫と結婚し、子どもにも恵まれて、幸せに暮らしてると手紙で知らせてくれた。
新しく雇われたリタは、私よりも雇い主に従うメイドなので、心を許したことはない。
メイドとしての仕事はよくやってくれていたとは思うけれど、給料分の仕事以上は期待できない人だった。
リタに何も言わずに出てきたけれど、もう会うこともないだろうし、構わない。
トランクを両手で持ち上げる。重たいけれど、心に夢と希望が満ちているので、持ちこたえられるはず。
辻馬車で駅に向かって、汽車に乗る。予定。
どちらも使ったことがないからうまく乗れるかわからないけれど、やってみないとわからない。
人に訊ねながら、行ってみましょう。
ゆっくりと空が白み始める中、足を踏み出す。すると、急にトランクの重さがなくなったのを感じた。瞬間、体のバランスが崩れた。
「きゃあ」
「失礼いたしました」
ウエストに手を回されて支えられたお陰で転ばずにすんだけれど、耳元で聞こえた男性の声に体が強張った。
「声をお掛けしてからと思ったのですが、あまりにも不安定な歩きかたをなさっておいででしたので」
「ア‥‥‥アラン?」
顔を向けると、見慣れた側近の顔が近くにあった。アランだとわかって、強張っていた体から力を抜く。
「お持ちいたします」
トランクを奪われた。
重さを感じないのか、軽々と自分の荷物と私のトランクを持って歩いて行く、アランの隣に並ぶ。
「どうして? アラン」
「主従関係は終わりと宣告され、首になりましたので、自由意志でやって参りました」
「首までは言っていないわ」
「再雇用して頂けるのですか」
「雇わないわ。もう、そういう関係は終わりにするの」
「左様ですか。では、自由にさせて頂きます」
「好きにすればいいわ。話し方だって、変えていいのよ」
「よろしいのですか」
「ええ。だって、私はもう、貴族でないのですもの」
「‥‥‥いえ、今はまだ、いつもどおりで過ごしましょう。お嬢様と側近で」
「なぜ?」
「明らかに身分が違う服を着ているのに、変な目で見られます」
言われて気がついた。アランはいつものタキシードではなくて、少しばかりきれいな平民用のスーツを着ていた。
一方の私は旅行用スーツ、服と色を合わせた緑のグローブ、髪を隠すための大きなつばのある帽子。これでも抑えてきたのだけれど。
アランはすたすたと歩いて行き、道端に停まっている馬車に近寄った。御者と話をした後、戻ってくる。
「お乗りください」
「え? ええ」
これが辻馬車なのかしらと思いながら、アランのエスコートで乗り込んだ。
ふだん貴族学校に向かう際に使う馬車と変わりない快適さで、学校のある方向とは逆の道を進む。
私は見納めになる街の様子を見つめた。
白い石造りで、同じ高さで、ベランダの階数も決まっている建物が整然と並んでいる。
同じ外観だから、お店には絵や文字の書かれた木製の看板が設置されている。早朝だから、どのお店も扉を固く閉ざしていた。
私はお店で商品を買ったことがない。屋敷に出入りをする商人に用立てもらっていた。緊急で必要な場合は、アランに頼んでいた。
これからは自分の手と足で、好きな場所に行き、好きな物を買える生活になるはず。不安はあるけれど、期待のほうが大きい。
駅で停まった馬車から降りて、私たちは駅舎に入る。開業してまだ5年ほどのレンガ造りの駅舎は、身分社会から飛び出そうとする私を祝福してくれるかのように、輝いて見えた。
「こちらをどうぞ」
アランから渡された白い紙きれを受け取る。紙には文字が書かれていた。ルクディア王国からアノルド国へ。それと番号がいくつか。
「これは何?」
「鉄道切符です。それがないと汽車に乗れません」
「大切な物なのね。どうしてそれが、あなたのスーツの内ポケットから出てくるのかしら?」
「昨日のうちに手配しておきました。アノルド国に向かうと仰せでしたので。あそこに立っている駅員にお見せください」
言われるがまま、私は駅員とやらに紙きれを見せる。
「ご利用ありがとうございます」と恭しく頭を下げられ、その横を通る。
黒い車体を光らせた汽車が、二台止まっていた。うちの一台に迷いなくアランは進む。案内された車両は、個室だった。
「発車してから車掌が切符の確認に参りますので、お預かりいたします」
切符はまたアランの内ポケットに収まった。
次回⇒6話 私の過去と未来
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