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30. サイン会

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 サイン会当日、昨日買った本を持って夜7時ごろに書店に着いた。
 お店の人の案内に従って向かうと、長蛇の列ができていた。

 整理番号順に進んでいるとのことだったので、後から来た人とお互いに番号を確認しながら並ぶのを繰り返す。

 昨日、周防荘兼の名前で検索してみたところ、イケメン作家として話題になっていた。今日並んでいる人が女性ばかりなのも納得できる。

 紫外線アレルギーのことも明かしていた。

 今まで家族にも明かしていなかった、覆面作家だった彼が顔を出した理由も語られていた。
 入院した家族に、自分の作品を読んでもらいたい、と思ったのがきっかけだったと。
 それが後に映画化された恋愛小説だった。

 サイン会の前に読もうと思っていたけれど、彼に会える嬉しさが勝ってしまって、集中して読めなかった。
 今、少し読もうかな。

 本を開いてみたけれど、どうしても別のことを考えてしまう。

 彼に初めて会った日のことや、惹かれた時の気持ち、雨を待ちわびていたこと。思い切って声をかけた時の緊張、少しずつ距離が縮まっていき、彼の自宅に上がらせてもらった思い出。

 そして初めてのデート。

 フラれはしたけれど、全部すてきな思い出だった。初恋が彼で良かったと、胸を張って言える。

 この三年、誰のことも好きにならなかった。遊びに誘ってくれるクラスメイトがいたけれど、私の心は動かなかった。

 基準が小野さんになっていた。
 彼を越える人は現れないかも。私は誰とも恋をしないかも。

 一生、片想い。

 それでもいいと思えるぐらい、小野さんを好きになっていた。

 思い出に浸っている間に列はゆっくりと進み、会場が見えてきた。
 行列の先にテーブルがあり、男性が座ってペンを入れている。

 どきんと、心臓が跳ね上がる。

 間違いなく、小野さんだった。私が初めて好きになった人が、周防荘兼としてそこにいる。

 作家の名前でも、彼は自然体だった。緊張しているようには見えず、貼り付けたような笑みを浮かべてもいないし、キャラを作ってもいない。

 ゆっくりとサインを書き、どことなく陰のある笑みで本を手渡している。
 なんとなく、彼らしいなと思った。

 そんな余裕のある状態で彼を眺めていたのが、近づいていくにつれ、心がそわそわと落ち着かなくなってくる。
 心臓が激しく拍動し、体が熱くなってくる。

 帰りたい気持ちと、ここまで来て帰るなんて、と二人の私がせめぎ合う。

 どきどきしながらも、ゆっくりと列は進んでいく。

 ついに、次が私の番になった。

 前の人がサインをしてもらった本を受け取り、少し話したあとテーブルから離れた。

 彼の目が私に留まる。

 アンニュイな笑顔が崩れた。はっとしたように口が小さく開く。

「どうぞ」と係の人に促されて、私は緊張しながら歩を進めた。

「お願いします」
 彼が書いた本を、彼に差し出す。

 彼は戸惑うように瞳を揺らして私を見ていたけど、顔を落としてペンを取った。

 日付と、ローマ字でさらさらとサインを書き、ハンコを押す。

「あの、お名前は?」
 申し訳なさそうな顔で訊ねてくる。そんな表情がかわいかった。

「滝川彩綺です」
 私の名前を記入して、紙を挟んで、
「今日はありがとうございました」
 と手渡してくれた。

「ありがとうございました。お体に気をつけて頑張ってください。応援しています」
 私はそれだけを伝えて、離れた。

 話したい気持ちはあるけれど、私の後ろにもまだ人が並んでいる。
 知り合いだからといって親しくするのは、ファンの人たちに失礼だと思った。
 また縁があれば、会えるかもしれない。

 いつか会えるといいな。そう思いながら、彼の前から立ち去った。

 誘導に従って進むと、店内に出た。

 お菓子作り本のコーナーでぱらぱらと見ていると、スマホが鳴った。

 本を置いて鞄からスマホを取り出す。

 メッセージの着信があった。
「え?!」
 たった今、サインを書いてもらった小野さんから、メッセージが届いていた。


   次回⇒31. 会いたくなかった人
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