上 下
30 / 60

30. サイン会

しおりを挟む
 サイン会当日、昨日買った本を持って夜7時ごろに書店に着いた。
 お店の人の案内に従って向かうと、長蛇の列ができていた。

 整理番号順に進んでいるとのことだったので、後から来た人とお互いに番号を確認しながら並ぶのを繰り返す。

 昨日、周防荘兼の名前で検索してみたところ、イケメン作家として話題になっていた。今日並んでいる人が女性ばかりなのも納得できる。

 紫外線アレルギーのことも明かしていた。

 今まで家族にも明かしていなかった、覆面作家だった彼が顔を出した理由も語られていた。
 入院した家族に、自分の作品を読んでもらいたい、と思ったのがきっかけだったと。
 それが後に映画化された恋愛小説だった。

 サイン会の前に読もうと思っていたけれど、彼に会える嬉しさが勝ってしまって、集中して読めなかった。
 今、少し読もうかな。

 本を開いてみたけれど、どうしても別のことを考えてしまう。

 彼に初めて会った日のことや、惹かれた時の気持ち、雨を待ちわびていたこと。思い切って声をかけた時の緊張、少しずつ距離が縮まっていき、彼の自宅に上がらせてもらった思い出。

 そして初めてのデート。

 フラれはしたけれど、全部すてきな思い出だった。初恋が彼で良かったと、胸を張って言える。

 この三年、誰のことも好きにならなかった。遊びに誘ってくれるクラスメイトがいたけれど、私の心は動かなかった。

 基準が小野さんになっていた。
 彼を越える人は現れないかも。私は誰とも恋をしないかも。

 一生、片想い。

 それでもいいと思えるぐらい、小野さんを好きになっていた。

 思い出に浸っている間に列はゆっくりと進み、会場が見えてきた。
 行列の先にテーブルがあり、男性が座ってペンを入れている。

 どきんと、心臓が跳ね上がる。

 間違いなく、小野さんだった。私が初めて好きになった人が、周防荘兼としてそこにいる。

 作家の名前でも、彼は自然体だった。緊張しているようには見えず、貼り付けたような笑みを浮かべてもいないし、キャラを作ってもいない。

 ゆっくりとサインを書き、どことなく陰のある笑みで本を手渡している。
 なんとなく、彼らしいなと思った。

 そんな余裕のある状態で彼を眺めていたのが、近づいていくにつれ、心がそわそわと落ち着かなくなってくる。
 心臓が激しく拍動し、体が熱くなってくる。

 帰りたい気持ちと、ここまで来て帰るなんて、と二人の私がせめぎ合う。

 どきどきしながらも、ゆっくりと列は進んでいく。

 ついに、次が私の番になった。

 前の人がサインをしてもらった本を受け取り、少し話したあとテーブルから離れた。

 彼の目が私に留まる。

 アンニュイな笑顔が崩れた。はっとしたように口が小さく開く。

「どうぞ」と係の人に促されて、私は緊張しながら歩を進めた。

「お願いします」
 彼が書いた本を、彼に差し出す。

 彼は戸惑うように瞳を揺らして私を見ていたけど、顔を落としてペンを取った。

 日付と、ローマ字でさらさらとサインを書き、ハンコを押す。

「あの、お名前は?」
 申し訳なさそうな顔で訊ねてくる。そんな表情がかわいかった。

「滝川彩綺です」
 私の名前を記入して、紙を挟んで、
「今日はありがとうございました」
 と手渡してくれた。

「ありがとうございました。お体に気をつけて頑張ってください。応援しています」
 私はそれだけを伝えて、離れた。

 話したい気持ちはあるけれど、私の後ろにもまだ人が並んでいる。
 知り合いだからといって親しくするのは、ファンの人たちに失礼だと思った。
 また縁があれば、会えるかもしれない。

 いつか会えるといいな。そう思いながら、彼の前から立ち去った。

 誘導に従って進むと、店内に出た。

 お菓子作り本のコーナーでぱらぱらと見ていると、スマホが鳴った。

 本を置いて鞄からスマホを取り出す。

 メッセージの着信があった。
「え?!」
 たった今、サインを書いてもらった小野さんから、メッセージが届いていた。


   次回⇒31. 会いたくなかった人
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

不遇な王妃は国王の愛を望まない

ゆきむらさり
恋愛
稚拙ながらも投稿初日(11/21)から📝HOTランキングに入れて頂き、本当にありがとうございます🤗 今回初めてHOTランキングの5位(11/23)を頂き感無量です🥲 そうは言いつつも間違ってランキング入りしてしまった感が否めないのも確かです💦 それでも目に留めてくれた読者様には感謝致します✨ 〔あらすじ〕📝ある時、クラウン王国の国王カルロスの元に、自ら命を絶った王妃アリーヤの訃報が届く。王妃アリーヤを冷遇しておきながら嘆く国王カルロスに皆は不思議がる。なにせ国王カルロスは幼馴染の側妃ベリンダを寵愛し、政略結婚の為に他国アメジスト王国から輿入れした不遇の王女アリーヤには見向きもしない。はたから見れば哀れな王妃アリーヤだが、実は他に愛する人がいる王妃アリーヤにもその方が都合が良いとも。彼女が真に望むのは愛する人と共に居られる些細な幸せ。ある時、自国に囚われの身である愛する人の訃報を受け取る王妃アリーヤは絶望に駆られるも……。主人公の舞台は途中から変わります。 ※設定などは独自の世界観で、あくまでもご都合主義。断罪あり。ハピエン🩷

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~

白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。 国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。 幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。 いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。 これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。

処理中です...