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第五話 櫻木陽美 ~出逢い~

お見合い

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 櫻木さんと過ごした時間は、緊張はしたけれど夢を見ていたような、楽しい時間だった。
 ちゃんと受け答えをしないといけないと頭をしっかり使ったからか、話の内容はほぼ覚えている。

 櫻木さんの勤め先は櫻木グループの保険会社。
 きょうだいは五人で、彼は末っ子。
 お兄さんとお姉さんが二人ずつ。
 年は二十五歳で、わたしの四歳上。誕生日は九月のたしか八日。

 中学高校時代は水泳、大学時代はボート部に所属し、インカレで銀メダルを獲得した。
 でも金と僅差だったので悔しかったと楽しそうに話した。
 今はダイビングと釣りが趣味で、海釣りに行くために船舶免許を取った。

 わたしは運動音痴なので、水泳は苦手。でも船は好きだった。
 家族旅行で船に乗って島にあるホテルに行ったり、遊覧に行ったりした。
 弟妹は飽きて寝てしまい、父は船に酔って母に看病されていた。
 わたしは揺れも潮風も気持ちよくて、ずっと甲板にいた。
 船が立てる波を眺めているのも好きだし、遠い地平線を見つめているのも好きだ。
 周囲に何もないのがいいのかもしれない。道路も建物も人もなく、森や山に視界が遮られることもない。

 船いいですよねと返したら、ぜひクルーザーで海に行きましょうと誘われた。
 ちゃんとわかってる。彼は合わせてくれただけって。
「機会がありましたらぜひ」
 と返したけれど、彼とわたしの人生が今後交わるとは思っていない。

 わたしのことも訊ねられたので、少し話をした。
 書道以外にピアノを長く習っていたと話すと、
 「それでピアノの演奏に聴き耳を立てていたんですね」と納得していた。

 櫻木さんは別のジャンルの音楽が好きで、クラシックは好んでは聴かない。
 ご両親はクラシック好きでたまにコンサートに足を運んでいる。
 三番目のお姉さまがヴァイオリンを嗜まれている。

 わたしの小学校からの親友がスイスの音大にいて、ヨーロッパを中心に活動していると話すと、両親に訊ねてみますと興味を持ってくれた。

 彼の会話のテンポはゆったりして、落ち着いていた。
 自身の話をしながらも、わたしのことも訊ねてくれる。
 自分の話ばかりをされるのも疲れてくるし、質問ばかりされるのも嫌だ。その緩急の付け方が上手だった。

 素敵な人だなと思う。彼はわたしをどう思ったのだろう。
 話の下手な地味な子。
 そんな印象を持ったんじゃないかしら。
 ぱっと人目を惹く華やかさがないのは自覚している。
 家族からは化粧映えのしない顔なんて言われてるし、街で声をかけられたことなんてない。

 響子ちゃんと一緒にいるときだけはあった。響子ちゃん目当てなのは明らかだった。
 会社でも個人的に食事に誘ってくれる人はいない。
 なんだか寂しい人生だなと、二十一歳を超えた今になって気がついた。
 同級生ではもう出産している子もいるらしい。早いなあ。

 わたしはきっとお父さんが持ってくるお見合いで結婚するんだろうなと、ぼんやり思っている。
 恋愛に興味がないわけではない。好きな俳優さんだっている。
 ただ想像がつかないのだ。わたしが誰かに恋心を抱いて夜も眠れなくなるとか、思い出すだけで顔が熱くなるとか、誰かと好きな人を奪いあうとか。
 わたしの場合先に折れて譲っちゃいそうだ。

 櫻木さんとはあれで最後だろう。
 また会いたい。そんな気持ちは抑えて、わたしは筆を執った。

 素敵な時間を過ごさせてもらい、お土産はとても美味しくて、家族みんな頬を緩ませていたと。
 感謝の気持ちを心を込めて綴り、投函した。

 驚いたことに、翌々日に手紙が届いていた。これはきっと同じ頃に出したのだろう。
 タイミングが重なった。ただそれだけのことで嬉しくなった。たまたまなのにね。

 それからしばらく、何もなかった。いつもの毎日が訪れた。手紙も電話もない。わたしも手紙を書かなかった。

 バレンタインデーを迎える頃、街中はハートで埋もれ、チョコの甘い匂いが漂うようだった。
 部署の男性陣にいつもお世話になっている義理チョコを買いに行った。
 ふと櫻木さんを思い出した。彼はチョコをいくつもらうんだろう。
 中には義理じゃない本気もあるんだろうな。だけどわたしは行動に移さなかった。

 あれは楽しい思い出だったとすっかり終わらせていた二月の末、話があると両親から呼ばれた。
 リビングのテーブルには大きな白封筒が置かれていた。

「陽美、おまえに見合いの話がきた。正直働き始めたばかりでまだ早いと思うが、こういうことはご縁だから。だが、気が進まなければ、断っていい。結婚はお前のしたいようにすればいいから。わたしたちに気を遣ってするものではないから。よく考えて決めなさい」
 お父さんがわたしをじっと見つめて真剣に言う。こういう言い方をしたのは、お相手がきっと仕事関係の方だから。

 ついに来た。お父さんの言う通り、予想していたより早かった。でもいつ来ても受け入れようと決めていた。わたしは封筒の中を見ずに「お受けします」と答えた。

「陽美ちゃん、一生を決めることなのよ」
 お母さんが心配そうに見つめてくる。
「姉ちゃん、見なくていいのか」
「ハゲでデブだったらどうするの?」
 和彦と明美も心配顔で声をかけてくる。二人にとっては義兄になるんだもんね。
 でも、「禿頭でもふくよかでも構いません」
 と一蹴すると、もう誰も何も言わなかった。

「日取りを決めるぞ。いいんだな。まあ、見合いしてからでも断ることはできるから」
 お父さんの優しさに、わたしは微笑んで返した。
「はい。いつでも大丈夫です」
「これはお前が持っていなさい」

 渡された封筒を、わたしは一度も開けなかった。
 中に相手の写真とプロフィールが入っているのはわかっている。
 どんな前情報もない、フラットな状態で会おうと決めていた。

 先方にお渡しするわたしのお見合い用の写真が必要とのことで、すぐに撮影をして用意し、父が持って行った。

 三月の中旬。良く晴れた日、わたしと両親はお見合いの場所に設定された料亭にタクシーで向かった。
 今回も着物を着せられた。軽いトラウマがあるのでできれば着たくなかったのに、お見合いだからと母に諭された。その代わり崩れない程度に緩く着付けてもらった。帰りには着替えて帰られるように、洋服も準備して行った。荷物は増えるのだけど、また他人様に迷惑をかけるわけにはいかないから。

 仲居さんに案内され、部屋に入る。
 今回のご縁を取り持ってくださったお仲人さんも、お相手のご家族もまだだった。
 わたしたちはかなり時間に余裕を持って向かったから、当たり前なんだけど。

 帰りに着替えて帰りたい旨を仲居さんに伝え、わたしを挟んで出入口側の席に腰を下ろした。
 床の間には紅白梅と鶯が描かれた掛け軸が飾られている。
 隣の床脇棚の違い棚は取り払われ、生花を活けた陶製の花瓶が置いてある。
 障子は下部がスライドする摺り上げ雪見障子になっていて、ガラスの向こう側にはきれいな庭が見えた。
 畳からは仄かにイ草が香っていて、小学校入学前まで育った祖父母宅を思い出し、少し落ち着いた。

 先方とお仲人さんがいつ現れるかわからないので、背筋を伸ばして正座をして座椅子に座っていたら、母から今は楽にしていなさい、持たないわよと言われて、足を崩した。

 着物は疲れるなあと思っていたら、お手洗いに行きたくなってしまった。
 途中退席はしたくないので、仕方なくトイレに向かう。

 小用を済ませ部屋に戻ろうとした廊下で、見知った顔にでくわした。
「櫻木さん?!」
「あ、白木さん。こんにちは。今日はお着物なんですね」

 どうしてこんなところに櫻木さんがいるんだろう。
 よりによってお見合いの日に、お見合いの場所で出会ってしまうなんて。

 櫻木さんはお正月の懇親会のときのような、かっちりとしたスーツに身を包んでいた。
 お仕事の関係? それとも櫻木さんもお見合い?
 わたしはパニックになって、「失礼します」と頭を軽く下げて、彼の横をすり抜けた。

 だって「どうしてここに?」と尋ねられたらお見合いで、と答えないといけない。
 彼にはお見合いだと知られたくなかった。

 部屋まで早足で戻ったので、少し息が切れてしまった。
 心と呼吸を整えてからゆっくりと襖を開くと、仲人の斎藤ご夫妻と、先方のご両親がいらしていた。

「娘の陽美です」
「お待たせ致しました。陽美と申します。本日はよろしくお願い申し上げます」

 父から紹介され、頭を下げる。
 両ご夫婦とは一生関わることになるかもしれないから、やっぱり良い印象を持たれたい。

「可愛らしいお嬢様。息子はすぐに戻りますから、先に始めましょうか」
 先方は両親よりも年上に見えた。
 なんとなく見覚えがあったのと、父の相手を立てる対応を見ていると、やはり仕事関係の方なのだろうと察せられた。それならわたしの方からお断りをするなんてできるわけがない。父はどういう真意で断ってもいいと言ったのだろう。

 料理は部屋の予約時に済んでいたらしい。仲居さんに飲み物の注文をしていると、背後の襖が開いた気配がした。
「お待たせしてすみません」
 正面に座った人に目をやって、わたしは呆気に取られた。
 櫻木一馬さん。彼がお見合いの相手だった。
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