30 / 59
第二部 海野汐里
30 ママの愛情
しおりを挟む
「あら、食感いいじゃない。味はちょっと薄いけど」
「塩を入れて茹でると、食感が良くなるんだって。味は基本を覚えなさいって。学校で食べた時より、染みてるよ」
夕食の席、肉じゃがと鯖の塩焼き、学校で作ったキュウリの酢の物を食べている。
学校で何を作ったの? とママからメッセージが届いて知らせていたから、それに合うご飯を作ってくれた。
「これが基本なんだ。我が家のご飯は味が濃いのかもね」
ママは小気味いい音を立てて、キュウリを咀嚼している。
我が家の料理は味が濃い、とは今まで思ったことがなかった。でも学校で作ったキュウリの酢の物を食べていると、肉じゃがの味が濃く感じられた。
「ママは、どうやって料理を覚えたの? お祖母ちゃんに教えてもらったの?」
お祖母ちゃんのご飯は、血圧を気にして味が薄めだった。高齢者独特の味付けだと思っていたけど、体のためだけじゃなくて、味覚にもいいのかもしれない。
「ママは、結婚するまでほとんどしなかったの。結婚したら出来るようになると思ってたのよね。バカだったわ」
「急に出来るようになるわけないよ」
「ほんとにそう。お祖母ちゃんから料理の本をもらったり、テレビの料理番組録画しておいたり。仕事の方が楽だなって思いながら、勉強したのよ」
キッチンには、背表紙が三センチほどの、分厚くて年季の入った本がある。あれはお祖母ちゃんの物だったんだ。
「ママって結婚したの、何歳だったの?」
「26。汐里が生まれたのが28の時。で、四年後にあなた」
ちらっとこっちを見て、微笑んだ。
「26で結婚って、早い方なの?」
「当時は25歳が結婚適齢期って言われてたのよ」
「25で? 大卒だと、まだ社会人三年だよ。早くない? 歯科衛生士は、何年で卒業?」
「今は三年か四年だけど、ママたちの頃は二年。20歳で卒業して、一回で国家試験通った」
「すごい。じゃあ、六年働いてたんだ。それくらいならちょうどいいかなって、気がする。ねえ、どうして歯科衛生士だったの?」
「医療人に憧れてたの。白衣姿がかっこよくって」
「看護師とか、お医者さんじゃなかった理由は?」
「血がね。あんまり見たくないなって。でも衛生士も血を見るけどね。抜歯とか、歯槽膿漏で。もう慣れたけど」
「辞めたいって思ったことなかった? 学校とか職場で」
「あるわよ。しょっちゅう」
しょっちゅう、というワードに驚いて、箸が止まる。
「そんなに頻繁にあるんだ」
「かっこ悪いから、あんまり言いたくないけど、親だって人間だからね。嫌なことがあったら、逃げたいって思っちゃう時もあるわよ。でもね、子供たちがいるから頑張れるの」
「責任から?」
「もちろん責任もあるけど、それ以上に、お金のことで苦労させたくないから、かな。留学したいって言ったらさせてあげたいし、医学部に入りたいって言ったら塾通い。国公立に落ちたら授業料の高い私学でしょ。パパだけのお給料だと、余裕がないから、ママも頑張らないとってね」
「ママは凄いね。パパもだけど。私たちのために頑張ってくれてるんだね」
「子供の成長だけが楽しみだから。麻帆には厳しいこと言っちゃったって、後悔したのよ。もっと話を聞いて、麻帆の置かれた状況をわかってあげないといけなかったなって。あんなにつらい思いは、もうたくさん」
ママは首を振る。
私の事故の一年後に、麻帆が同じ海で。
たくさん心配かけてごめんねって言おうとしたけれど、言葉が出なかった。
ごめんねの言葉だけでは軽すぎると感じるほどに、私たちへの母の想いを知ったから。
わかってはいた。両親の愛情を。
わかっていながら、私たちは甘えていた。両親の愛情に。
私も悪かった。
でも、私は謝った。
張本人が、まだ謝っていない。
頭の中で引きこもっている麻帆にわかってもらわないといけない。
それが私の役目。
ねえ麻帆。起きてるのはわかってるんだよ。
夕飯を食べだしてから気がついた。麻帆が起きたことに。
頭の中に話しかけたら、麻帆が縮こまったのを感じた。
「今日の実習、楽しかった?」
ママは空気を変えるように、明るい声を出す。
「知らない事がたくさんあって、戸惑いもあったけど。楽しかったよ」
だから私も、努めて明るく応じた。
「無理はしないでいいからね。思い詰めちゃうほどなら、逃げてもいい。逃げた先に。また苦労があると思うけど、きっとなんとかなるから。麻帆は、運の強い子だから」
ママからのエールを、麻帆はわかっているのかな。
「うん。もうしない。もっとちゃんと話すから」
麻帆の代わりに、私がママに約束しておいた。
「塩を入れて茹でると、食感が良くなるんだって。味は基本を覚えなさいって。学校で食べた時より、染みてるよ」
夕食の席、肉じゃがと鯖の塩焼き、学校で作ったキュウリの酢の物を食べている。
学校で何を作ったの? とママからメッセージが届いて知らせていたから、それに合うご飯を作ってくれた。
「これが基本なんだ。我が家のご飯は味が濃いのかもね」
ママは小気味いい音を立てて、キュウリを咀嚼している。
我が家の料理は味が濃い、とは今まで思ったことがなかった。でも学校で作ったキュウリの酢の物を食べていると、肉じゃがの味が濃く感じられた。
「ママは、どうやって料理を覚えたの? お祖母ちゃんに教えてもらったの?」
お祖母ちゃんのご飯は、血圧を気にして味が薄めだった。高齢者独特の味付けだと思っていたけど、体のためだけじゃなくて、味覚にもいいのかもしれない。
「ママは、結婚するまでほとんどしなかったの。結婚したら出来るようになると思ってたのよね。バカだったわ」
「急に出来るようになるわけないよ」
「ほんとにそう。お祖母ちゃんから料理の本をもらったり、テレビの料理番組録画しておいたり。仕事の方が楽だなって思いながら、勉強したのよ」
キッチンには、背表紙が三センチほどの、分厚くて年季の入った本がある。あれはお祖母ちゃんの物だったんだ。
「ママって結婚したの、何歳だったの?」
「26。汐里が生まれたのが28の時。で、四年後にあなた」
ちらっとこっちを見て、微笑んだ。
「26で結婚って、早い方なの?」
「当時は25歳が結婚適齢期って言われてたのよ」
「25で? 大卒だと、まだ社会人三年だよ。早くない? 歯科衛生士は、何年で卒業?」
「今は三年か四年だけど、ママたちの頃は二年。20歳で卒業して、一回で国家試験通った」
「すごい。じゃあ、六年働いてたんだ。それくらいならちょうどいいかなって、気がする。ねえ、どうして歯科衛生士だったの?」
「医療人に憧れてたの。白衣姿がかっこよくって」
「看護師とか、お医者さんじゃなかった理由は?」
「血がね。あんまり見たくないなって。でも衛生士も血を見るけどね。抜歯とか、歯槽膿漏で。もう慣れたけど」
「辞めたいって思ったことなかった? 学校とか職場で」
「あるわよ。しょっちゅう」
しょっちゅう、というワードに驚いて、箸が止まる。
「そんなに頻繁にあるんだ」
「かっこ悪いから、あんまり言いたくないけど、親だって人間だからね。嫌なことがあったら、逃げたいって思っちゃう時もあるわよ。でもね、子供たちがいるから頑張れるの」
「責任から?」
「もちろん責任もあるけど、それ以上に、お金のことで苦労させたくないから、かな。留学したいって言ったらさせてあげたいし、医学部に入りたいって言ったら塾通い。国公立に落ちたら授業料の高い私学でしょ。パパだけのお給料だと、余裕がないから、ママも頑張らないとってね」
「ママは凄いね。パパもだけど。私たちのために頑張ってくれてるんだね」
「子供の成長だけが楽しみだから。麻帆には厳しいこと言っちゃったって、後悔したのよ。もっと話を聞いて、麻帆の置かれた状況をわかってあげないといけなかったなって。あんなにつらい思いは、もうたくさん」
ママは首を振る。
私の事故の一年後に、麻帆が同じ海で。
たくさん心配かけてごめんねって言おうとしたけれど、言葉が出なかった。
ごめんねの言葉だけでは軽すぎると感じるほどに、私たちへの母の想いを知ったから。
わかってはいた。両親の愛情を。
わかっていながら、私たちは甘えていた。両親の愛情に。
私も悪かった。
でも、私は謝った。
張本人が、まだ謝っていない。
頭の中で引きこもっている麻帆にわかってもらわないといけない。
それが私の役目。
ねえ麻帆。起きてるのはわかってるんだよ。
夕飯を食べだしてから気がついた。麻帆が起きたことに。
頭の中に話しかけたら、麻帆が縮こまったのを感じた。
「今日の実習、楽しかった?」
ママは空気を変えるように、明るい声を出す。
「知らない事がたくさんあって、戸惑いもあったけど。楽しかったよ」
だから私も、努めて明るく応じた。
「無理はしないでいいからね。思い詰めちゃうほどなら、逃げてもいい。逃げた先に。また苦労があると思うけど、きっとなんとかなるから。麻帆は、運の強い子だから」
ママからのエールを、麻帆はわかっているのかな。
「うん。もうしない。もっとちゃんと話すから」
麻帆の代わりに、私がママに約束しておいた。
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
マキノのカフェ開業奮闘記 ~Café Le Repos~
Repos
ライト文芸
カフェ開業を夢見たマキノが、田舎の古民家を改装して開業する物語。
おいしいご飯がたくさん出てきます。
いろんな人に出会って、気づきがあったり、迷ったり、泣いたり。
助けられたり、恋をしたり。
愛とやさしさののあふれるお話です。
なろうにも投降中
【完結】御食事処 晧月へようこそ 第5回ほっこり・じんわり大賞奨励賞受賞
衿乃 光希
大衆娯楽
第5回ほっこり・じんわり大賞奨励賞頂きました。
両親を事故で亡くし、三歳で引き取られた一穂と、幼い子供の養い親となる決意をした千里。
中学校入学まで仲の良かった二人の間に溝が入る。きっかけは千里の過去の行いのせいだったーー。
偽物の母娘が本当の母娘になるまでの、絆の物語。
美味しいご飯と人情話、いかがですか?
第7回ライト文芸大賞への投票ありがとうございました。86位で最終日を迎えられました。
陽だまりカフェ・れんげ草
如月つばさ
ライト文芸
都会から少し離れた、小さな町の路地裏商店街の一角に、カフェがあります。 店主・美鈴(みすず)と、看板娘の少女・みーこが営む、ポプラの木を贅沢に使ったシンプルでナチュラルなカフェには、日々ぽつりぽつりと人々がやって来ます。 いつの頃からそこにあるのか。 年齢も素性もわからない不思議な店主と、ふらりと訪れるお客さんとの、優しく、あたたかい。ほんのり甘酸っぱい物語。
狗神巡礼ものがたり
唄うたい
ライト文芸
「早苗さん、これだけは信じていて。
俺達は“何があっても貴女を護る”。」
ーーー
「犬居家」は先祖代々続く風習として
守り神である「狗神様」に
十年に一度、生贄を献げてきました。
犬居家の血を引きながら
女中として冷遇されていた娘・早苗は、
本家の娘の身代わりとして
狗神様への生贄に選ばれます。
早苗の前に現れた山犬の神使・仁雷と義嵐は、
生贄の試練として、
三つの聖地を巡礼するよう命じます。
早苗は神使達に導かれるまま、
狗神様の守る広い山々を巡る
旅に出ることとなりました。
●他サイトでも公開しています。
お料理好きな福留くん
八木愛里
ライト文芸
会計事務所勤務のアラサー女子の私は、日頃の不摂生がピークに達して倒れてしまう。
そんなときに助けてくれたのは会社の後輩の福留くんだった。
ご飯はコンビニで済ませてしまう私に、福留くんは料理を教えてくれるという。
好意に甘えて料理を伝授してもらうことになった。
料理好きな後輩、福留くんと私の料理奮闘記。(仄かに恋愛)
1話2500〜3500文字程度。
「*」マークの話の最下部には参考にレシピを付けています。
表紙は楠 結衣さまからいただきました!

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
サドガシマ作戦、2025年初冬、ロシア共和国は突如として佐渡ヶ島に侵攻した。
セキトネリ
ライト文芸
2025年初冬、ウクライナ戦役が膠着状態の中、ロシア連邦東部軍管区(旧極東軍管区)は突如北海道北部と佐渡ヶ島に侵攻。総責任者は東部軍管区ジトコ大将だった。北海道はダミーで狙いは佐渡ヶ島のガメラレーダーであった。これは中国の南西諸島侵攻と台湾侵攻を援助するための密約のためだった。同時に北朝鮮は38度線を越え、ソウルを占拠した。在韓米軍に対しては戦術核の電磁パルス攻撃で米軍を朝鮮半島から駆逐、日本に退避させた。
その中、欧州ロシアに対して、東部軍管区ジトコ大将はロシア連邦からの離脱を決断、中央軍管区と図ってオビ川以東の領土を東ロシア共和国として独立を宣言、日本との相互安保条約を結んだ。
佐渡ヶ島侵攻(通称サドガシマ作戦、Operation Sadogashima)の副指揮官はジトコ大将の娘エレーナ少佐だ。エレーナ少佐率いる東ロシア共和国軍女性部隊二千人は、北朝鮮のホバークラフトによる上陸作戦を陸自水陸機動団と阻止する。
※このシリーズはカクヨム版「サドガシマ作戦(https://kakuyomu.jp/works/16818093092605918428)」と重複しています。ただし、カクヨムではできない説明用の軍事地図、武器詳細はこちらで掲載しております。
※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
大江戸闇鬼譚~裏長屋に棲む鬼~
渋川宙
ライト文芸
人間に興味津々の鬼の飛鳥は、江戸の裏長屋に住んでいた。
戯作者の松永優介と凸凹コンビを結成し、江戸の町で起こるあれこれを解決!
同族の鬼からは何をやっているんだと思われているが、これが楽しくて止められない!!
鬼であることをひた隠し、人間と一緒に歩む飛鳥だが・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる