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最期の贈り物――橘 修(享年55歳)

1. 告別式

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「本日はお足元が滑りやすい中、父、おさむの葬儀にご会葬くださり、誠にありがとうございます」
遺影を抱いた若い男性が頭を下げると、内玄関から外の歩道まで立っている人たちの傘が小さく傾く。一様に黒い服を着、手には数珠がぶらさがっている。
「こんなに大勢の方にお見送りいただき、父も喜んでいることと思います。父は仕事中に突然倒れ、そのまま目を覚ますことなく帰らぬ人となりました。皆さま方には、生前、大変お世話になったことと存じますが、なにぶん突然のことで、何のお礼も申し上げることもできず。父に代わって長男の私が、皆さまに篤くお礼を申し上げます――」
洟をすする音。目尻を拭う人。告別式に訪れた人々の肩は重く下がっている。
パアアッン
棺と家族が乗り込んだ霊柩車が寂しげなクラクションを鳴らすと、滑るように走り出した。
見送る人々の心の内を表すかのような雨粒が、容赦なく降り注ぐ。
「気の毒にねえ」
「55歳でしょう。まだお若いのに」
「息子さんは成人されたばかりなんですってね。まだ大学生なんでしょう。せめて就職が決まっていたらねえ。心残りでしょうに」
「でも、痛みがないのは幸せよ。うちのお義母さんが末期になったときは壮絶でしたもの。看病するほうも心が痛むのよ」
「そういう意味では、長い闘病生活にならなくて良かったのかもしれないわねえ」
「一週間でしょう。入院」
「そうそう。貴子さん、だいぶ取り乱してらしたけど、少しは落ち着いたのかしら」
「今日は気丈に振舞ってらしたわよねえ」
「しばらくはやらなきゃいけないことがたくさんあるから、気も紛れるでしょうけど。その後よね、寂しく感じられるのは」
自宅での告別式に参列した近所に住む主婦たちは、他人事のような会話を交わし、それぞれの家へ帰って行った。
数時間後、小さい箱に収められた世帯主の修と共に、妻の貴子と長男の伸次が橘家に戻ってきた。
貴子は崩れるように居間のソファに座り込む。
「母さん。腹減ってない?」
「私は大丈夫よ。伸次はおなかすいたの? だったら何か作りましょうか」
立ち上がりかける貴子の肩を押さえ、
「いいよ。カップ麺ぐらいあるよね。母さんも疲れただろう。休んだら?」
伸次の勧めに貴子は「そうねえ」と肯きながら、そのまま動かなかった。
「あのさ……」
ぼんやりしている貴子に、伸次は何かを言おうとしながら、しかし言いにくそうにしている。
「……なあに」
「父さん、働き過ぎってことはなかった?」
「え?」
 力無く、天井の辺りをさまよっていた貴子の視線が、伸次に向けられる。
「だからさ、過労で倒れたんじゃないかって……」
「誰が言ってるの?」
「誰でもない。俺がそう思っただけだよ。健康診断ちゃんと受けてたの?」
「会社で受けてたわよ。何の問題もなかったと思うわよ」
「そう。もし過労だったらって、ちょっと思っただけ」
「そりゃ、次長だったんだもの。忙しいのは仕方がないわよ。でも大学時代に山で鍛えてたんだから、並の人よりは体力あったわよ。仕事のしすぎで倒れるなんて、一番あの人らしくないわ」
だからこそ、過信してたんじゃない? 伸次はそう言おうとして、けれど口には出さなかった。そう信じている母親を動揺させることはないだろうと。
伸次自身、葬儀を終えた今でも信じられないでいた。父親が突然、他界したことに。
一週間前スマホにかかってきた母親からの電話の声が、頭から離れない。
「倒れた……おと……お父さん……が」
息も絶え絶えで、倒れたのはむしろ母親の方ではないかと疑った。それぐらい貴子は憔悴していた。
授業をすっぽかし、慌てて電車に飛び乗った。片道二時間近くかかったおかげか、病院に着いた頃には冷静だった。
真っ白なシーツに横たわり、たくさんのチューブに繋がれた父親を見ても、取り乱すことはなかった。穏やかな寝顔を見て、すぐにでも回復するのではないかと思った。
実際、ベッドの傍らで泣き崩れている母親の肩に手をやり、「大丈夫だよ。目を覚ますさ」と声をかけたことを覚えている。
貴子の代わりに担当医の説明を聞いても、まだ回復すると信じていた。息を引き取る直前まで。
亡くなった時に、ようやくもう駄目なんだ、と悟った。
隣県の大学に受かったため、二年前に家を出て一人暮らしを始めた。ついこの間、成人式に出席するため帰省したところだが、友人たちと飲み歩いていたため、父母とほとんど話すことなく翌日にはアパートに戻った。
最近の父親がどのくらいの時間を仕事に費やしていたのか伸次は知らない。高校生だった頃の父親の帰宅時間は平均で午後九時頃だった。それが遅いのか早いのは、アルバイト経験しかない彼にはわからない。
次長に昇進したのは伸次が家を出たときと同時期だった。それからの帰宅時間を伸次はまったく知らないし、気にかけたこともなかった。
こんな急にいなくなるものだなんて思っていなかった。
まだまだいてくれるもの、と思って甘えていた。
大学をこのまま続けて大丈夫なのだろうか。これから授業料はもっと高くなる。一人親ならば、いくらか学費免除があるかもしれない。学校の事務員に相談してみないといけないだろう。
一人暮しは辞めて、自宅から通ったほうがいいだろうか。交通費はかかるけれど、部屋を借りているよりはまだ抑えられるだろう。この家に母親を一人で置いておくのは心配だった。
母親にはまだ先のことを考える余裕なんてないだろうから、自分で考えなければならない。けれども、まだまだ気持ちの整理はつきそうになかった。
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