【完結】とあるリュート弾きの少年の物語

衿乃 光希

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第三部 最終話

49 事故の後 2

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 ピエールが話を続けた。

「その後、ディーノの体調も落ち着いたので、療養を兼ねて、公爵がコモーレ湖の別荘へ我々を招待してくださいました。ここから北東に位置します。自然豊かな場所で心と身体を休めれば回復も早くなるのではないかと。
 残念なことにマウロは同行しませんでした。先生を死なせてしまったことで自分を責めてしまって、二度と手綱は握らないと仕事も辞めてしまいました」

「オレは一緒に行こうって誘ったんだけど、出発の日に姿を消してそれっきり」

「彼は出発前夜に僕のところに来ました。挨拶とご実家に戻ることを伝えに。実家の場所は教えてもらえませんでした。二十年共にしていたのに、僕は彼のことをほとんど知らなくて、我ながら情けなくなりましたよ。
 コモーレ湖には、僕とディーノだけで向かいました。道中、ディーノには先生の話をたくさんしました。僕と先生との出会いや、先生が心を奪われた女性の話、演奏会やリュートにまつわる話など、ディーノが先生から聞いたことのある話もありましたが、気にせず話をしました。先生の話を聞いているときのディーノの表情が、とても穏やかでしたから。僕自身も話をすることで救われていました」

「ピエールさんも、すごく楽しそうに話してくれたんだよ。オレは完璧な師匠しか知らないから、師匠の若い頃の話は人間臭くてとてもおもしろかった」

「先生もいろいろと失敗をして、今を築いてこられたからね。
 僕たちは別荘に一ヶ月ちょっと滞在させて頂きました。空気はとても澄んでいて、小鳥がさえずり、木々がさわさわと揺れ、湖で小さな魚を見たり足をつけたり。先生にもここで寛いでもらいたかったねなど云いながら、とてもゆったりとした時間を過ごしました。公爵様ご夫婦も邸内にいらっしゃったのですが、お気遣いくださり、僕たちの前にはほとんど姿をお見せになりませんでした。
 ディーノの足も徐々に回復に向かいましたが、傷がとても深く、以前のように動くことは叶いませんでした。それでも、毎日歩く距離を伸ばして、今のようにひきずりながらでも、ひとりで歩けるまで回復しました。
 けれども、僕たちはリュートのことだけは避けていました。僕はディーノが云いだすのを待っていて、ディーノは――」

「オレは完全に避けてた。気にはなってたんだ、楽器が無事だったのか。他の荷物は正直どうでも良かったんだけど、リュートが壊れてないか気がかりだった。だけど、考えるとここが痛くなって、口にできなかった」

 ディーノは自分の胸に拳を当てた。

「僕はディーノのそんな気持ちをわかっていませんでした。いつまでも公爵のお世話になっているわけにはいかないので、今後の話し合いをしたんです。仕事を再開させることが出来るのなら、リュートの練習をしてもらわねばなりませんし。しかし、実を云うと楽器はひとつも手元にありませんでした」

 ピエールが悔しそうに唇を噛んだ。

「事故の翌日、荷物の引き揚げのため現場に向かったのですが、荷物はおろか、生きていた方の馬もいませんでした。馬車の残骸と死亡した馬が転がっているだけで、我々の荷物はすべて盗られてしまったのです。先生が大事にされていたリュートも、リノさんに作って頂いたリュートも、ディーノのリュートも、演奏会で着用していた一張羅も、普段着に至るまで、すべて。
 ですので仕事を再開するのなら、楽器を買い一張羅も作らねばならない状態でした。時間がかかることがわかっていましたので、ディーノの意思を聞いておきたかったのです。ディーノさえその気なら、僕は全面的に後押しするつもりでした。公爵様ももちろんそのおつもりで、師匠の後を継げばいいのだと。誰もディーノの心を考えていなかったのです。ディーノにとっては親を失ったも同然だったのに、僕たちは、僕は気づけなかった」

 溜め息をこぼして、また口を開いた。

「先のことは少し考えさせて欲しいと云ったディーノに、公爵からお借りしたリュートを見せてしまったんです。喜ぶだろうと思って。
 それまで落ち着いて日々を暮らしていたディーノが、急に震えだして、顔色を失くして、取り乱しました。その段になって、僕はようやく気がつきました。今のディーノにリュートは禁句だったのだと。慌ててリュートを隠し、しばらくして震えは止まったのですが、それからディーノは塞ぎこむようになりました。受け答えが減って、僕に会うことさえ拒否するようになりました。食事は一緒にとるようにしていたのですが、部屋に籠もってひとりでとるようになって、一日の大半を一緒に過ごしていたのに、まったく逆になってしまいました」

 喉が渇いたのか、ピエールはエールをぐびりと呑んだ。
 口を挟まず聞いていた他のみんなも小休憩として、それぞれ飲み物を口にした。

 ピエールが続きを話す。

「ある日、部屋に書き置きがあるのを執事が見つけて届けてくれました。イレーネさんたちのところに帰ると書いてありました。もともとその予定でしたし、それもいいだろうと思っていたのですが、数日してディーノの足のことを思い出しました。怪我をした足で長い距離を歩くのは大変だろうと、急いで仕事を片付けて後を追ったのですが、途中で会うことができず、今になってしまいました」

 ピエールが隣のリノとロゼッタに向き、背筋を伸ばして居住まいを正した。

「大切なご子息をお預かりしたにもかかわらず、怪我させてしまい申し訳なく思っています。我々の長であったアニエッリに代わりまして、謝罪をさせて頂きます」

 テーブルに額がつきそうなほど、ピエールが頭を下げた。場所が店内でなければ立ち上がってもっと深く頭を下げていたかもしれない。

「やめてください」

 リノがピエールの肩に触れ、頭を上げさせた。

「あなた方がディーノを大切にしてくださっていたのは、ディーノを見ればわかります。もし虐げられるような生活をしていたのなら、あなたを見つめる目は濁っています。あんなに信頼しきった顔では見てくれませんよ」

 ディーノはうんうんと大きく頷いた。

「師匠がお父さんで、ピエールさんは兄さん、いやお母さんかも。マウロさんはいつもひとりでどこかに行っちゃうことが多かったから伯父さんとかかな」

「僕は母親役か。口うるさかったということかな」

 ピエールがおどけたように云うと、一同が笑った。少し緊張状態だった場が和む。

「ピエールさんのこと、口うるさいなんて思ったこと一回もないよ。学のないオレに礼儀作法や字やいろんなことをたくさん教えてくれた。すごく感謝してる」

 心からの思いを伝えると、ピエールは照れたような顔で笑った。

「つらいこともあったけど、楽しいことのほうが多かった。師匠のリュートが毎日聴けて、社交場で演奏できて、音楽家の友達もできて」

「リーゼさんのことかしら」

 手紙に書いたことを覚えていたのだろう、イレーネが云った。

 ディーノはうんと頷く。

「毎日が刺激的だった。一生分の刺激を味わったんじゃないかと思うんだ。だから・・・・・・もう、刺激は十分かなって」

「それは、つまり」

 ピエールに向けてうんと頷いた。

「ここに落ち着こうと思うんだ」
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