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四章 前を向いて

12.追い詰められていた

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「芙季ちゃんはちゃんと取材をしているし、誇張した記事も書いていない。少なくとも加害少女に関してはそう思った。その姿勢を近くで見たくて、同行させてもらった。被害少女についてもよくわかった。母親についてもな。示談には一切応じないと頑なで、少年院ですら納得できないの一点張りでな。生産性のある話し合いができなかった。昨日顧問弁護士から連絡がきて、驚いた。示談に応じると。芙季ちゃんのお陰で嘱託殺人未遂だと判明した。手紙の件も認めた。それが決定打になった。示談に応じざるを得ないと納得してくれた」

「手紙は、あったんですね」

「大切にとっていたそうだ。動画を上げた後に存在に気がつき、破棄しようとしたそうだが、娘に万が一のことがあった場合、最後に遺したものになると考え直したそうだ。筆跡鑑定の結果、娘が書いた物だと結果が出て、意見書とともに裁判所に提出した。裁判官の心証は良くなるはずだ」

「事実が捻じ曲げられたまま、処分が下されることにならなくて良かったです。彼女が目覚めてくれて、世間の批判を浴びる覚悟を決めたお陰ですね。彼女が選んだとおりになっていたら、真相がわからないままでした」

 美智琉が個人名を出さないので、芙季子も気を付けて話す。
 外では誰が聞き耳を立てているか、わからないから。

「懸命に救助してくれた人たちに感謝だな」
「ええ。彼女にも伝えてましたよ、範ちゃんが」

「追い詰められて、周囲を顧みる余裕もなくなっていたんだろうが、生きて欲しいと心から思うな。私の人生に関わったことがなくて、今後も関わることがないとしてもだ。助けを求めるすべての人に手を差し伸べてやることはできないから、いい加減なことを言うな、お前に何がわかると憤る人もいるだろうが、それでも生きて欲しいと私は言い続けたい」

「範ちゃんも同じように思っていました」
 美智留の意見に頷いて、芙季子は範子にも言えなかったことを告白してしまおうと思った。

「言いにくいんですけど、実は、わたしも死にたいと思っていました、つい最近の事です」

「な、んだと。芙季ちゃん、その考えはなくしてくれ。私のためになんて傲慢なことは言いたくないが、知り合いを失うのは怖いんだ」

 あの美智琉が身を乗り出して動揺した。冷静沈着に物事に当たっていた美智琉が、狼狽えた顔を見せるのは初めてだ。芙季子はすべてを打ち明けた。

「今年、妊娠をしたんです。でも、32週で死産してしまった。わたしのお腹の中で。とてもつらくて苦しくて、浸れる思い出もほとんどなくて、息子のところに生きたいと、何度も思っていました。未来に希望を持てなくなっていました。そんな折、事件が起きて。仕事に熱中していると、息子のことを忘れていられる時間があることに救われました。でも仕事を離れると息子に対する罪悪感が沸き上がって。そんな気持ちをごまかすために、さらに熱中しました。逃げだとわかっていても、忘れる時間がないと、生きていられなかった。先輩に、仕事が発散の方法でもいいと言ってもらえて、すっとしました。誰かに肯定してもらいたかったんです」

 美智琉が納得顔で頷いた。
「旦那には、相談しなかったのか」

「彼は、わたしに黙って四十九日の法要をしていました。葬儀は出産直後だから仕方がないと諦めましたが、四十九日法要まで黙ってされるとは思わなくて、喧嘩というか、不満をぶつけて以来話してないです」

「理由を訊いたのか」
「いえ。まだ……」
 逃げていることを自覚しているので、つい歯切れが悪くなってしまう。

「芙季ちゃん。今回の事件は、まもなく終焉を迎える。近いうちに、旦那ときちんと話した方がいい。感情的にならず、冷静さを保ってな」
 諭すように美智琉に言われる。

「はい。わかっています。このままではいけないことは」

「お腹の中で失ってしまったことは、相当につらいことだったろうと思う。おそらく一生忘れられるものではないぐらいの、大きなショックを受けただろう。芙季ちゃんが一番傷ついていることを、旦那も芙季ちゃんの家族も全員理解しているはずだ。だから、こんなことを言うのは酷かもしれない。余計に芙季ちゃんを傷つけてしまうかもしれないが……」

「なんですか」

 言い淀む美智留を促して出てきた言葉は、芙季子にとって思いがけないものだった。

「旦那も傷ついていることを忘れていないか。旦那にとっても初めての子で、戸惑い哀しみ、嘆いただろう。だが、子供より芙季ちゃんを心配しているんじゃないか。体のことも心のことも。君がいてくれて良かったと思っているだろうし、君が元気になるのなら、子供のことはしばらく目に触れないようにした方がいいかもしれないと、考えてはいないか? 旦那の本心をきちんと訊いて、芙季ちゃんが望んでいることを伝えてはどうだろうか」

 美智琉の言葉が胸に沁みる。
 自分のことしか考えられなくて、崇史がどう思って行動していたのか、考えもしなかった。
 宮前亜澄と同じように、自身も追い詰められていたのだと、芙季子は悟った。
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