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四章 前を向いて

⒐芙季子の戦い方

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 翌、早朝。芙季子はやけに高いテンションで目的の墓石に向かっていた。
 気持ちが昂っている理由は、寝ずに原稿を書き上げたからだ。

 範子と別れた後、編集部に戻り、デスクと外村に亜澄の告白を聞いてもらい、亜澄の希望と覚悟を援護したいことを伝えた。
 デスクは渋い顔をしていたが、必ず記事にする旨を約束すると、独占記事になると考えたのか、OKが出た。

 事務所には外村と向かう事になっているが、一度シャワーを浴びるため自宅に戻った。待ち合わせ時間の2時間前に自宅を出て、義実家の近くにある墓地にやってきた。

 今日は息子の四十九日。法要に行けなかったから、せめてお墓参りだけでも思って崇史に黙って出てきた。

 喧嘩をした日から3日が経ったが、崇史とはほとんど会話をしていない。
 喧嘩というより、芙季子が一方的に言葉をぶつけただけなので、崇史が何を思ったのか聞かないままになってしまい、顔を合わせづらかった。
 仕事に頭を向かわせている間は私的なことは忘れていられたが、息子の四十九日当日は、お墓参りに行くと決めていた。

 大村家の長男、明史はここに眠っている。のだと思う。
 話をしていないので、納骨まで済ませたのかは正直なところ分からなかった。
 でもおそらく済ませているだろうと検討をつけた。

 墓石の周りの落ち葉を拾い、目についた雑草を抜き取り、墓石を洗い、ろうそくや線香に火を灯す。
 花立てに先に生けられている花はまだ元気があったので、芙季子が買ってきた仏花も加える。
 水鉢に水を入れ、墓石にも水をかける。
 お供えは持ってこなかった。56週だった我が子に何をやればいいのかわからなかった。

 数珠を手に取り、手のひらを合わせる。
 お葬式にも法要にも出なかった事を詫び、我が子は今どうしているのかなと思いを馳せる。
 お腹に居る時、赤ちゃんに魂はあったのだろうか。
 話しかけていたことをどう感じていたのか。

 元気にお腹を蹴っていたのに、お腹の張りがあった頃に弱っていただろう我が子。
 あの時苦しんでいたのだろうか。助けを求めていたのだろうか。気づいてやれなかった母親を恨んでいるのではないか。何もしてやれなかった母親を、恨んでくれて構わない。あなたの苦しみがそれで消えるならと。

 死後の世界がどんな所なのか想像がつかず、芙季子は我が子にたくさんたくさん謝った。
 謝ったところで、明史の気持ちがわかるわけもないが、ただただ謝ることしかできなかった。

 スマホが着信を告げたことで、我に返った。
 流れていた涙を手の甲で拭いながら、鞄からスマホを取り出す。
 着信は外村だった。1時間近く手を合わせていて、足が痛い事にも気づいていなかった。

 電話に出て、武蔵小杉に墓参りに来ていることを告げると、こちらに回ってくれると言うので甘えることにした。

 ハンカチで顔を拭いてから、息子に告げる。
「ごめんね。お母さん、仕事に行かなくちゃ。また来るからね」

 ろうそくの火を扇いで消し、手早く片付ける。
 最後に墓石をゆっくりと見てから、踵を返した。

 外村と合流し、亜澄の所属する事務所がある三軒茶屋に向かう。
 コインパーキングに車を止めて、徒歩で探す。
 1階がカフェになっているビルの、2階と3階に事務所は入っていた。
 芙季子は腕時計を確認する。9時を少し過ぎたところ。

「行きましょう」
 エレベーターを使い、2階で降りる。目の前に結城エンターテインメントと書かれたドアがあった。

 鞄から成倫社の白封筒を取り出してから、ドアを開けた。

 受付テーブルの向こう側に、窓から光が入って来る開放的な空間がひろがっていた。
 パソコンを打っている人、電話をしている人、書類を手にパーティションで仕切られた打合せスペースに向かう人の姿が見える。

 芙季子たちの姿に気づいた女性が受付テーブルに向かってくる。

「おはようございます。ご用件をお伺い致します」
 胸元の社員証には楠元と書いてある。

 芙季子と外村は名刺を出し、
「御社所属の宮前亜澄について話がしたいのですが、ご担当者様をお願いできますでしょうか。緊急の要件のため、アポイントは取っておりません」
 事務的な口調で告げた。

 事件後、事務所には何度も取材の電話を掛けたが、担当者不在であると断られ続けてきた。
 今日電話を掛けても同じ対応だろうと、失礼を承知で直接乗り込むことにした。

 名刺を手にして戸惑う様子の楠元に、「こちらをお見せ頂けますか」と封筒を渡す。
 中には宮前亜澄単独取材と称した記事の見本が入っている。
 話をせざるを得ないように、誇張して書いてある。

 封筒と名刺を手に、楠元がオフィスの奥に消えた。
 待っている間にも、オフィスに人が入って来るので、二人は壁際に寄った。
 元気に挨拶をして入ってくるのは所属のタレントたちだろう。
 彼女たちは部外者である芙季子たちにも笑顔を向けて挨拶をくれる。

 20分ほど待って、スーツ姿の40代頃の男性が現れた。芙季子が渡した成倫社の白封筒を手にしている。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」

 案内されたのは、パーティションではない方の、はめ込み窓で仕切られた会議スペースだった。
 声が漏れないように配慮したのだろう。ブラインドで外からの視線を遮る。

 席につくと、男性は名刺を出した。マネジメント統括部長平井信二と書かれている。

「単刀直入にお伺いします。この記事は本当に本人が話したのでしょうか」
「録音データがあります」
 芙季子がICレコーダーを取り出し、再生する。

 山岸由依の現在の状態を話す、芙季子と亜澄のやりとりが流れ、「殺して、欲しいって」と告白したところで止めた。

「音声データのコピーをお渡しできる準備はしてあります」
「ご要望はなんでしょうか」

「宮前亜澄は、加害者である少女を救いたいがため、示談の上、すべてを公表することを望んでいます。しかし母親は示談に応じる気がないようだと。スマホが手元にない亜澄さんは事務所に連絡することもできず、面会に訪れた元担任に助けて欲しいと頼み、縁あってわたくし共に連絡が参りました」

「示談に応じるかは、宮前さんの問題であって、弊社とは関係ありません」
「担当弁護士は、こちらの顧問弁護士ではありませんか」

「……そのとおりです」
 はぐらかそうとでもしたのか、彼は一瞬口を噤んだ後、認めた。

「では、担当弁護士にお母様を説得するよう伝えてください。それと亜澄さんが遺したという手紙の有無も、お母様に確認を取るべきです。まさか事務所側が手紙を把握した上で、破棄等なさったということはございませんよね」

「手紙の件は初耳です。母親に確認を取ります。公表については、上と話してみないことには」

「その記事をよく御覧になって、ご検討ください。今ならまだ修正ができますので。亜澄さんは覚悟を決めておられます。そして、自身も罰を受けなければいけないと思っています。その覚悟に報いてあげるのが、大人の務めではないでしょうか。本人を交えて、話し合われてはいかがでしょうか」

 芙季子は音声データの入ったUSBを平井に渡した。
 平井は眉間に皺を寄せて、それを受け取った。
 お茶も出されなかった事務所から二人は立ち去る。

「事務所は公表しますかね」

「あの記事が出れば事務所は未成年に無理強いをしたとして、痛いかどうか知らないけれど間違いなく腹を探られる。他の所属タレントへの被害を考えると、宮前亜澄一人を切れば済む話。と考えるはずよ」

 昨夜、芙季子は結城エンターテインメントが未成年のタレントに対するグラビア撮影を強要したために事件が起こったと書いた。
もちろん亜澄の音源が公表されれば、強要部分はでっち上げの記事だとして週刊成倫が叩かれるのは目に見えている。書いた芙季子も許可を出したデスクも何らかの処分は免れない。

 だから修正ができると告げたのだ。今のところその記事をそのまま出すつもりはないですよと、メッセージを送った。芙季子としては、亜澄とよく話し合った上での真相を記事にしたいと考えている。

「これから、病院に行ってもう一度亜澄さんと話してくるわ。すべてを公表するのか、隠しておきたいことがあるのか。真実であっても隠しておいて問題がないなら、そこは書かない。彼女たちの未来も大事だから」

「大村さんの判断に任せますよ。病院まで送ります」
「ありがとう、外村くん」
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