上 下
35 / 60
三章 過去の行い

11.宮前亜矢について2

しおりを挟む
「仕事中の事故だったと聞きましたが」

「梅雨の時期でね、西の方で長雨が続いていて、気の早い台風と重なってしまって。強風にあおられて橋から車ごと転落してしまったそうなの。目撃者がいて、すぐに通報されたけれど、荒れた川での捜索は困難で。亜矢ちゃんが豪さんの会社から連絡を受けたのは、転落から3時間後。お店に出勤する直前で、取り乱した声で『現地に行きたい』って言うの。飛行機も新幹線も運航休止で、焦って車で移動して二次被害が出てもいけないと思って止めたの。とにかく会社と連絡が取れるようにしておくことと、一人が嫌なら実家に戻ってはどう、と伝えて」

 ママが少しの間、口を噤んだ。ハンカチで目元を拭う。

「4日後、亜矢ちゃんから連絡があって、今夜お通夜、明日告別式をしますと。鼻をすすりながら知らせてくれて。私、何て元気づけたらいいのか言葉に詰まってしまって。お通夜に行ったら亜矢ちゃんがいなくて。ダウンして、病院に運ばれたって。亜矢ちゃん、ほとんど食べられない、睡眠もろくに取れない状態だったそうよ。告別式の最後にお父様に支えられて戻ってきたけれど、顔色が悪くて、やつれて、見ていられないくらい痛々しい姿で。人から聞いた話だけれど、火葬場で取り乱して、お棺を運ぶ係員の妨害をしたそうよ。お棺の顔の部分を開いて、豪さんのお顔を見つめて撫でていたって」

「つらいですね。愛している人との別れは……」
 芙季子の脳裏には息子のことが浮かぶ。

「告別式から2日後、亜矢ちゃんに連絡をしたら、仕事はしばらくお休みしたいって弱々しい声で言われて。休むのはいいけれど、あなたは大丈夫なのか訊ねたら、無理ですって。怖くなって、それから毎日亜矢ちゃんが豪さんと暮らしていた家に通うことにしたの。本当はうちに連れて帰りたいぐらい心配だった。美味しいと評判のお店のお弁当を持って、毎日お昼に一緒の時間を過ごしたの。最初は全然食べられなかったけど、徐々に食べてくれるようになって。ゆっくり、本当にゆっくり前に進んでいけて。仕事復帰できたのは、3ヶ月後ぐらいだったかしら。すっかりやせ細ってしまって、事情を知っているお客様が心配してくださるほど。亜矢ちゃんは気遣って頂けることが嬉しかったみたい。居場所があることが生きる気力になりますって、力強い笑みを見せていたんだけれど」

 ママが口を噤んだ。

「また何かあったんですか」
「あるお客様に入れ込むようになって」

「すぐに出会いがあったんですか」
「素敵な出会いというより、執着のようなものを感じたのよ」

「執着、ですか。顔見知りだったのですか」

「いいえ。訊ねたら初対面だって。うちは個人ノルマはないから、同伴もアフターもさせてないんだけれど、亜矢ちゃんはどちらもして、プライベートでも会うようになって。お客様のご負担にならないか心配していたのよ。ご家庭もある方だったから。そんな関係が3ヶ月ほど続いて、2月になって亜矢ちゃんが店を辞めるって言いだして。私驚いて。しつこいくらい理由を聞いたら妊娠したって。お客様との子供だって」

「不倫関係にあったんですね」

「寂しかったのかしらね。産むために実家に戻って、昼の仕事を探しますと。決心は堅かったから、背中を押してあげることにして、送り出したの。そして生まれたのが亜澄ちゃん」

「相手の方のお名前は、わかりますか」

「訊かれるだろうと思って、昨夜探してきました。うちでは頂いたお名刺はファイリングして残しているんです。その方の特徴を書き込んでおいて、たまに見返して、再来店に備えています。この方です」

 鞄から取り出した名刺を芙季子が受け取る。

たちばな宏樹ひろきさんですか。どのような方ですか」

「お一人でふらりといらっしゃって。奥のお席でゆったりお話をしながら飲むことを好まれる方で、カラオケは歌わない、静かな飲み方をされるお客様でした」

「その後は通われていましたか」

「亜矢ちゃんの退職の少し前から、来店はなかったと記憶しています。退職後も来店されていません」

 17年も前のことなのに、ママは驚くほどよく憶えていた。

「こちらの名刺は当時の物ですね」
「そうです」

 勤め先はホームセンターになっていた。今も働いているのだろうか。メモを取り、この情報も外村に送っておく。

「今も亜矢さんとお会いになっていますか」

「最近は、もう何年も会ってないわね。数年に一回の頻度で食事に行っていたのだけれど。亜澄ちゃんにも小さな頃に二度ほど会っています。可愛らしいけれど、引っ込み思案なお嬢さんで、亜矢ちゃんの後ろに隠れて、なかなかお顔を見せてくれなくて。亜矢ちゃんも困ってるって言っていたわね」

 思い出したのか、ママがふふっと笑った。

「亜澄さんがグラビアの活動をされていることはご存知でしたか」

「ええ。亜矢ちゃんに教えてもらって、写真集を購入しました。あんなに引っ込み思案だったお嬢さんが思い切った活動を始めたのねと驚きはしましたが、成長を喜んでおりました。外見だけではなく内面も、ですよ」

「それが、引っ込み思案の性格は変わっていないようです。学校の生徒さんたちは、恥ずかしがりやだと、口を揃えています」

「じゃあ、亜澄ちゃんにとって、よっぽど興味のあるお仕事なのね」

「亜澄さんの興味はまだわかりません。本人から取材ができていませんから。ただ、亜矢さんとお会いして、亜矢さんが勧めたと証言が取れています」

「亜矢ちゃんからだったの。きっかけは亜矢ちゃんでも、本人が納得しないとお仕事にしないでしょう」

「どうでしょうか。流されるままに、もしくは断り切れずに、という可能性もゼロではないと見ています」

 芙季子の推測に過ぎないから、考え過ぎと言われるかもしれない。
 しばらく考える様子のママが顔を上げた。

「親子の間のことは、他人の私にはわかりませんけど、亜矢ちゃんが亜澄ちゃんに注ぐ愛情は確かなものだと私は思いますよ」
 ママは優しい目をしていた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

時の呪縛

葉羽
ミステリー
山間の孤立した村にある古びた時計塔。かつてこの村は繁栄していたが、失踪事件が連続して発生したことで、村人たちは恐れを抱き、時計塔は放置されたままとなった。17歳の天才高校生・神藤葉羽は、友人に誘われてこの村を訪れることになる。そこで彼は、幼馴染の望月彩由美と共に、村の秘密に迫ることになる。 葉羽と彩由美は、失踪事件に関する不気味な噂を耳にし、時計塔に隠された真実を解明しようとする。しかし、時計塔の内部には、過去の記憶を呼び起こす仕掛けが待ち受けていた。彼らは、時間が歪み、過去の失踪者たちの幻影に直面する中で、次第に自らの心の奥底に潜む恐怖と向き合わせることになる。 果たして、彼らは村の呪いを解き明かし、失踪事件の真相に辿り着けるのか?そして、彼らの友情と恋心は試される。緊迫感あふれる謎解きと心理的恐怖が交錯する本格推理小説。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

7月は男子校の探偵少女

金時るるの
ミステリー
孤児院暮らしから一転、女であるにも関わらずなぜか全寮制の名門男子校に入学する事になったユーリ。 性別を隠しながらも初めての学園生活を満喫していたのもつかの間、とある出来事をきっかけに、ルームメイトに目を付けられて、厄介ごとを押し付けられる。 顔の塗りつぶされた肖像画。 完成しない彫刻作品。 ユーリが遭遇する謎の数々とその真相とは。 19世紀末。ヨーロッパのとある国を舞台にした日常系ミステリー。 (タイトルに※マークのついているエピソードは他キャラ視点です)

【R15】アリア・ルージュの妄信

皐月うしこ
ミステリー
その日、白濁の中で少女は死んだ。 異質な匂いに包まれて、全身を粘着質な白い液体に覆われて、乱れた着衣が物語る悲惨な光景を何と表現すればいいのだろう。世界は日常に溢れている。何気ない会話、変わらない秒針、規則正しく進む人波。それでもここに、雲が形を変えるように、ガラスが粉々に砕けるように、一輪の花が小さな種を産んだ。

ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369
ミステリー
古代エジプト 名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。 しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。 突如奪われた王の命。 取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。 それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。 バトル×ミステリー 新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。

処理中です...