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三章 過去の行い
11.宮前亜矢について2
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「仕事中の事故だったと聞きましたが」
「梅雨の時期でね、西の方で長雨が続いていて、気の早い台風と重なってしまって。強風にあおられて橋から車ごと転落してしまったそうなの。目撃者がいて、すぐに通報されたけれど、荒れた川での捜索は困難で。亜矢ちゃんが豪さんの会社から連絡を受けたのは、転落から3時間後。お店に出勤する直前で、取り乱した声で『現地に行きたい』って言うの。飛行機も新幹線も運航休止で、焦って車で移動して二次被害が出てもいけないと思って止めたの。とにかく会社と連絡が取れるようにしておくことと、一人が嫌なら実家に戻ってはどう、と伝えて」
ママが少しの間、口を噤んだ。ハンカチで目元を拭う。
「4日後、亜矢ちゃんから連絡があって、今夜お通夜、明日告別式をしますと。鼻をすすりながら知らせてくれて。私、何て元気づけたらいいのか言葉に詰まってしまって。お通夜に行ったら亜矢ちゃんがいなくて。ダウンして、病院に運ばれたって。亜矢ちゃん、ほとんど食べられない、睡眠もろくに取れない状態だったそうよ。告別式の最後にお父様に支えられて戻ってきたけれど、顔色が悪くて、やつれて、見ていられないくらい痛々しい姿で。人から聞いた話だけれど、火葬場で取り乱して、お棺を運ぶ係員の妨害をしたそうよ。お棺の顔の部分を開いて、豪さんのお顔を見つめて撫でていたって」
「つらいですね。愛している人との別れは……」
芙季子の脳裏には息子のことが浮かぶ。
「告別式から2日後、亜矢ちゃんに連絡をしたら、仕事はしばらくお休みしたいって弱々しい声で言われて。休むのはいいけれど、あなたは大丈夫なのか訊ねたら、無理ですって。怖くなって、それから毎日亜矢ちゃんが豪さんと暮らしていた家に通うことにしたの。本当はうちに連れて帰りたいぐらい心配だった。美味しいと評判のお店のお弁当を持って、毎日お昼に一緒の時間を過ごしたの。最初は全然食べられなかったけど、徐々に食べてくれるようになって。ゆっくり、本当にゆっくり前に進んでいけて。仕事復帰できたのは、3ヶ月後ぐらいだったかしら。すっかりやせ細ってしまって、事情を知っているお客様が心配してくださるほど。亜矢ちゃんは気遣って頂けることが嬉しかったみたい。居場所があることが生きる気力になりますって、力強い笑みを見せていたんだけれど」
ママが口を噤んだ。
「また何かあったんですか」
「あるお客様に入れ込むようになって」
「すぐに出会いがあったんですか」
「素敵な出会いというより、執着のようなものを感じたのよ」
「執着、ですか。顔見知りだったのですか」
「いいえ。訊ねたら初対面だって。うちは個人ノルマはないから、同伴もアフターもさせてないんだけれど、亜矢ちゃんはどちらもして、プライベートでも会うようになって。お客様のご負担にならないか心配していたのよ。ご家庭もある方だったから。そんな関係が3ヶ月ほど続いて、2月になって亜矢ちゃんが店を辞めるって言いだして。私驚いて。しつこいくらい理由を聞いたら妊娠したって。お客様との子供だって」
「不倫関係にあったんですね」
「寂しかったのかしらね。産むために実家に戻って、昼の仕事を探しますと。決心は堅かったから、背中を押してあげることにして、送り出したの。そして生まれたのが亜澄ちゃん」
「相手の方のお名前は、わかりますか」
「訊かれるだろうと思って、昨夜探してきました。うちでは頂いたお名刺はファイリングして残しているんです。その方の特徴を書き込んでおいて、たまに見返して、再来店に備えています。この方です」
鞄から取り出した名刺を芙季子が受け取る。
「橘宏樹さんですか。どのような方ですか」
「お一人でふらりといらっしゃって。奥のお席でゆったりお話をしながら飲むことを好まれる方で、カラオケは歌わない、静かな飲み方をされるお客様でした」
「その後は通われていましたか」
「亜矢ちゃんの退職の少し前から、来店はなかったと記憶しています。退職後も来店されていません」
17年も前のことなのに、ママは驚くほどよく憶えていた。
「こちらの名刺は当時の物ですね」
「そうです」
勤め先はホームセンターになっていた。今も働いているのだろうか。メモを取り、この情報も外村に送っておく。
「今も亜矢さんとお会いになっていますか」
「最近は、もう何年も会ってないわね。数年に一回の頻度で食事に行っていたのだけれど。亜澄ちゃんにも小さな頃に二度ほど会っています。可愛らしいけれど、引っ込み思案なお嬢さんで、亜矢ちゃんの後ろに隠れて、なかなかお顔を見せてくれなくて。亜矢ちゃんも困ってるって言っていたわね」
思い出したのか、ママがふふっと笑った。
「亜澄さんがグラビアの活動をされていることはご存知でしたか」
「ええ。亜矢ちゃんに教えてもらって、写真集を購入しました。あんなに引っ込み思案だったお嬢さんが思い切った活動を始めたのねと驚きはしましたが、成長を喜んでおりました。外見だけではなく内面も、ですよ」
「それが、引っ込み思案の性格は変わっていないようです。学校の生徒さんたちは、恥ずかしがりやだと、口を揃えています」
「じゃあ、亜澄ちゃんにとって、よっぽど興味のあるお仕事なのね」
「亜澄さんの興味はまだわかりません。本人から取材ができていませんから。ただ、亜矢さんとお会いして、亜矢さんが勧めたと証言が取れています」
「亜矢ちゃんからだったの。きっかけは亜矢ちゃんでも、本人が納得しないとお仕事にしないでしょう」
「どうでしょうか。流されるままに、もしくは断り切れずに、という可能性もゼロではないと見ています」
芙季子の推測に過ぎないから、考え過ぎと言われるかもしれない。
しばらく考える様子のママが顔を上げた。
「親子の間のことは、他人の私にはわかりませんけど、亜矢ちゃんが亜澄ちゃんに注ぐ愛情は確かなものだと私は思いますよ」
ママは優しい目をしていた。
「梅雨の時期でね、西の方で長雨が続いていて、気の早い台風と重なってしまって。強風にあおられて橋から車ごと転落してしまったそうなの。目撃者がいて、すぐに通報されたけれど、荒れた川での捜索は困難で。亜矢ちゃんが豪さんの会社から連絡を受けたのは、転落から3時間後。お店に出勤する直前で、取り乱した声で『現地に行きたい』って言うの。飛行機も新幹線も運航休止で、焦って車で移動して二次被害が出てもいけないと思って止めたの。とにかく会社と連絡が取れるようにしておくことと、一人が嫌なら実家に戻ってはどう、と伝えて」
ママが少しの間、口を噤んだ。ハンカチで目元を拭う。
「4日後、亜矢ちゃんから連絡があって、今夜お通夜、明日告別式をしますと。鼻をすすりながら知らせてくれて。私、何て元気づけたらいいのか言葉に詰まってしまって。お通夜に行ったら亜矢ちゃんがいなくて。ダウンして、病院に運ばれたって。亜矢ちゃん、ほとんど食べられない、睡眠もろくに取れない状態だったそうよ。告別式の最後にお父様に支えられて戻ってきたけれど、顔色が悪くて、やつれて、見ていられないくらい痛々しい姿で。人から聞いた話だけれど、火葬場で取り乱して、お棺を運ぶ係員の妨害をしたそうよ。お棺の顔の部分を開いて、豪さんのお顔を見つめて撫でていたって」
「つらいですね。愛している人との別れは……」
芙季子の脳裏には息子のことが浮かぶ。
「告別式から2日後、亜矢ちゃんに連絡をしたら、仕事はしばらくお休みしたいって弱々しい声で言われて。休むのはいいけれど、あなたは大丈夫なのか訊ねたら、無理ですって。怖くなって、それから毎日亜矢ちゃんが豪さんと暮らしていた家に通うことにしたの。本当はうちに連れて帰りたいぐらい心配だった。美味しいと評判のお店のお弁当を持って、毎日お昼に一緒の時間を過ごしたの。最初は全然食べられなかったけど、徐々に食べてくれるようになって。ゆっくり、本当にゆっくり前に進んでいけて。仕事復帰できたのは、3ヶ月後ぐらいだったかしら。すっかりやせ細ってしまって、事情を知っているお客様が心配してくださるほど。亜矢ちゃんは気遣って頂けることが嬉しかったみたい。居場所があることが生きる気力になりますって、力強い笑みを見せていたんだけれど」
ママが口を噤んだ。
「また何かあったんですか」
「あるお客様に入れ込むようになって」
「すぐに出会いがあったんですか」
「素敵な出会いというより、執着のようなものを感じたのよ」
「執着、ですか。顔見知りだったのですか」
「いいえ。訊ねたら初対面だって。うちは個人ノルマはないから、同伴もアフターもさせてないんだけれど、亜矢ちゃんはどちらもして、プライベートでも会うようになって。お客様のご負担にならないか心配していたのよ。ご家庭もある方だったから。そんな関係が3ヶ月ほど続いて、2月になって亜矢ちゃんが店を辞めるって言いだして。私驚いて。しつこいくらい理由を聞いたら妊娠したって。お客様との子供だって」
「不倫関係にあったんですね」
「寂しかったのかしらね。産むために実家に戻って、昼の仕事を探しますと。決心は堅かったから、背中を押してあげることにして、送り出したの。そして生まれたのが亜澄ちゃん」
「相手の方のお名前は、わかりますか」
「訊かれるだろうと思って、昨夜探してきました。うちでは頂いたお名刺はファイリングして残しているんです。その方の特徴を書き込んでおいて、たまに見返して、再来店に備えています。この方です」
鞄から取り出した名刺を芙季子が受け取る。
「橘宏樹さんですか。どのような方ですか」
「お一人でふらりといらっしゃって。奥のお席でゆったりお話をしながら飲むことを好まれる方で、カラオケは歌わない、静かな飲み方をされるお客様でした」
「その後は通われていましたか」
「亜矢ちゃんの退職の少し前から、来店はなかったと記憶しています。退職後も来店されていません」
17年も前のことなのに、ママは驚くほどよく憶えていた。
「こちらの名刺は当時の物ですね」
「そうです」
勤め先はホームセンターになっていた。今も働いているのだろうか。メモを取り、この情報も外村に送っておく。
「今も亜矢さんとお会いになっていますか」
「最近は、もう何年も会ってないわね。数年に一回の頻度で食事に行っていたのだけれど。亜澄ちゃんにも小さな頃に二度ほど会っています。可愛らしいけれど、引っ込み思案なお嬢さんで、亜矢ちゃんの後ろに隠れて、なかなかお顔を見せてくれなくて。亜矢ちゃんも困ってるって言っていたわね」
思い出したのか、ママがふふっと笑った。
「亜澄さんがグラビアの活動をされていることはご存知でしたか」
「ええ。亜矢ちゃんに教えてもらって、写真集を購入しました。あんなに引っ込み思案だったお嬢さんが思い切った活動を始めたのねと驚きはしましたが、成長を喜んでおりました。外見だけではなく内面も、ですよ」
「それが、引っ込み思案の性格は変わっていないようです。学校の生徒さんたちは、恥ずかしがりやだと、口を揃えています」
「じゃあ、亜澄ちゃんにとって、よっぽど興味のあるお仕事なのね」
「亜澄さんの興味はまだわかりません。本人から取材ができていませんから。ただ、亜矢さんとお会いして、亜矢さんが勧めたと証言が取れています」
「亜矢ちゃんからだったの。きっかけは亜矢ちゃんでも、本人が納得しないとお仕事にしないでしょう」
「どうでしょうか。流されるままに、もしくは断り切れずに、という可能性もゼロではないと見ています」
芙季子の推測に過ぎないから、考え過ぎと言われるかもしれない。
しばらく考える様子のママが顔を上げた。
「親子の間のことは、他人の私にはわかりませんけど、亜矢ちゃんが亜澄ちゃんに注ぐ愛情は確かなものだと私は思いますよ」
ママは優しい目をしていた。
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