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一章 女子高生殺傷殺人未遂事件

6. 優しい夫

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 直帰した芙季子は、自宅に着いた途端ぐたっとへたりこみ、玄関から動けなかった。

 体は正直だった。産後2週間はほとんど体を動かせなかったが、最近は普段通りの生活ができていると思っていた。いざ復帰してみると、1ヶ月間あまり体を動かせなかったブランクを実感した。

 一日中歩き回った脚は鉛のように重く、靴を脱ぐとほっとした。
 しばらく玄関でぼんやりした後、ゆっくりと立ち上がり、風呂場に向かった。
 頭からシャワーを浴びる。さっぱりすると、身体の疲れが少し癒された。

 夕飯を作らないと、と冷蔵庫を開く。
 昨日スーパーに行ったから、食材はある。だが何を見ても、作る気力が湧かない。
 食べたい物も思い浮かばない。
 昨日、何を作ろうと思って買い物をしたのだろう。
 何か買ってくればよかったのに、そこまで気が回らなかった。

 とりあえず、ご飯を炊こう。
 米を洗って炊飯ボタンを押して、ソファーで横になった。
 冷蔵庫にあるものを思い出し、食材検索をする。時間が短くて手順が楽で美味しそうな物――。

 はっと気がついた。全灯にしていたリビングの明かりが、柔らかいオレンジ色になっている。
 カチャカチャと遠慮気味の音が聞こえて芙季子は体を起こした。
 体にはかけた覚えのない羽毛布団がかけられている。

「起きた? 食べる?」
 崇史が台所に立っていた。
 時刻を見て、一時間半もソファーで眠っていたと気がつく。

「何度か連絡したんだけど、返事がないから仕事だろうと思ってた」
「何を買ってきてくれたの?」

 ワクワクしながらカウンターキッチンのイスに腰掛ける。
 崇史は洗ったレタスの水を切り、サラダボウルに盛っていた。

「豚丼。ジャンクなものが食べたくなってさ」
 大学入学から都内で一人暮らしをしていた崇史は、よく牛丼を食べていた。最近は豚丼が好みらしい。

 ランチョンマットの上にサラダと漬物、味噌汁とメインの丼が並ぶ。芙季子の胃が空腹を訴えた。お腹は空いていたらしい。

「さあ、食べよう」
 うきうきした声で崇史も隣に座った。

「いただきます」
 人が用意してくれたご飯は、なぜだかとても美味しい。手作り、テイクアウトに関わらず。

「取材、久しぶりで疲れたろう」
「うん。疲れた。足ぱんぱん」

「だろうな。体は大丈夫か」
「うん。平気」

「今日はベッドで寝たら?」
「ううん。大丈夫、自分の部屋で寝る。慣れてる布団のほうがいいから」

 普通の夫婦は、食事をしながら仕事の会話をするのだろうか。咀嚼しながら考える。

 芙季子は週刊誌の記者。
 崇史は新聞社の記者。

 今は政治部だから、仕事内容はかぶらない。それでも互いの仕事の話はしない。
 結婚時にした約束事だった。

 付き合っているときは、崇史は地方にいたし、芙季子は旅行誌やグルメ誌だったから、他社であることを意識しなかった。だが芙季子が週刊誌に異動になり、情報は身内であっても他社に渡してはいけないと気がついた。そして仕事の話は互いにしないことにした。

 媒体が違うとはいえ、記者が汗水を垂らし、体を酷使して掴んできた情報を、そう易々とは漏らせない。

 崇史も同じ考えだった。
 価値観が同じであれば、ぎすぎすすることはない。結婚して3年、それが普通になっていた。

 崇史が風呂に入っている間に洗い物をすませ、芙季子は自室で横になった。
 まだ11時になっていないが、ひととき眠ったとはいえ疲れは残っていた。
 吸い込まれるように布団に潜り込み、考え事をする間もなく眠りに落ちた。
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