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四章 めまぐるしい2日間
2.嫌われていた理由
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体験者たちと一緒にいる間に、小一時間が経とうとしていた。
そろそろチェックインのお時間になろうとしている。
階段を下りてフロントに行こうとして、琴葉がお客様をお見送りしている姿が目に入った。
宿泊客はいらっしゃらないので、サウナか昼食を食べ終えたお客様ということになる。
しかし、サウナご利用のお客様のお見送りはしない。区別しているとお叱りを受けるかもしれないけれど、そこは線を引いていた。
従業員の数と仕事の量に対して、サウナ利用客は多く、お帰りになる時間もまちまちなので、人手が足りない。
もちろんフロントできちんとお礼を伝えることはしている。
だから今の琴葉のように、フロントから出て玄関でのお見送りは、何か理由がありそうな気がした。
春風が着くまでにお客様は外に出てしまい、駐車場に向かっていた。引き留めるのは躊躇われた。
「お疲れ様です」
振り返った琴葉に、声をかけた。
琴葉はちらちと視線を送ったきたものの、何の挙動もなくフロントに向かおうとする。
「何かありましたか」
春風の質問に答えず、無言でフロントに立つ。隣に並んだところで、事務所からみさえが出てきた。
「琴葉さん、代わってもらってありがとう。あ、女将。お疲れ様です」
事務所で電話が重なり榊のタイミングが合わず、みさえが宴会場で仕事をしていた琴葉にフロントをお願いしていたのだそうだ。
みさえの説明を聞いている間に、琴葉は戻ってしまった。
後を追って宴会場に行くと、お客様は誰もおられなかった。バスボックスに使用済みの食器を片付けている琴葉がいるだけ。
春風も手伝いながら、話しかけるタイミングを計る。
すべてのバスボックスを厨房に持っていき、テーブルの消毒を終えたとき、「さきほどのお客様ですが」と琴葉に訊ねた。
「何かあったから、丁寧にお見送りをしていたんですよね」
「終わったことだからいいじゃないですか」
「報告はきちんとしてください」
「えらそうに」
「あたしには責任があるんです。解決したら終わりではありません」
琴葉はわざとらしく、深い溜め息をついた。
「女性用の脱衣所が濡れていて滑ったそうです」
「えっ!? それは大変。お客様にお怪我はありませんでしたか」
「足が少し滑っただけで、転んでない。危ないから掃除をきちんとして欲しいと言われただけです」
「転ばなくて良かった。榮さんが掃除に向かってくれたの?」
「そうですよ。すぐに動いてくれました」
「今日は美愛さんがお休みだから、忙しいですよね。すみませんでした」
宿泊予約の少ない平日を仲居体験の日に決めて、全員シフトに入ってもらっていたが、美愛が突然実家に戻らないといけなくなった。
しかし、一度決めた日にちをこちらの都合で変更するわけにはいかず、みさえと榊にもフロントの応援に入ってもらっていた。
「仲居体験なんてやるからです。人がいないのに、二人も取られて。意味あるんですか」
「やってみないとわからないです」
琴葉の言い分は理解できるから、曖昧な返事しかできない。
「もっと確実なことをしてくださいよ」
「琴葉さんに良い案があるんですか」
「あたしが考えるんですか」
琴葉は威圧を込めた視線を春風に向けてくる。
「案があれば、検討します。実行できない場合もありますけど」
「無理だって難癖つけて、却下するくせに」
「検討もしないで却下なんてしないです。あたしの案も社長と郡治さんに相談します。あたし一人で好き勝手に決めて実行しているわけではないです」
「それじゃ、言わせてもらいます。前の青陽荘に戻してください」
「リフォーム前の、ということ?」
「そうです。宿泊のお客様に寄り添い、目端の行き届いたおもてなしをさせていただく。女将さんのように、優しくて温かい青陽荘が良かった」
「母がいた頃に戻せということ?」
「利用客がたくさんいて、活性してるって喜んでるんですか? こんな落ち着きのない、がちゃがちゃしたところ、かつてのお客様が戻ってくるわけないです」
「ご贔屓さんのご利用が減ってるって言いたいんですね」
「実際そうでしょう」
「減っている理由は、あたしにはわかりません。お葉書を出して営業はしていますが」
「変わってしまったから来てくれないんですよ」
「代替わりは仕方のないことです。あたしだって、母が急に逝くとは思ってなかった」
「あんたのせいでしょう。あんたが余所に就職しないで、帰ってきていれば、女将さんが一人で背負わずにすんだんです。女将さんの寿命を縮めたのはあんたよ」
「……」
言い返す言葉がない。春風は唇を噛み締める。
「ふらっと戻ってきて手伝いもしない。女将さんが亡くなったら後を継ぎます? 今までやってなかった素人に、女将なんて勤まるわけないじゃない。ナメてんの?」
「あたしは、守りたかったの。先祖が作りあげ、父と母が受け継いで、スタッフのみんなが築いてくれた青陽荘を、母が遺したものを……」
「遺ってないじゃない! なにもかもきれいになってる。女将さんが丁寧に掃除をしていた客室も、みんなで磨きあげてきたお風呂も。ロビーなんてホテルみたいじゃない」
「琴葉さんは、そこまで母を大事に思ってくれるのね。ありがとう。娘としてお礼を言います」
「お礼なんていらない。あたしはあんたが嫌いなの。女将さんに甘えるだけ甘えて、ほったらかし。女将さんがどれだけ寂しいと感じていたか。あんたにわかるの? 頼りたくても、外でがんばっている娘には頼れない。だからまだまだがんばらないとって言ってたの。きっと無理をしてたのよ。あたしが娘だったら、女将さんの側にいて、大切にしたのに。あんたのせいよ!」
ナイフのような鋭い言葉を投げつけて、琴葉は走って宴会場を出て行った。
そろそろチェックインのお時間になろうとしている。
階段を下りてフロントに行こうとして、琴葉がお客様をお見送りしている姿が目に入った。
宿泊客はいらっしゃらないので、サウナか昼食を食べ終えたお客様ということになる。
しかし、サウナご利用のお客様のお見送りはしない。区別しているとお叱りを受けるかもしれないけれど、そこは線を引いていた。
従業員の数と仕事の量に対して、サウナ利用客は多く、お帰りになる時間もまちまちなので、人手が足りない。
もちろんフロントできちんとお礼を伝えることはしている。
だから今の琴葉のように、フロントから出て玄関でのお見送りは、何か理由がありそうな気がした。
春風が着くまでにお客様は外に出てしまい、駐車場に向かっていた。引き留めるのは躊躇われた。
「お疲れ様です」
振り返った琴葉に、声をかけた。
琴葉はちらちと視線を送ったきたものの、何の挙動もなくフロントに向かおうとする。
「何かありましたか」
春風の質問に答えず、無言でフロントに立つ。隣に並んだところで、事務所からみさえが出てきた。
「琴葉さん、代わってもらってありがとう。あ、女将。お疲れ様です」
事務所で電話が重なり榊のタイミングが合わず、みさえが宴会場で仕事をしていた琴葉にフロントをお願いしていたのだそうだ。
みさえの説明を聞いている間に、琴葉は戻ってしまった。
後を追って宴会場に行くと、お客様は誰もおられなかった。バスボックスに使用済みの食器を片付けている琴葉がいるだけ。
春風も手伝いながら、話しかけるタイミングを計る。
すべてのバスボックスを厨房に持っていき、テーブルの消毒を終えたとき、「さきほどのお客様ですが」と琴葉に訊ねた。
「何かあったから、丁寧にお見送りをしていたんですよね」
「終わったことだからいいじゃないですか」
「報告はきちんとしてください」
「えらそうに」
「あたしには責任があるんです。解決したら終わりではありません」
琴葉はわざとらしく、深い溜め息をついた。
「女性用の脱衣所が濡れていて滑ったそうです」
「えっ!? それは大変。お客様にお怪我はありませんでしたか」
「足が少し滑っただけで、転んでない。危ないから掃除をきちんとして欲しいと言われただけです」
「転ばなくて良かった。榮さんが掃除に向かってくれたの?」
「そうですよ。すぐに動いてくれました」
「今日は美愛さんがお休みだから、忙しいですよね。すみませんでした」
宿泊予約の少ない平日を仲居体験の日に決めて、全員シフトに入ってもらっていたが、美愛が突然実家に戻らないといけなくなった。
しかし、一度決めた日にちをこちらの都合で変更するわけにはいかず、みさえと榊にもフロントの応援に入ってもらっていた。
「仲居体験なんてやるからです。人がいないのに、二人も取られて。意味あるんですか」
「やってみないとわからないです」
琴葉の言い分は理解できるから、曖昧な返事しかできない。
「もっと確実なことをしてくださいよ」
「琴葉さんに良い案があるんですか」
「あたしが考えるんですか」
琴葉は威圧を込めた視線を春風に向けてくる。
「案があれば、検討します。実行できない場合もありますけど」
「無理だって難癖つけて、却下するくせに」
「検討もしないで却下なんてしないです。あたしの案も社長と郡治さんに相談します。あたし一人で好き勝手に決めて実行しているわけではないです」
「それじゃ、言わせてもらいます。前の青陽荘に戻してください」
「リフォーム前の、ということ?」
「そうです。宿泊のお客様に寄り添い、目端の行き届いたおもてなしをさせていただく。女将さんのように、優しくて温かい青陽荘が良かった」
「母がいた頃に戻せということ?」
「利用客がたくさんいて、活性してるって喜んでるんですか? こんな落ち着きのない、がちゃがちゃしたところ、かつてのお客様が戻ってくるわけないです」
「ご贔屓さんのご利用が減ってるって言いたいんですね」
「実際そうでしょう」
「減っている理由は、あたしにはわかりません。お葉書を出して営業はしていますが」
「変わってしまったから来てくれないんですよ」
「代替わりは仕方のないことです。あたしだって、母が急に逝くとは思ってなかった」
「あんたのせいでしょう。あんたが余所に就職しないで、帰ってきていれば、女将さんが一人で背負わずにすんだんです。女将さんの寿命を縮めたのはあんたよ」
「……」
言い返す言葉がない。春風は唇を噛み締める。
「ふらっと戻ってきて手伝いもしない。女将さんが亡くなったら後を継ぎます? 今までやってなかった素人に、女将なんて勤まるわけないじゃない。ナメてんの?」
「あたしは、守りたかったの。先祖が作りあげ、父と母が受け継いで、スタッフのみんなが築いてくれた青陽荘を、母が遺したものを……」
「遺ってないじゃない! なにもかもきれいになってる。女将さんが丁寧に掃除をしていた客室も、みんなで磨きあげてきたお風呂も。ロビーなんてホテルみたいじゃない」
「琴葉さんは、そこまで母を大事に思ってくれるのね。ありがとう。娘としてお礼を言います」
「お礼なんていらない。あたしはあんたが嫌いなの。女将さんに甘えるだけ甘えて、ほったらかし。女将さんがどれだけ寂しいと感じていたか。あんたにわかるの? 頼りたくても、外でがんばっている娘には頼れない。だからまだまだがんばらないとって言ってたの。きっと無理をしてたのよ。あたしが娘だったら、女将さんの側にいて、大切にしたのに。あんたのせいよ!」
ナイフのような鋭い言葉を投げつけて、琴葉は走って宴会場を出て行った。
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