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二章 閑古鳥よ啼かないで

3.予約なしの女性客

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 その電話があったのは、午後九時を回った頃だった。
「女将、予約なしのお客様が二名、これから一泊させて欲しいとお電話です」
 フロントの織部郁から声がかかった。事務所で一人、事務作業をしていた春風は顔を上げた。

「これから、ですか? お部屋は空いていますから、大丈夫ですけれど」
 今日は平日。動いているのは一部屋だけ。
「では、お越しいただきますね」
「郁さん、ちょっと待って」

 春風は外に視線を移した。窓ガラスに伝う雨が、音を立てて激しく叩きつけている。
「お車でしょうか?」
「確認します」
「あ、代わります」

 直接やり取りをした方が早いと判断して、受付の電話を回してもらう。
「もしもし、お待たせしております。何名様でいらっしゃいますか? 女性二名様ですね。ご用意させていただきます。お車でお越しになりますか? 下のキャンプ場におられるのですね。ああ、それは大変ですね。すぐにお迎えに上がります。それまで大丈夫ですか? では、お気をつけて。すぐに参りますので」

 電話を切ると、郁にウグイスの間の準備を頼んでおき、男性風呂に移動する。郡治に声をかけると、すぐに顔をだした。

「どうされました、女将」
「郡治さん、お疲れのところ申し訳ないですが、キャンプ場までお客様をお迎えに上がって欲しいんです」
「キャンプ場ですか」
「テントが破れたそうです。星野様とおっしゃいます」
「雨の中、大変ですね。すぐに向かいます」
「お願いします」

 郡治が迎えに行った星野様たちは、頭からぐっしょりと濡れて震えていた。バスタオルを車に積んでいたが、毛布も必要だったようだ。

「もー、サイアクー」
「うちら運なさ過ぎー」
 元々の性格なのか、興奮状態にあるのかわからないが、賑やかなお二人だった。

「大変でしたね。お風呂をお使いください」
「お風呂入れるの?」
「マジ、神」

 ギャルかなと思いながら、春風はきゃいきゃいしている二人を女性風呂に案内した。
 三十分後、お風呂から出てきた二人は、旅館の浴衣を着て、笑顔になっていた。

「超気持ち良かった」
「ありがとっ」
 部屋にご案内し、女将だと挨拶をしてから、宿帳にご記入いただく。
 星野沙良、柴崎由良。都内にお住まいで、職業はユーチューバーと書かれている。

「お体は大丈夫ですか? 風邪っぽい症状などございませんか」
「大丈夫。ねえ沙良」
「うん。あのままだったらヤバかったけど」

 お二人は昨夜から初めてのキャンプに来ていた。テントを広げ、キャンプ飯を作って食べ、昼ごろ銭湯に行き、戻ってきてから雨が降り出した。
 もともと二泊の予定だった二人はテントで過ごしていたが、雨は強くなってくる。
 不安を覚えていたところへ、風で飛ばされてきたらしい何かがテントに当たり、穴が空いた。裂け目から雨が入り込み、パニックになった。
 すぐそこに旅館があることを知り、青陽荘に電話をかけてきた。ということだった。

「もし、何かございましたら、あちらの電話をお使いください。明日の朝食は、ご用意させていただいてよろしいですか?」

「朝ご飯食べさせてもらえるんだ」
「嬉しい。お願いします」
「和と洋とございますが、どちらになさいますか」
「あたし、和食にしようかな」
「うちは洋食で」

「承りました。ところで、今、お腹は空いておられませんか?」
「減ってるー」
「テントの中で火使えないから、お菓子しか食べてないもんね」

「お味噌汁と、おにぎりをご用意しております。お食事をなさいますか」
「食べたーい」
「女将さん、超優しい」

「では、ご用意して参ります。しばしお待ちください」
「はいはーい」

 体を温めるものがあるといいかも、と思ってお二人がお風呂中、休んでいた父に連絡をしておいた。すぐに厨房にやってきた父は、手早く支度をしてくれた。

 梅と昆布のおにぎり、柴漬け、お味噌汁をお部屋にお持ちすると、二人は自撮り棒をセットしたスマホを持っていた。

「お待たせいたしました。ごゆっくりお食べになってください。食後のお皿はお部屋の外に机をご用意しておきます。そこへ置いて頂けますと、おくつろぎのお邪魔をせずにすみますので」

「わかりました。ありがとう」
「いただきま~す」

 まるで姉妹のように仲の良さそうな二人だな、と思いながら、春風は鶯の間を辞した。

 翌朝、フロントにいた郁から声がかかった。
「女将、昨夜のお二人が動画撮影をなさっておいでですが、よろしいのですか」
「YouTuberだそうです。一応お願いしておいた方がいいかな。行ってきます」

 春風がロビーに向かうと、星野様と柴崎様は、土産物コーナーにいた。昨夜のように自撮り棒にセットされたスマホを持っている。

 お二人がきゃいきゃいなさっているのを遠くからそれとなく見つつ、終わるのを待つ。

「おはようございます」
 終わったタイミングで、そっと声をかけた。
「女将さーん、おはようございます」
「お加減はいかがですか? おくつろぎいただけましたか」

「ゆっくり眠れました」
「気持ち良かった。マジ感謝」

「それは良うございました。ところで、動画の撮影ですが」
「あ、だめだった?」
「いいえ。撮影は大丈夫ですが、もうじきサウナの一般営業が始まりますので、お客様が映らないようにご配慮をお願いいたします」

「あたしたち以外はモザイクかけるから、いいでしょ?」
「モザイク処理はもちろんですが、できるだけ映らないようにお願いいたします」
「はーい」

 相手が気分を害することのないように注意をするのは難しい。お二人の返事が色よいものでほっとした。

 昨日降っていた雨はすっきりと上がって、今日は太陽が顔を覗かせている。
 テントをキャンプ場に残してきたままだった星野様と柴崎様は、後片付けに向かうというので車でお送りした。片付けを終えるとサウナを利用したいとのことだったので、荷物は事務所で預かった。

 ランチの予約客がそろそろ終わろうという頃、サウナを使用した星野様と柴崎様が荷物を引き取りに戻ってきた。

「テント、雨でびしょびしょで、片付けるの大変だった~」
「キャンプに来てたおじさんが手伝ってくれたの。災難だったねって。でも、懲りずにキャンプ続けてってオススメされちゃった」

 大変さを感じられない明るい口調。なにごとも楽しめるタイプなのかもしれない。

「リベンジしようと思ってるの。ちゃんと勉強して」
「その時は、ここのサウナ使わせてもらうね。ランチも食べたいな」
「ぜひ、またのご利用をお待ちしております」

 楽しそうな笑顔を見ていると、春風もうきうきと心が躍る。女将でなければ、一緒にはしゃぎたい心地だった。

「女将さんも、一緒に」
 と言うなり、春風の右側に星野様が、左側に柴崎様が腕を組んで並んだ。星野様の右手には、自撮り棒つきスマホ。

「さらゆらを助けてくれた旅館青陽荘の女将さんで~す」
「女将さん、ありがとう!」
「一言どうぞ」
「え! あの、料理が自慢の旅館です。サウナもあります。ぜひお越しくださいませ」
「ご飯、まじ美味しかった」

 突然振られて、何の心の準備もなかった春風は、しどろもどろになりながらも、旅館の宣伝をした。

 バイバイと手を振って帰っていくお二人を見送る。
 YouTubeのチャンネル名を訊ねるのを忘れてしまったことに気がついたのは、お二人の乗った旅館の車が出た後だった。

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