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第二章

慣熟訓練

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 第四三七独立防空中隊は、先日から続けていた陣地転換に、ようやく目処がつきはじめていた。
 プリレチェンスキー市の北西の外れに、周囲を見渡せる小高い丘という地形を利用した公園があるのだが、その公園を、管理者である市から借り受けて、そこに布陣している。
 丘の頂上に胸の高さくらいまで掘削した掩体壕を作り、その中央に射撃管制装置を設置してから、そこを中心にした同心円状に高射砲と高射機関砲とを配置した。同心円とはいったが、実際には、丘の全方位に等間隔に配置するのではなく、西を重点にした半円形に配置している。
 また、これらとは別に、射撃管制装置に電源を供給するための電源車が丘の東に配置してある。これは、射撃管制装置の内部にある機械式計算機の動力源として使われるほか、各砲への情報伝達を行う信号用電線への電力供給用としても使われる。
 なぜ、市の中心に近い橋の周囲から、外縁とでもいうべきこの場所に部隊を再配置するのかについての詳細な説明は、これまでにマルコフからはされていないが、たとえ説明がなかったとしても、その意図は容易に推測できる。
 敵は、西側からやってくるからだ。
 少しでも敵に近い位置に布陣し、より早い段階で迎撃戦闘を行おうという意図から、この位置に部隊を配置することにしたのだろう。
 高射砲や高射機関砲についても、避弾と作業スペースとを考慮した掩体壕をそれぞれ掘ってある。掘り下げた壕の壁にあたる部分は、板や土嚢でしっかりと補強してあるし、降雨や排水についても一応の考慮はしてある。壕の周囲は土嚢で地面より高くしてあるから、雨水が壕の中に流れ込んでくることはないし、壕の底の外周にはぐるっと溝を設けてあるので、通常の降雨くらいであれば問題は起きないだろう。
 さらに、雨をしのぐ天幕とはいかないが、それぞれの壕には偽装網を張ってあるので、上空を飛ぶ航空機から発見するには、よほど注意を払わねばならない。
 まずまず満足すべき状態だろう。
 これに、弾薬の保管庫や、空爆時に緊急避難するための防空壕。それに、各砲と射撃管制装置を収めた掩体壕とを結ぶ連絡壕を作っていけば、継戦能力はさらに増す。今後は、そういった拡張を地道に続けていくことになるはずだ。
 防空を任務とする中隊にもかかわらず、防空壕を作るのは本末転倒に思えるが、危険が及ぶ限界まで戦闘を継続した後、いよいよ着弾というときに、機材よりも人員を保護しようという考え方は当然ある。機材は手配すれば入手が可能であるが、よく訓練された兵隊というものは、簡単には得られないからだ。

 さて。この陣地転換においては、ちょっとした騒動が起きた。
 もともと、中隊はプリレチェンスキー市の中心を占める栄光の十一月七日橋の近辺に布陣していたわけだが、そこから市のはずれといっていい場所へと移ることになるため、今の宿舎から移動する必要が出てきた。まあ、今の宿舎から丘の陣地へと移動する場合、徒歩なら最低でも三十分はかかるし、車での移動でも五分は欲しいところだから、急な警報に接した際は、部隊配置が間に合わない可能性も出てくる。
 そう考えると、宿舎の移転は当然のことなのだが、それで大騒ぎとなったのだ。
 中隊の隊員の中には、あきらかに移動をしぶる動きが見えていた。いくら粗末な半地下式の兵舎とはいえ、住環境を快適にするためにいろいろと手を加えていった結果、今の住居に対する愛着のようなものが生まれたらしい。
 ところがだ。
 新しい宿舎として割り当てられた建物を見た瞬間、その騒ぎは終わりを告げた。
 その宿舎とは、市が労農者のために建てた集合住宅で、二名から四名程度の比較的小さな家族向けに設計されたものだった。しかも、つい最近、完成したばかりだという。
 新築物件であることもさることながら、彼女たちを一番興奮させたのは、各戸にまともなキッチンが備え付けられていたことだった。基本、兵舎にそんなものは設置されていないので、食材さえ入手すれば、久しぶりに自由に料理ができると大騒ぎになった。
 結果として、隊員たちの間で不満がくすぶっていた宿舎の移転は、なんだかんだで好評のうちに終わったのだから、ひとまず良しとしよう。

 中隊の再編成についてだが、今回新しく設けられた射撃管制分隊は、これまで中隊長代理を務めていたマリヤが指揮をとっている。配属される分隊員については、マルコフが強く主張したこともあり、中隊から選りすぐった優秀な人材がそろっている。
 まず、射撃管制装置の正観測員は、これまで高射砲第一分隊で正照準手として砲の俯仰角を操作していたソフィヤ・ガイドゥコヴァが担当する。長い髪を三つ編みにしてまとめている彼女は、計算能力に非常に優れていて、常人ならいちいち紙に書いて、ひとつひとつ手順を踏みながらじゃないとおぼつかないような、かなりの桁数や組み合わせが複雑な計算を、それこそ頭の中で即座に弾き出せる能力を持っている。そのためか、敵機の未来位置を予測して射撃するという、まさに射撃管制装置ばりの仕事をやってのける人物だった。これまで、中隊が戦力のわりに高い戦価をあげているのは、彼女に負うところが大きい。マリヤがそう認めているからこその抜擢だった。
 高射砲第一分隊から彼女が抜けた穴については、副照準手として砲の旋回角を操作していたアンジェリカ・チェーホヴァが正照準手に昇格し、副照準手は、彼女の妹で第一分隊の弾薬手であったエリザヴェータが務めることになっている。陣地転換後の訓練からコンビで砲の操作にあたることになるのだが、実の姉妹ということもあってか、本格的な訓練はまだ始まっていないにもかかわらず、息はピッタリのようだ。
 射撃管制分隊の隊員の紹介を続けると、副観測員には、高射機関砲第二分隊からドミニーカ・コプィロヴァが引き抜かれて任務にあたっている。銀色の丸ぶち眼鏡が印象的なドミニーカは、少々引っ込み思案なところがあるが、他人が何を欲しているかを敏感に感じ取れるところがあり、協調性という面では非の打ち所がない。
 これに、中隊本部の通信員を務めるマルガリータ・クフシノヴァが、分隊の通信員を兼務することで加わり、分隊長のマリヤと、彼女を補佐する立場を崩そうとしないアレクサンドラを含めると、たった五人のこじんまりとした分隊として編成が完了した。
 本来の射撃管制分隊であれば、分隊長一名に始まり、観測員三名と通信員が一名、それに、電源車の管理に二名の計七名が編制上の定数だが、電源車の管理要員と観測員が省かれている。観測員については、一人での運用も可能ではあるが、測定値の平均を使うことによって観測の誤差を少なくすることが望ましいため、ここには二名を配置した。
 電源車については、中隊本部が管理するものとし、先任であるイヴァノフと、事務系の管理を任されているエレオノーラが随時対応すればよいとされたので、別の分隊から要員を抽出するのはやめておいた。
 これで、射撃管制装置を装備した第四三七独立防空中隊の再編成は完結ということになる。
 あとは、どれだけ練度を高めることができるかだ。

 陣地転換と再編成とが完了した中隊は、まずは個別の訓練から始めることにした。
 射撃管制装置はもちろん、各高射砲に各高射機関砲にも、人員の異動がわずかではあるが発生したので、隊員たちを各自の役割に習熟させる必要が生じたからだ。もちろん、異動は最小限にとどめたので、与えられた任務が変わらない隊員が大半なのだが、それはそれだ。
 異動のなかった高射砲第二分隊と高射機関砲第一分隊についてはともかく、異動のあった高射砲第一分隊と高射機関砲第二分隊には、相応の努力が必要だ。まして、新設となる射撃管制分隊にいたっては、誰にも増した努力が必要になることは言うまでもない。
 今も、プリレチェンスキー市の上空を飛行する戦略空軍の爆撃機に対して、観測を逐次行っている。実は、上空を飛んでいる爆撃機も訓練中の身だ。近くというほど近くはないのだが、飛行機であればわずか数分の距離に、戦略空軍の飛行学校があって、そこでは飛行に関する初等訓練を終えた訓練生たちが、個々の専門分野に関する知識と経験を深め、実機に搭乗して任務が遂行できる最低限の練度を身につける中等訓練が行われており、頻繁な離発着が繰り返されている。
 そんな戦略空軍の飛行経路や爆撃の照準についての訓練に際し、プリレチェンスキー市を標的とするようなコースを取れないかと、マルコフが軍事アカデミー時代の同期にかけあってみた結果、実現したものだ。
 快く承諾してくれたその同期生は、飛行する訓練機に対し、地上との無線交信で、現在の飛行高度と速度に進行方向を伝えるようにと伝達してくれたから、射撃管制装置の観測結果が正確であるかの確認と、個々の砲の観測結果の確認にも使える情報がリアルタイムに入手できるようになっていた。
 おかげで、最初は操作にとまどっていたソフィヤとドミニーカも、今ではかなりの自信を持って観測にあたれるようになっていた。また、当のマルコフ自身も、様々な高度と速度と進行方向で接近する爆撃機を観察するうちに、同じ規模の機体であれば、さほど誤差のない推測ができるようになってきている。
 訓練は、次の段階に進む。

 高射砲小隊と高射機関砲小隊のふたつは、すでに砲単位での訓練を修了し、小隊としての訓練に入っていたが、そこに射撃管制分隊を追加し、射撃管制装置の観測結果をもとに射撃する訓練を始めることにした。
 各砲での観測は行わず、あくまでも電気信号で伝えられる指示に従って砲を操作することから、手番はかなり短縮されている。俯仰角と旋回角は、射撃管制装置から伝達された情報を示す赤い針と、砲が実際に取っている角度を示す白い針とが重なるように操作するだけだし、信管にいたっては、装填補助装置に付いた信管測合機によって自動で測合されるから、砲弾に正しく信管が装着されているかと、信管の調停操作が正しく動作するかだけを確認するだけでいい。
 ここまで単純化されてしまうと、あとはただひたすら機械のように、同じ動作を繰り返すだけの単純作業が続く。だが、繰り返せば繰り返しただけ、作業の精度と速度はあがっていく。その作業に慣れていくからだ。
 ただ、惰性で行動することになっては、慢心による誤動作を生み、結果として事故に繋がることにもなるので、そこは、中隊員が常に緊張感を持って行動するように仕向けている。
 例えば、このように。
 マルコフは、敵機に見立てた戦略空軍の爆撃機が有効射程に入った直後に、各砲と射撃管制装置とを結ぶケーブルを引き抜いた。射撃管制装置は観測を続けているが、その情報は当然ながら、各砲には伝達されない。
 異変にいち早く気づいたのは、高射砲第二分隊の分隊長であるエレーナ・スルコヴァだった。照準手たちが戸惑っていることを見てとったエレーナは、彼女たちに直ちに独立照準を命じるとともに、小隊長であるユリヤに対し、「観測分隊全滅の模様」と報告した。
 それこそがマルコフの求めていたものであった。機敏に臨機応変の対応をしたエレーナには、彼女が酒もタバコも嗜まない人であったことから、いくらかの甘味が提供された。もちろん、彼のポケットマネーから出資されている。
 マルコフは、こういった意図的なトラブルを、中隊の訓練の状況に応じて発生させるようにしていた。時には連続して発生することもあれば、数日の間にわたって、何も発生しないこともある。要するに、中隊員に「そろそろかな?」と思わせることのないように、パターン化することだけは避けるようにしていた。

 こんな訓練を継続すること九週間。
 中隊そのものの運用はもちろんだが、市の防空に関する交渉をプリレチェンスキー市の当局者と行ったり、他の自主防空組織との調整も行わなければならないマルコフは、実に多忙を極めていた。
 そんな彼の課す高い要求に応えるため、自発的に訓練を行っている中隊員たちだったが、彼女らの努力の日々など気にする様子もなくなるような、号外が出るような大事件が世の中では起きていた。
 連邦が、帝国と交戦状態に入ったのだ。
 明確に開戦と称しないのには、それなりの理由がある。
 数ある列強の中で、連邦を国家として認めていないのは、唯一帝国のみである。同様に、専制主義者の妥当を革命の目標として掲げていた労農党が政権を担う連邦も、帝国を国家として認めていないことから、当然のように国交などなく、交渉する窓口は中立の第三国にある大使館を通してという、かなり婉曲な手順を踏む状態だった。結果、宣戦布告のような外交上の手続きを一切行わずに、戦争という事態に突入することになってしまっている。
 交戦状態に陥った理由も、これまたはっきりしていない。今でこそ、王国の時と同じように、帝国内で非合法とされている労農党指導部からの派兵要請を受けたためとされているが、実際には、なし崩し的に始まってしまったものらしい。
 イヴァノフが下士官仲間から仕入れた情報よれば、帝国の国境線まで追い詰めた王国軍が、武装したまま帝国の国境線を越えていったことが発端だという。独立国として、武装したまま越境侵犯を行った王国軍を武装解除するまでは当然なのだが、その扱いはまるで英雄のそれで、労農赤軍の攻勢によって窮地に立たされた王国軍の将兵からすれば、九死に一生を得た形となる。
 おもしろくないのは労農赤軍の将兵たちだ。帝国との国境線まで彼らを追い詰め、さらには他の王国支配地域からも分断し、あとは殲滅するばかりであったのに、包囲の手からすり抜けるようにして逃げられてしまったのだ。
 当然、現地部隊の判断で、帝国の国境警備隊との交渉を持とうとした。国境線の向こう側に逃亡した王国軍将兵の身柄引き渡しと、所持していた軍需物資の返還を求めたのだ。だが、国交のない国の武装勢力とは交渉しかねるの一点張りでらちがあかない。あげく、逃亡をはかった王国軍を追った結果、帝国の国境線を越えてしまった部隊は、帝国の正規軍に包囲されて強制的に武装を解除させられたうえ、不法入国者としての取り調べをされてから、ようやく解放される始末だった。
 これが、連邦内にくすぶっていた帝国への反感に、完全に火をつけてしまった。
 帝国が中立の立場を守らないのであれば、もはや交戦国と同等に扱うのが当然だとか、労農赤軍将兵が受けた屈辱を帝国軍将兵の血であがなわせよとか、過激な論調が労農党の機関紙の一面を飾り、党の幹部からも過激な発言が飛び出すようになると、もう、誰も止めることができなくなっていた。
 労農赤軍の中央方面軍は、労農党の結党記念日である八月二八日をもって、帝国軍と交戦状態に入ったという報告をあげた。これを受けた党の最高指導部は、祝杯をあげて喜んだという。
 帝国のような専制主義者からの労農者の解放は、労農党の党是であり、革命以来の悲願でもある。
 それに着手することができたのだ。これを喜ばずに、何を喜ぶというのか。

 そんな連邦をあげてのお祭りムードに対し、マルコフは少し浮かない顔だ。先任下士官であイヴァノフ曹長も、あまり嬉しそうな表情は浮かべていない。もっとも、彼の場合は、そもそも喜怒哀楽を前面出さないように、自分を律する面があるからでもあるが。
 あくまでもマルコフの個人的な意見ではあるが、帝国との開戦は、少なくとも、王国を完全に妥当した後にするべきだったと思っている。なにしろ、王国との戦争は敵の首都を制圧し、国土の七割近くを占領している時点で、連邦の勝利は疑いようがない。だが、勝利が完全に確定したわけでもないのだ。
 それに、旧王国領の解放区においては、レジスタンスが活発に活動するようになっている。それに対応するために、治安維持用の部隊を配置しなければならないのだが、その兵力だって馬鹿にできないし、そもそも、占領地を軍の策源地として自由に使えないという問題を抱えているというのが現実だ。
 所詮、連邦と帝国は水と油。不倶戴天の敵同士であるからには、いつかは戦う運命なのだというのであれば、まずは王国との戦争を完全に解決し、十分な休養と準備期間とを設けてからでも、遅くはないのではないか。
 そういう意味では、事前にコンドラチェンコ准将から渡されていた、今後の戦争の見通しにおける、最低最悪のケースに一歩近づいているというのもいただけない。
 彼は、王国との戦争が終わらないうちに、帝国との戦争に突入することを極端すぎるほどに恐れていた。彼が想定した最悪のシナリオどおりに進んでしまうと、最悪、連邦が崩壊しかねないという予測までしている。
 マルコフはコンドラチェンコとは違い、そこまで悪化することはないと信じてはいるものの、やはり、現在のこの状況については不安も感じる。
 なにか、面倒なことにならなければいいが……。
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