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後日談
無明の鐘 1
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――鐘の音が聞こえる。
法勝寺では毎年晦日の夜に、修行僧が除夜の鐘を突く。今宵鐘を突いているのは、一昨年この寺にやってきて、年が明ければ十五歳となる若い小坊主である。影日向なく働く真面目な少年であり、現在の和尚にも近所の人々にもとても可愛がられている。このまま修行を続けて行けばきっと次の次くらいの和尚となって、この寺を立派に切り盛りしてくれることだろう。
除夜の鐘の数は、人間の煩悩の数を現しているという。うつらうつらしながら聞いていたので数えていた訳ではないが、もう既に百回近くは鳴っている。もしも本当にこの鐘の音が煩悩に通じるというのなら、もはやほとんど枕の上がらぬ身でありながら、今年もまたこうして鐘の音を聞いているこの身の煩悩はどれほど多いのだろうと、慈徳は思った。
法勝寺の先の和尚である慈徳が卒中で倒れたのは、今年――いや、そろそろ去年になろうか――の秋のことだった。かろうじて一命は取り止めたものの、その後は以前のように立って歩くことも、筆を持つことも、人と長く話をすることもできなくなった。無理もない。倒れた時点で、慈徳は既に八十八歳の米寿である。その歳まで生きていて、倒れるまで和尚として寺を切り盛りしていたこと自体が、奇跡のようなものだ。
法勝寺の敷地には手習い所があり、ほとんど無料で地域の子ども達に読み書き算盤を教えている。一応、明野領清水家と深い係りがあるのだが、経済的には清水家に依存していない。かつてこの寺で学んだ子どもが成人して大商人や名の知れた棟梁となって、彼らからの寄進によって寺の運営は成り立っている。
今はもう、この寺の裏手にある苔むした複数の墓の由来を知る者は、慈徳の他にはいない。かつて君水藩の一部であったこの土地で、誰からも顧みられず影のように生き、そして死んでいた数多の若者達。その存在は、明野領の人々にとって、遠い過去の記憶の中に埋もれてしまった。
裏に影衆達の墓を抱いたこの寺で三十年あまり、和尚を勤めた慈徳の俗名を――清水忠雅といった。
法勝寺では毎年晦日の夜に、修行僧が除夜の鐘を突く。今宵鐘を突いているのは、一昨年この寺にやってきて、年が明ければ十五歳となる若い小坊主である。影日向なく働く真面目な少年であり、現在の和尚にも近所の人々にもとても可愛がられている。このまま修行を続けて行けばきっと次の次くらいの和尚となって、この寺を立派に切り盛りしてくれることだろう。
除夜の鐘の数は、人間の煩悩の数を現しているという。うつらうつらしながら聞いていたので数えていた訳ではないが、もう既に百回近くは鳴っている。もしも本当にこの鐘の音が煩悩に通じるというのなら、もはやほとんど枕の上がらぬ身でありながら、今年もまたこうして鐘の音を聞いているこの身の煩悩はどれほど多いのだろうと、慈徳は思った。
法勝寺の先の和尚である慈徳が卒中で倒れたのは、今年――いや、そろそろ去年になろうか――の秋のことだった。かろうじて一命は取り止めたものの、その後は以前のように立って歩くことも、筆を持つことも、人と長く話をすることもできなくなった。無理もない。倒れた時点で、慈徳は既に八十八歳の米寿である。その歳まで生きていて、倒れるまで和尚として寺を切り盛りしていたこと自体が、奇跡のようなものだ。
法勝寺の敷地には手習い所があり、ほとんど無料で地域の子ども達に読み書き算盤を教えている。一応、明野領清水家と深い係りがあるのだが、経済的には清水家に依存していない。かつてこの寺で学んだ子どもが成人して大商人や名の知れた棟梁となって、彼らからの寄進によって寺の運営は成り立っている。
今はもう、この寺の裏手にある苔むした複数の墓の由来を知る者は、慈徳の他にはいない。かつて君水藩の一部であったこの土地で、誰からも顧みられず影のように生き、そして死んでいた数多の若者達。その存在は、明野領の人々にとって、遠い過去の記憶の中に埋もれてしまった。
裏に影衆達の墓を抱いたこの寺で三十年あまり、和尚を勤めた慈徳の俗名を――清水忠雅といった。
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