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第49章

まさかの決着

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 先ず、経験豊富な玄播が口を開いた。
「弥三郎殿、先ずはそなたが名乗られよ。」
「断る。」
 なんと弥三郎は名乗りを拒絶した。これには玄播は面食らった様である。さくもだ。もしかすると弥三郎は一騎打ちの作法を知らぬのではないかと、さくは漠然とした何とも言えぬ不安を覚えた。
「どういう事だ?名乗らぬのか?」
「何故、名乗らねばならんのだ。名乗りたければそなたが勝手に名乗れば良かろう。」
 玄播は弥三郎の物言いに驚いた。「何故、名乗らねばならんのだ。」とはどういう事だ。名乗らずに一騎打ちをするつもりなのだろうか?無作法な男め。そういえばこの男は今日が初陣と聞いていた。そうなると、一騎打ちの作法が分からないのではないかと玄播は思い至った。馬鹿殿とは聞いていたが、無粋な男である。仕方ない。教えてやるか。
「それでは儂から名乗らせて貰おう。」
 玄播は弥三郎をうつけ者を見る様に一瞥すると、後ろを向いて大声を張り上げた。
「やあやあ、我こそは本山家家臣、松井玄播じゃ。これより一騎打ちを行う。何人たりとも手出し無用じゃ。正々堂々こ・・・・・・。」
 玄播が名乗りながら、弥三郎に向き直った瞬間、弥三郎が繰り出した槍が玄播の顔面を刺し貫いた。瞬間、やんやと囃し立てていた本山勢が唖の様に沈黙した。余りにも突発的な出来事に誰も一言も発するものはいない。どれだけ沈黙が続いたであろうか。沈黙を破ったのは弥三郎である。
「さく、見たか。松井玄播とか云うものを、正々堂々、一騎打ちで討ち取ったぞ。」
 どこが正々堂々なのか。未だ双方名乗りも済ませぬうちに、不意打ちで討ち取ったのである。実はさくも卑怯な策略を考えていたのだが、それを上回る卑劣さである。まさかこんな卑劣な手を弥三郎が使うとは思っても見なかった。さくはドン引きしながらも、如何にこの事態を収拾するか思案した。松井玄播は仰向けに伏して痙攣していた。未だ息があるものの、助からないだろう。さくは左月を呼んだ。
「左月、弥三郎様が松井玄播を討ち取った。速やかに首を獲り、槍の穂先に掲げよ。」
「えっ、しかし・・・・・。」
 左月はそんな事をして良いものなのか迷いがあったのだ。
「構いません。やりなさい。」
「・・・・・・はい。」
 左月は弥三郎を恨めしそうに一瞥したが、弥三郎は何故、そんな目で見られるかが全く分からなかった。左月は痙攣する玄播の体を踏みつけると首を切り落とした。周辺諸国に勇を馳せた本山家随一の勇将、松井玄播の哀れな最後であった。左月は取った首を槍の穂先に刺し、遠くにも見える様に掲げた。
「本山家一の勇将、松井玄播。弥三郎様が正々堂々と一騎打ちで討ち取った。ここに居る皆が証人です。」
 さくは皆にこれが正々堂々とした一騎打ちであったと強弁した。これに異を唱えたのが本山の兵士たちである。
「なにが正々堂々とした一騎打ちじゃ。不意打ちではないか。弥三郎殿は名乗りすらしない。これは正式な一騎打ちではない。」
「黙れ、田舎者。これこそが上方の一騎打ちです。上方では相手が油断したら、すかさず斬り掛かるのが習い。その様な事も知らぬ本山方の兵士は本に無粋な方々よ。」
 さくは喰ってかかる本山方の兵士をバッサリと斬り捨てた。言ってることは全て出鱈目。何とか弥三郎の名誉を守ろうと理由を付けて丸め込もうとした。
「嘘を付くな、卑怯者。何が上方の習いじゃ。そんな習い、有る訳なかろう。汚い手を使わなければ玄播殿に勝てぬから不意を突いたのであろう。」
「不意を衝こうが衝かなかろうが、何度やっても結果は同じ。玄播は弥三郎様に絶対に勝てぬ。」
 断言するさくに、本山の兵は怒りの声を上げる。
「ふざけるな!」
「今一度、戦えば弥三郎など一捻りよ。」
「もう一度、戦え!」
 怒り猛る本山勢にさくは大声を張り上げた。
「それならば、再度、上方の習いで一騎打ちを行いましょう。されど、残念な事に玄播殿は首だけにおなりです。どなたか玄播殿の代わりに弥三郎様に仇討ちを挑む方は居りますか?」
「・・・・・・・・。」
 静まり返る本山方。皆、弥三郎の卑劣さに憤ってはいたものの、玄播を突き殺した弥三郎の尋常でない槍捌きに、一騎打ちを挑む者は居なかった。さくは本山方の戦意の衰えを敏感に感じ取った。この戦、勝った。
「本山方には弥三郎様に仇討ちを挑もうとする漢は一人も居らぬのか。皆の者、本山方は人数が多いだけの臆病者の集まり。恐れるに足らず。一気に突き崩すのです!」
 さくの号令で勢いを得た兵たちが本山方の兵に襲い掛かる。玄播を討たれた相手方は戦意を失い、抗戦せずに退却を始めた。時を同じくして、一進一退を繰り広げていたさくの父・国安の陣も弥三郎の兵たちの奮闘ぶりに大いに勇躍し、敵を討ち破った。それをきっかけに本山方は総崩れに陥った。弥三郎の初陣、長浜・戸の本合戦は2倍の敵を撃破した戦国史に残る大勝利であった。
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