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第47章

戦場の伝説・松井玄播

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「さく!」
「姫様!」
「だ、大丈夫です。それよりも第二矢が来ますよ。」
 3人は矢が飛んできた方向を注視する。一人の騎馬武者がこちらへ兵士を蹴散らしながらやってくるのが見えた。弓を構えている。
「左月、あの者が誰か分かりますか?」
「・・・・・分かりません。しかし、かなりの手練れである事は間違いないかと・・・・。」
 あの距離で馬上から弥三郎を狙う正確な騎射。乗っている馬の見事さ。鎧兜の壮麗さ。以上の事から名のある武士である事は間違いない。弥三郎の首を獲りに来た豪の者であることは直ぐに想像できた。
「弥三郎様に近づけてはなりません。」
 それを聞いた左月は傍に居た弓兵に指示を出す。
「あの者を狙い撃て。射殺した者には褒美をやるぞ。」
 それを聞いた者たちが一斉に弓矢を雨あられと掃射する。だが、敵もさるもの。体を伏せ、馬の右腹にピタリと体を付け、狙いを付けさせない。
「これは・・・・・。」
 さくも左月も戦慄した。重い鎧を付けながらそんな芸当は普通出来ない。
「狙いが付けられませぬ。」
 弓兵が戸惑ってる間に、騎馬はドンドンと迫って来る。
「馬を射殺すのです。」
 さくは左月に言った。
「はっ。皆、馬を射ろ。」
「えっ。あんな見事な馬を射殺してしまうのですか。」
 弓兵たちは躊躇した。戦利品として無傷で分捕ればかなりの金になるからだ。
「馬の事は考えなくて良い。あの者の首を取った者には馬5頭分の褒美を取らす。」
 さくは弓兵たちに権限も無いにも関わらず、勝手な約束をした。さくの中の何かがあの武者を近づけてはならないと警告していたからだ。
「馬5頭分!」
 兵士たちは色めき立った。駆り出された農民たちには、馬5頭分という響きは魅力的である。想像もできない大金を提示するよりも、身近な馬5頭と言った方が貧しい者たちには響くだろうという、さくの計算だった。
「褒美は馬5頭分だぞ。あの馬を射殺して、武者を落馬させ、首を獲って来るだけで馬5頭分の褒賞だ。」
 左月の号令に煽られて、弓兵は馬に雨あられと矢の雨を降らせる。
「ヒヒィン~~~~。」
 馬は一瞬の内に体から矢が生えているかの様に錯覚させる程に矢を射られ、横倒しに倒れた。武者は下敷きである。
「やったぞ!」
 弓兵たちの歓声を聞き、さくは安堵した。
「よくやりました。首を獲った者には、馬5頭分の褒賞です。」
 それを聞いた兵士たちが我先にと落馬した武者の元に殺到する。その時だ。
「うわ~~~っ。」
「ぎゃ~~~っ。」
 断末魔の悲鳴が響き渡った。さく達がそちらへ目を向けると、下敷きになった筈の先程の武者が立ち上がり、首を獲りに行った農民を殺戮していた。目を見張る程の大太刀を振るい、手を、首を、切断する。当たりはあっという間に阿鼻叫喚の地獄と化した。さくと左月は呆然とそれを見ていた。一体、あれは誰なのだ。武者は及び腰の農民兵など眼中に無いかの如く、こちらへ歩を進めた。だれも行く手を遮るものはいない。無人の野を往く武者は誰にも邪魔される事無く、弥三郎の目前まで迫った。それを阻止したのはさくである。急いで身支度を整えると完全装備で武者を迎え撃つ。
「あいや待たれよ。」
 さくが薙刀を突き付けると、武者は歩みを止めた。
「・・・・・・・。」
 無言でこちらを見ている。全身赤備えの鎧、面当てで表情は見えない。背丈の高い大柄の男である。右の手には見た事も無い大太刀。それを軽々振り回している事から、かなりの膂力がありそうだ。
「名のある武将とお見受け致す。名をお聞かせ願いたい。」
 さくは相手の表情を窺いつつ、毅然と要求した。
「本山家家臣、松井玄播じゃ。」
 左月は心の臓が口から飛び出るのではないかと思う程の衝撃を受けた。松井玄播は本山方の豪の者で、その名は周辺諸国に知らぬ者はいなかった。戦場で危なくなったら「自分は松井玄播だ。」と叫べば、敵は逃げると言われる程。戦場の伝説である。本山方との戦で松井玄播と名乗る者を過去に左月は見た事があったが、内心何するものぞという思いがあったのだが、それは相手が名を騙る偽物だったからで、目の前のこの男は常人とは違う威圧感がある。この大太刀、戦いぶりを見てこの者こそが本物の松井玄播であると確信できた。終わりだ。戦って勝てる相手ではない。玄播に遭ったら逃げるしかないのである。左月はさくを見た。さくは表情を全く変えずに玄播と相対していた。
「姫様・・・・・・。」
「分かっています。」
 さくは左月に囁くと、玄播に話し掛ける。
「ここに如何なる用があるのですか。」
「用件は2つ。こちらの若殿が噂とは違い、かなりの槍の腕前と聞いた。手合わせ願いたい。」
「・・・・・・2つ目の要件は。」
「女じゃ。こちらに宮脇の娘が居ると聞いた。腕が立つ上に処女だそうだな。儂が貰う。」
「・・・・・・・。」
「そなたがそうか?」
「いかにも。宮脇家の娘。さくじゃ。」
「話には聞いた。助平なおなごらしいな。」
「助平?何が助平なのだ?」
 玄播の話に弥三郎が喰い付いてきた。拙い。玄播は先程の醜態を全て知っている様だ。何とかして口を塞がねば・・・・・。さくは話の転換を謀った。
「玄播とやら、そなた本当に松井玄播か?」
「いかにも。松井玄播じゃ。何故、そんな事を聞く?」
「いくさ場では玄播の名は伝説です。その名を騙る騙り者が大勢居る。そなたが玄播と云う証拠は。」
「・・・・・何が証拠になる?」
「その面当てを外して顔を見せなさい。」
「お主らの中に儂の顔を知る者はおるまい。儂の顔を見た者は皆、殺されるのだから。」
「面構えを見れば、本物かどうか位の判断は付きます。」
「ほう、面構えでのう。・・・・・よかろう。見せてやる。」
 玄播と名乗る男はゆっくりと面当てを外す。さくの予想に反して、その顔は傷一つない、色白の優男であった。弥三郎によく似ていた。
「どうだ。儂の面構えは。」
「・・・・・・・・。」
「傷だらけの顔を想像したのか?儂は戦場に出る事、30回を超えるが、未だ不覚傷を負った事はないのでな。」
「・・・・・・・。」
「気が済んだであろう。そなたでは儂は殺れぬ。其処を退け。」
「断る。」
 さくはきっぱりと拒絶した。目の前のこの男は本物の松井玄播である事は間違いがない。相対して総毛立つ感覚に襲われる。これは目の前の男が只者ではない事を表している。もはやこの状況では弥三郎を逃がせる状況ではない。戦うしかなかった。が、さくと左月・弥三郎が束になって掛かっても、勝てる相手ではない。どうするか?
「交渉の余地がありますか?」
 さくは話し合いを求めた。
「交渉?どういう意味だ。」
 玄播は怪訝な表情を浮かべる。
「降伏します。さくが玄播殿の女になります。どうかこの場はさく一人の身代と引き換えに弥三郎様を見逃してはくれませんか。」
 思いもかけない提案に、左月はさくを引き留める。
「一体、何を仰るのですか。」
「弥三郎様を助けるにはこれしかない。これで良いのです。後は頼みました。」
 さくは薙刀を放り投げると、兜を脱ぎ、玄播の元へ歩み寄る。さくは玄播の女の様な薄い唇に口を付けた。
「玄播殿。さくは全てあなたに従います。どうか弥三郎様をお見逃し下さい。」
「・・・・・よかろう。」
 玄播はさくの願いを聞き入れた。さくの腰に手を回し、弥三郎に背を向けゆっくりとその場を去ろうとする。
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