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第29章

はるの戦い

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 はるは息せきながら走る。一刻も早く助けを呼ばねば。その一念しかなかった。履いていた草履を脱ぎ捨て、小袖をたくし上げ走った。その時である。前方の薄暗がりの中に、人影が見えた。しめた。と、はるは思った。自分はもう限界である。誰かの助けを借りられないかと思っていた所に人影である。これも日頃の行いが良い故であろう。人影に走り寄ると声を掛けた。
「これ、助けてたもれ。」
 人影ははるに気付き、寄ってくる。
「如何された。」
 はるは息を整えながら、手短に説明しようとする。
「一大事じゃ。本山の間者が七人、城下で刀を抜いておる。昨今の辻斬りの下手人は彼奴等じゃ。今、宮脇の姫が刃を交えておるが、弥三郎様が危ない。急いでお城に知らせておくれ。」
 はるは息せき切ってそれだけなんとか伝えた。が、人影は反応が無い。その場に立ち尽くしている。急な事で理解が追い付かない様であった。はるはイライラして当たり散らす。
「聞いているのですか。」
 暗くて相手の反応が見えない。息を三回する程の沈黙が流れた。
「本山の間者が城下に居ると?」
 人影がはるに訊ねる。はるは急いた気を落ちつけながら必死になって訴えかけた。
「だから、そう言っておるではないか。直ぐにお城に知らせてたもれ。」
 その時、空にかかる雲が途切れ、周囲が月の光で照らされた。
「あっ!」
 はるの口から驚きの声が漏れた。月の光が照らした二人の男の顔。それははるを追って路地を回り込んで来た本山の間者の醜悪な顔である!
「残念だが助けは呼ばせん。」
「・・・・・・。」
 はるは恐怖で声も出ない。二人の手元からは抜刀した刀が月の光で鈍く光った。殺される。そう思ったさくは踵を返す。だが、男の一人がはるが走り出すより早く、右の手首を掴んだ。そのまま引っ手繰られて、はるは尻もちを着く。
「きゃっ!」
 恐る恐る見上げると、二人の男達はニヤニヤと不気味な笑みを浮かべている。生きた心地のしないはるは懇願した。
「後生ですから命だけは・・・・・。どうか・・・・。」
 男の一人が刀を振り上げた。だが、もう一人がそれを押し止める。
「待て。殺すな。」
「何故だ。」
「よく見ろ。上玉のおなごだ。」
「今はそんな事をしている場合ではない。弥三郎の首を獲るのが一番だ。」
「知った事か。俺はおなごを好きなだけ犯せると聞いて、仲間に加わったんだ。俺はこの女を犯す。お前は弥三郎の首を獲りに行けばよい。馬鹿殿の首を獲るのに二人も要らないだろう。」
「・・・・・仕方のない奴だ。」
 そう言った男はぶつくさ言いながら、はるが走って来た方向へ消えていった。後にははると、はるに欲情した男が残された。
「さてと、楽しませて貰うか。大人しくしていれば命までは取らぬ。分かるな。」
 はるはガクガクと震えながら頷いた。男は刀を鞘に納めると、腰から外し、脇差と共に地面に放り投げた。武士の魂を乱雑に扱う所から見ても、魂は無頼者だという事が分かった。男ははるを押し倒すと、小袖の裾を乱雑に開き、火処に指を入れた。激痛が走り、はるは悲鳴を上げた。
「痛い!」
 男は火処に入れた指を抜くと、臭いを嗅いだ。
「お前は処女だな。火処もきついし、臭いも処女のそれだ。」
「・・・・・・。」
 処女と非処女は火処の臭いが違うなどとは聞いた事が無かったが、男は独自の嗅覚で、はるは処女ではないかと察しを付けた様だ。
「どうなんだ。処女なのか?答えろ。」
「・・・・・。はい。そうです。」
 はるは素直に答える。殺されるかもしれないのだ。男の質問に素直に答えるのが身の為だと思った。それを聞いた男の顔に満面の笑みが広がった。ヒューと口笛を吹く。
「こいつは珍しい。この年になって処女とはな。」
 そう言うと男は自らの小袖を開け、分身を露出させた。
「いやっーー。」
 勃起した肉塊を見て、はるは悲鳴を上げる。男はそれを嬉しそうに見つめながら、はるを組み敷いた。
「お止め下さい。初めてがこんな形で奪われるなんて嫌なのです。どうか助けて・・・・。」
「馬鹿を言うな。おなごの初めてを強引に奪うのが、男冥利と云うものではないか。」
「そんな。後生ですから・・・・・。」
 はるは泣きだした。だが、それは加虐者を一層燃え上がらせるだけである。男ははるの唇を強引に奪う。
「うーーん。」
 はるは男の舌が強引に侵入するのに必死に抵抗する。その瞬間、男の平手がはるの左頬を打った。
「きゃっ。」
「貴様。殺されたいのか。大人しく舌を絡めろ。」
 そう言うと男は再度、口吸いを強要する。はるは仕方なく舌を絡ませた。
「そうだ。殺されたくなかったら、大人しく言う通りにするんだ。」
 口吸いをされながら、はるはガクガクと頷いた。暴力の前にはるの様な女は無力である。男の欲望のままに蹂躙されるしかなかった。男ははるの胸元を開けると、乳房に好色そうな視線を落とし、揉みしだき、しゃぶり付いた。目を瞑って耐えるはるは観念した。助けはこない。いつもの様にさくを頼る訳にはいかないのだ。自らを助けるのは自らだけ。この場を逃れるにはこの男に処女を捧げるしかない。はるは固く目を閉じると、弥三郎が収蔵していた春画の絵柄を思い起こし、頭の中でまぐわいの仕方を反芻した。何分初めてだが、本の通りにやれば、なんとかなるだろうと楽観的に考えた。すると気が楽になり、余裕が生まれた。その時である。弥三郎の秘蔵本の中に海外のまぐあい方についての本があったのを思い出した。何でも海の外の国では、男の矛を口に含んで逝かせる風習があるらしいと書いてあったのだ。それを思い出して閃いた。この絶体絶命の窮地を逃れる方策を。だが、失敗すれば殺される。大人しく抱かれた方が良いだろうかと、はるは思案を巡らせた。その時である。賊に嬲られて斬り捨てられた六人目のおなごの話が脳裏に浮かんだ。体を好きなようにさせても、助けて貰えなかったのだ。はるが言う事を聞いても、助けて貰えるとは思えなかった。謀を知られたからには目撃者は消す筈である。立場が逆ならさくもそうする筈だ。ならば、生き残るにはこれしかない。はるは恐怖を打ち払いながら、胸に顔を埋めている男に声を掛けた。
「・・・・・もし、お侍様。」
「・・・・・・。」
 男は夢中になって、はるの胸にむしゃぶり付いていた。はるは男の機嫌を損ねない様に出来るだけ柔らかな声色で語りかける。
「もし、・・・・お侍様。」
「黙っていろ。」
「・・・・気持ち良いです。」
「何・・・・・?」
 男は予想もしない一言に一瞬、呆気に取られた様子であった。
「本当の事を申しますと、はるは逞しいお方が好きなのです。」
「・・・・・・。」
「逞しいお侍に乱暴に奪われる事を想像し、いつも火処を擦っておりました。」
「・・・・・・。」
「私ははると申します。あなた様の女にして頂けないでしょうか。」
「お前、本気で申しておるのか?」
 男は面食らっている様子である。はるは男の頭を抱きしめると、自ら口吸いをし、舌を絡めた。男も舌を絡め返す。男の息は酒臭い。はるは息を止めて我慢する。息を十五回はするぐらいの熱烈な口吸いに、男はすっかりその気分になった。
「よし、気に入った。はる。そなたを俺の女にしてやるぞ。」
「本当ですか!嬉しい。」
 はるは明るい声を出した。気を良くした男は自分の女に初めて精を放つのは当然の権利とばかりに、火処に矛を宛がった。その時である。
「待って!」
 はるは大きな声を出した。それに男は声を荒げる。
「なんだ。俺の女になりたいのではないのか。さっきの言葉は儂を謀ったのか。」
 はるは男の唇に軽く唇を合わすと、笑顔で男に語りかける。
「まさか。謀ったりは致しません。只、抱いて頂く前にお願いがあるのです。」
「お願いだと・・・。なんの願いだ。」
「恥ずかしゅう御座います。お耳をお貸し下さい。」
 男が耳を近づけると、はるはコソコソと耳元で囁いた。
「まぐわいの前に、お侍様の矛を舐めさせて頂きたいのです。」
「舐める?矛を?口でか?」
「はい。」
 笑顔のはるに男は仰天した。何故ならこの時代は矛や火処は不浄とされ、舐める等という事は禁忌だったのである。
「な、何故、そんな不浄のものを舐めるのだ?」
「実は馬鹿殿の弥三郎は春画を集めてるのですが、その中の一冊に、海の外の国ではおなごが、おのこの矛を口で扱いて逝かせるということが一般的と書かれていまして。」
「それは誠か?」
 男ははるの話に驚いた表情を見せた。田舎侍には到底信じられない事だ。
「誠に御座います。それが描かれた春画を見ながら、はるはいつも火処を扱いていました。いつの日か、おのこと交わる時は口で逝かせてみたいと思っていたのです。」
「しかし・・・・・、不浄ではないか。」
 男は戸惑いを見せる。矛を口で扱きたいとは、なんと変態な痴女なのだろうと、ここにきて気後れしたのだ。だが、はるは男の考えを知ってか知らずか小袖を開けて、乳房を男に見せ付ける様に露出した。
「・・・ほう。・・・。」
 男ははるのなまめかしい裸体に、感嘆の声を漏らす。夜の闇に浮かび上がる裸の女の穢れの無い瑞々しさは神々しくもある。男の脳内には女神の柔らかな口に、汚れた肉塊を突き刺す想像に背筋がゾゾゾと寒くなる様な興奮を覚えた。しかもそれは無理やりにやらせるのでは無く、女の方から積極的に誘って来ているのだ。女を無理やり犯す事しか知らなかった男には至極、新鮮に思えた。
「よし、やってみよ。」
 はるは小袖を脱ぎ捨てると、全裸の姿で男の膝元にしゃがみ込む。赤銅色の矛に手を伸ばすと、躊躇なく口づけをした。はるは唇を付けた肉塊から血の味がしたのを味覚で感じ取った。それは処女を散らされた上に殺された町民たちの怨みの味である。自分が何を考えているかおくびにも出さず、肉塊の先っぽやカリ首をチロリチロリと舐め続けた。
「うおっ!おおお・・・・・・。」
 男は今までに味わった事の無い快感に思わず呻き声を出した。はるはそんな男の顔色を窺いながら、意を決して口内に呪われた肉塊を飲み込んでいく。
「うぐぐぐぐ・・・・・・。」
 はるは喉奥深くまで埋まった呪物の圧迫で呻き声を上げる。苦しい。だが、自分が言い出した事だ。ここで吐き出す訳にはいかない。えずきながら、口の中の肉塊を口を使って扱く。頭を前後に動かして、口を性器に見立てて、男を絶頂に導かんとした。
「これは・・・。これは、良い。堪らん。」
 男は未知の快感に呆けていた。矛を口の粘膜で擦られる事がここまで気持ちが良いとは露ほども知らなかった。今までは女を殴り、脅し、強制的にまぐわう。それだけだった。だが、目の前のこの女は積極的に自分の事を誘い、矛を口で扱く等と禁忌に触れることを平気でしている。はるというこの女は自分の事を好いている。男にはそう思えた。自分の事を好いてくれる女などは、この世にはいないと思っていたにも関わらず、思いもかけず巡り合ったのは御仏の導きである。男ははると一緒に人生をやり直そうと思った。今日を限りに無頼な生活とはおさらばだ。やり直すのだ。自分の人生を。
「はる。好きだ。儂に付いてきてくれ。人生をやり直したいのだ。」
 男の言葉にはるは驚いた表情を一瞬見せたが、動きを止めぬまま、コクリと頷いた。遂に自分に伴侶が出来る。男は幸福感で一杯になった。これからは真っ当に生きる。こんな仕事からは足を洗う。男は任務を放り出して、はると逃げる事を決めた。
「そうと決まれば、こんな仕事はもう止めだ。一緒に逃げよう。」
 はるは上目遣いで男の顔色を窺いながら、無言で口を動かす。男は背筋に寒気を感じた。体がピリピリと雷撃を受けたように痺れる。絶頂が迫っていた。早くこの場から二人で立ち去りたいが、色魔のはるが男が逝かない限り、止めてくれそうにない。
「よし、はる。分かった。儂を逝かせてくれ。」
 はるはじっと男の顔を見ながら前後の動きを速めた。何とも言えない官能が男を襲う。もう我慢が出来ない。頭を抑えながら、男は腰を前後に動かし始めた。喉奥近くにまで異物が突き立てられ、はるは嗚咽を漏らした。
「逝くぞ、はる。口の中に出すぞ!」
 腰を動かしながら、男が獣の声を放った時だった。
「い、痛てえ。何をするのだ!」
 男は悲鳴を上げた。追い詰められた兎が獰猛な犬に逆襲に出た。はるが男の怒張した肉塊に歯を突き立てたのだ。
「この野郎、放せ!」
 自分の女の予想もしない行動に、男は激怒し、頭を殴りつける。だが、はるは止めない。牙を突き立てるのを止めれば、裏切りに怒った男に殺されるだけだ。
「貴様、これが目的だったな!」
 男はこの時になって初めて、はるの策略を察知した。だがその時にはもう手遅れである。男が激痛を感じたと思った瞬間、はるは後ろに吹っ飛んだ。男が反射的に矛を見ると、すでに矛は噛みちぎられた後であった。激痛に蹲って吹き出す血を抑える男。
「畜生、てめえ、ぶっ殺してやるぞ。」
 喚く男が頭を上げると、はるが男の放り投げた刀を抜いて立っていた。男は激痛で哀願する事しか出来ない。
「待て、待ってくれ。俺は雇われただけなんだ。殺さないでくれ!」
 はるは口から、噛みちぎった肉塊をペッと吐き捨てると、冷徹に言った。
「そなたが殺したおなご達も命乞いをした筈です。だが皆、殺した。因果応報。次はそなたの番です。」
「・・・・・・。」
 男は強気に言い放つはるが突き付ける刀の切っ先が震えている事に気付いた。それで瞬時に把握した。目の前の女は人を殺めた事が無いのだと。
「刀を持つ手が震えているではないか。そんな事で人を殺せるのか。」
 男は血塗れの股間を右手で押さえながら、苦痛に満ちたしわがれ声を発した。先程、自分が放り捨てた脇差を目で追う。はるも男の目の動きでその狙いを察知した。
「止めなさい。動いてはなりませぬ。動いた瞬間、そなたを斬ります。」
 はるの声は震えていた。
「お前こそ、殺されたくなかったら、その刀を捨てろ。」
 男の声も激痛で震えている。はるは目の前の男を弑すことに躊躇し、男は痛みに震えながら形勢の逆転を狙う。睨み合いが続いた。息を十五回する程の間、見合った二人だったが、先に動いたのは痛みと出血に耐えかねた男の方だった。例えはるが斬り掛かって来たとしても、ヘッピリ腰の女に斬られる事は無いと判断したのだ。男が脇差に手を伸ばすと同時に、はるは目を瞑って刀に体を預けて体当たりを敢行した。これが男の虚を衝いた。傷を負った状態でも、唯のおなごの一太刀なら造作も無く捌けただろうが、刀に体を預けての体当たりは、重傷を負った男には捌けなかったのである。
「ぐふっ!」
 男は苦し気に呻いた。はるの一撃が胸を貫いたのだ。
「き、貴様・・・・・。」
 擦れる声を出しながら、男ははるに掴みかかる。悲鳴を上げてはるは後ろに飛びのいた。その瞬間、握っていた刀が男の胸元から抜ける。傷口から噴き出た血が、はるの裸体を真っ赤に染めた。
「きゃーーっ!」
 悲鳴を上げるのと同時に、男は崩れ落ちた。はるは呆然とその場をに立ち尽くす。膝がガクガクと笑い、握っている刀も震えている。はるは恐る恐るうつ伏せに倒れた男に近づくと、ツンツンと突いた。動かない。はるには生死を確認する覇気がない。止めを刺す勇気も無かった。だが、はるの体を真っ赤にするほどの血の量を見る限り、止めを刺さなくても死ぬ筈である。はるは男を放って置くことにした。大きく息を吐きだすと、その場にヘナヘナと崩れ落ちる。殺されるかもしれなかった窮地を自らの機転で、さくに頼らず、何とか切り抜ける事が出来た。まだ生きていられる。まだ生きていられる。生の幸せを実感した。
「生きてるって、素晴らしいな。」
 そう呟くと、両手に握っている刀を放そうとしたが、手が強張って離れない。味わった恐怖に人を殺した恐怖が合わさって、体が麻痺している。真っ赤に染まった刀に恐怖を感じたはるは、悲鳴を上げながら手を振って、何とか刀を投げ捨てた。暫しその場に座り込んで、虚脱状態に陥るはる。その時、口の中が苦い汁で溢れている事に気付いた。男の矛を口に含んだ時に、放出された精が口に溢れていた。はるはその場で嘔吐した。胃の中が空になるまで吐いて、ようやく人心地付いた。怖かった。男の矛を口に含んで油断させるという策略が当たった。弥三郎の春画を見ていなければ、思いつかなかったであろう。
「まさか、弥三郎様の春画のお陰で、命を救われる事になろうとは・・・・・・。」
 はるはそう呟くと、苦笑いする。春画を集める弥三郎に、春画は素晴らしいです。命を救われました。と言ってやらなくてはと考えている時、ふと、頭を過ぎった。ん、弥三郎?・・・・そういえば弥三郎はどうなった。賊の一人が弥三郎を殺す為、あちらに向かっていたのを思い出す。はるは真っ青になった。
「弥三郎様が危ない!」
 はるは全身血塗れのまま、急いで小袖を羽織った。足元に落ちている自分の脇差を握り締める。先程の血塗れの刀を再度、握る気になれなかった。この脇差でなんとかするしかない。はるは来た道へ急いで駆け出した。
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