【遺稿】ティッシュの花

牧村燈

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 お盆が明け、世の中が始動する。朝の出勤の人出を見ると、一時期の遠慮はもうないように思える。元々お上の言いつけに従順なDNAを持つ日本国民だが、緊急事態宣言などという物々しい看板をあまりにも長く続けてしまったからだろうか、多くの国民は自らの判断で動くようになったように感じる。

 今回のパンデミックは正に戦争、ポストCウィルスの時代は戦後に例えられたりもするが、そんな時代を生き抜くために必死になって命懸けで働くということに関して、日本人のDNAは実はとんでもなく優秀なんじゃないかと思う。

 怠惰な私にも、日本人のそんな血が流れているかどうかについては、ちょっと疑問符も付くけれど、まがりなりにも父の血は流れているのだ。文字通り本当にぶっ倒れて死ぬまで仕事をした根性の欠片くらいはあるはずだと、信じることにした。

「何はなくとも仕事があるということは本当に素晴らしいことだ」

 父が綴ったこの言葉の意味を、就職して1年ももたずに仕事を辞めてしまった私が、分かったみたいに言うのはいかにもおこがましいけれど、私だってやる時はやるんだというところを、見せてやりたかった。ちょっと遅いかも知れないけれど。それでもやらないよりはずっといい。

 
 8月16日。私はいの一番にあの倉庫に向かった。小さいけれどとても掃除の行き届いた倉庫に、フォークリフトを操るご主人の姿を見つける。

「あれえ、この間のお嬢さんじゃない。どうしたの」

 気さくに尋ねてくださったご主人に、私は一昨日から丸二日かけて、自分の思いの丈を詰め込んだ真っ黒な履歴書を、押しつけるように手渡した。

「突然押しかけてしまい申し訳ありません。私、何でもやります。力仕事でも雑用でも買い物でも、掃除だって……お料理は、今は卵焼きしか出来ませんけど、すぐに覚えます。だから、こちらで雇っていただくことは出来ませんでしょうか」

 と頭を下げた。求人も出していない会社に押し掛けて採用してくれなんて、先様の事情を考えない我儘勝手な申し出である。しかも途中から押し掛け女房みたいなことを口走っていることに気づいて、顔が真っ赤になった。やっちまった、これじゃもうハチャメチャだ。でも、どうせ最初から無理は分かっていてここにいるんだと、歯を食いしばる。

「お願いします」

 頭を下げたまま、もう一度私は言った。これで手でも差し出せばまるで、ねるとんか今日恋みたいだ、などと思いながら、何でもいいから、お願い、手を握って、と祈っていた。そこに騒ぎに気付いた奥様が、事務所から倉庫に出て来られた。

「おやおや、どうしたの」

 奥様はこの間派遣で来た時と同じ笑顔だった。奥さんの問いに、ご主人は可笑しくて仕方がないという感じでこう答える。

「いやあ、このお嬢さんがね、うちで働きたいって言うんだよ。何だろうね。今日からのバイトさんが入ったばかりだっていうのにね」

 えええっ、今日から?先を越されたってこと。見開いた目に事務所から出てきた男子の姿が映った。華奢で小柄でひ弱そうな身体。その姿には、ハッキリとした記憶があった。そんな、そんな、マジっすか。



「どうせやるならさ、フォークの免許、取ってみない?」

 話の中で、ご主人から勧められた。

「いいわね。倉庫の力仕事はやっぱり男女差が出てしまうけど、フォークなら関係ないもの」

 奥様からもそう言われて、父の小説の中で父がフォークの免許を取ることを勧められているシーンを思い出した。全く想像すらしていない展開だったが、この倉庫で働くことを志してここに来たのだ。覚悟を見せろ、私。

「はい。もし宜しければ、是非挑戦させてください」

 よし、言えた。顔面が紅潮して熱くなっている。私、今、すごく興奮している。この答えを聞いたご主人は、膝を叩いてこう言った。

「よし。決まった。フォークの免許が取れるまでは週3のアルバイト、実技の練習はいつでも倉庫の端っこを使っていいよ。免許が取れたら正社員になるってことで、それでどう?」

 え?正社員?ホントに?私の紅潮した顔の中で、見開いた目玉がグルグル回っていた。

「ほら、そんな、アカリちゃん困ってるじゃない。いいのよ、うちなんかの正社員になってもしょうがないんだから。免許を取ったら他にも沢山就職口あるから、いいところを紹介するわよ」

 奥様の言葉に、私は慌てて頭を振る。

「違うんです、奥様。私はここで働きたかったんです。本当に週に1日だけでも働かせていただけたらと思って今日は来ました。だから、さっきのフォークのこともそうなんですけど、正社員になるとか全然考えていなくて……。でも、嬉しいです。もしここでしっかり鍛えていただけたら、こんな私でも一人前の仕事が出来るようになるんじゃないかって」

 情けないけれど、今の私に言えることは、この程度のことしかなかった。

「OK。決まりだね。アカリちゃん、今日からいける?」

 ご主人の言葉に私は、

「はい」

 と答えた。子供のころから返事だけは褒められた。父と一緒に練習した、天に向かって高々と手を挙げて、大声で空を見上げる「とっておきのいいお返事」が、出来ていたかな、私。


「よーーし、二人とも今日からうちの仲間だ。さっそくみんなに紹介しないとな」

 私とひ弱男子は、ご主人の案内で、ご夫婦の倉庫の斜向かいにある巨大な倉庫の中に連れて行かれた。圧倒されるくらいに高い天井の大空間の中にもの凄い数の荷が積まれ、就業時間前にも関わらず、何台ものフォークリフトが縦横無尽に走り回っていた。従業員の数もパッと見で何人と数えることが出来ないほど沢山いる。事態をまったく飲み込めない二人は、顔を見合わせて息を止めていた。

「朝礼の時間です。中央広場にお集まりください」

 という放送で、従業員が中央の広場に集まってくる。機敏な動きだ。【株式会社イザワ倉庫】は、従業員200名以上の大きな会社だった。創業は2008年。社長はあの小さな倉庫のご主人だった。私は全くもって思いもよらず、こんな大きな会社に就職することになったのだ。

 全体朝礼が締まった雰囲気で進んでいく。でも、みんな決して緊張して硬くなっている表情ではない。とてもリラックスした感じで、時々笑顔も垣間見える。最後に社長の一言があり、その中で私とひ弱男子の紹介があった。

「では、一言ずつ挨拶をもらいましょうか」

 というご主人社長の無茶ぶりに真っ白になった私は、

「マ、マキムラです。が、が、頑張りますので、頑張ります」

 みたいなシドロモドロの挨拶をした。恥ずかしいなあ、もう。またまた顔がゆでだこ状態になっているはずだ。みんなの笑い声が高い天井にこだまする。でも決してバカにされているわけじゃないのが分かる。もっと、そう、とても優しい声だ。

「頑張れよぉ」「頑張って」「頑張れぇ」

 バラバラだけど、頑張れという声援が胸に届いた。いい職場だな、と思う。生まれて初めて私が自分で選んだ職場だ。

 続いて前に立ったひ弱男子だったが、例によって声が出ない。従業員から「大丈夫かぁ」という声が掛かった。

「大丈夫っす」

 初めて出た声。やっぱりそれか。私は思わず吹き出してしまった。


 生きるために働く私たちは、きっと死ぬまで頑張り続けることになるのだろう。それはもう絶望的なほど終わりが見えない。

「だけど。その絶望は、決して悪いものじゃない」

 多分、私は父の小説の締めのこの言葉に、希望を見出したのだと思う。まだまだ思っただけのことで、実感があるわけじゃない。何しろ今スタート台に立ったばかりなのだから。でも、いつまで頑張らなきゃいけないのだろうと絶望することはもうないだろう。いや、あるかも知れないけれど、きっと立ち直れる。

 ひ弱男子の挨拶に楽しい野次が続いている中で、私は、次の休みに妹にティッシュの花の作り方を教えてもらおうと考えていた。

(了)
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みんなの感想(5件)

森
2021.10.28

不器用な父親がやっとの思いで打ち上げた花火が、家族の未来にアカリを照らしてくれると言えばよいか、心が温かくなるお話です。
父親が夢に見た光景、ティッシュの花である花筏の中を縦横無尽に動き回っているのは、実はイザワ君の下で働く、娘の生き生きとした姿だったのかなぁ、なんて思いました。

牧村燈
2021.10.28 牧村燈

感想ありがとうございました。

花火を打ち上げる仕事も、倉庫の仕事も、電話をかける仕事も、データ入力も、景品配りも、受付やご案内業務も、引越しの手伝いも、どんな仕事もそれはとても些細なことかも知れませんが、誰かのために必要なことで、だからこそ付加価値が生まれるのだと思います。

生前は分かり合えなかった父と娘も、この物語のように、仕事を通じて繋がることが出来たなら、それはそれでちゃんと意味のある親子だったんじゃないかなと、希望を込めてそう思うのです。

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2021.09.01 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

牧村燈
2021.09.02 牧村燈

感想ありがとうございました。
ご意見とても勉強になります。
今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

解除
つゆみかん
2021.08.18 つゆみかん

最新話まで読みました!
とても読みやすく、あまり小説を読まない私でも楽しく読めました!

牧村燈
2021.08.18 牧村燈

ありがとうございます。
月末までに完結を目指して書いていきますので、ぜひぜひ最後までどうぞ宜しくお願いします。

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