【遺稿】ティッシュの花

牧村燈

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第2章 雨中の花火

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7月25日

 旅行疲れか、多少身体は重かったが、いや、心が重かったのかも知れないけど、仕事に行ってきた。5月から始めたワクチン接種の事務の仕事も、来週で一旦終わりになるのだそうだ。まだまだ接種の終わっていない人が半分以上いるのだが、ワクチンの供給量が安定しない為に先の接種計画が立たないのだという。勿論、そんなことは派遣会社から説明されることはない。話し好きな職場仲間の聞きかじりのニュースと、仕事を請け負っている会社の社員の話からの推測に過ぎないが、きっとそんなに大きく外れてはいないのだろう。

 何にせよここ3ケ月安定してありつくことが出来た仕事がなくなることだけは間違いない。また仕事探さなくちゃな、と思うのだが、この仕事が作業内容も就業条件も良く、珍しく人間関係でも苦労しなかっただけに、次の職場を探すのがどうしても億劫にさせた。派遣でそういう職場に巡り合うのは、簡単なことではない。考えてみれば5月の時点に戻っただけのことなのだが、とても心が重かった。

 今日担当した接種済み証の発行パートの業務は極めて順調に捗った。来週で終わってしまう会場なので、来場する接種者は全て2回目接種。1回目の接種者に付きものの次回予約がない為、業務が極めてシンプルなのだ。接種人数も概ね最盛期の半分。その業務を最盛期と同じ人数、しかも業務に慣れたメンバーで対応しているのだから余裕綽々だ。そもそも最初このパートは5人で担当する業務だったのだが、途中から2名増員されて、最終的に7名で対応することになった。どこか他の会場でミスが出て、そのミスの再発防止の為のポジションが増えたのだろうと、事情通の派遣さんが分析していたが、きっとそういうことなのだろう。

 シールを貼ったり、同じ数字を記入したり、同じ案内を何度もするような、殆ど考えることのない単純作業というものは、ゆっくり丁寧にやるよりも、ある程度のリズムに乗ってやった方が、実はミスも少なくなるのではないかと私は思う。あまりにも仕事の間が空くと、当然暇を持て余し、挙句には余分なおしゃべりも始まって集中力が散漫になる。結果、丁寧にしているつもりが肝心なことを漏らしたり、適当になってしまったりするものだ。

 それでも特に大きな問題なく今日の仕事は終了した。終礼が終わるとみんなさっさと会場を後にする。派遣の仕事の人間関係は極めて希薄だ。その日にしか会わないケースも多い為、名前すら名乗り合うことがない場合が多い。そう言えばこの会場で一度だけ50歳絡みのおじさんに帰りに一杯飲んでいく?と誘われたことがあった。私だけに声を掛けたのではないと思うのだけど「こんなご時世ですし」とお断りしたその後、おじさんの顔を見ることはなかった。とても優しそうで仕事も良く出来る面倒見の良いおじさんだった。おじさんは最初に会った時から私に名前を聞いてきて、ちゃんと憶えてくれていたのだ。今はどうしているだろう。もう顔も忘れてしまったけど。


7月26日

 今日もワクチン接種の仕事だったのだが、昨日とは違う自治体の初めての会場だった。ワクチン接種でやることは同じなのだが、自治体毎に違う予約システムが作られていて、業務フローも違う。自治体の方針もあるのだろうが、統括している派遣会社のスタイルやSV個人の考え方や仕事の仕方によって末端の作業はかなり違ってくるのだ。

 今日の会場は昨日の会場より大きくて5倍位の接種者を扱っていることもあり、スタッフの人数も多いし、作業分担もより細かくなっていた。私の担当は会場前の誘導から6人いる問診ドクターへ受け渡しのパートだった。勤務時間も都合12時間と長く、しかも立ちっぱなしということもあって、スタッフ5人で順番に役割を交代しながら15分ずつお休みを取りながら仕事を回した。業務内容は特に難しいことはなく、いつも以上の単純作業。接種者の波が途絶えると立ったままでも眠くなった。人懐っこい同年代位の男子がやたら「座りたい、座りたい」と訴えて来てうるさいので、「どうぞ」と言って接種者用の椅子を差し出してやった。男子はポカンとした顔をして立っていた。座りたいなら座ればよいのに。

 食事も休憩も一人きりだったので、精神的に気楽は気楽だったが、常にワサワサとした雰囲気の中で朝7時30分から夜20時過ぎまでの勤務は体力的にちょっときつかった。実入りのいい仕事なので、また機会があればやりたいのだが、こちらもワクチン供給の関係で先の見通しがついていないらしい。

 仕事終了後の引き方は、昨日の会場以上に素早かった。まさに蜂の子を散らすという表現がピタリと当てはまる感じ。初めての会場でタイムシートの記入方法に戸惑っていた私はすっかり取り残され、その数分後には社員さんからも「ここは閉めるので早く出て」と急かされてしまった。丸一日みんなで仕事をしたというのに、充実感も余韻もくそもないなと、ちょっと汚い言葉が浮かんだが、せめて自分のことは褒めてあげたい。

 今日もお疲れさま。明日も頑張ろうね。

(続く)
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