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第一章
夏の終わり
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甚五郎の腕は確かだった。小手調べにあたらせた容易な捜索や脅しの事案は元より、霞が抱えている事案の中でも難易度が高く、故に時間的な納期の緩い暗殺の仕事も、たちどころに片づけてきた。しかもその手口が実に鮮やかだった。元々がお上から降りてきている仕事である。仮に捕まるようなことがあったにせよ、罪に問われることはないのだが、いちいちあからさまに尻尾を掴まれているようでは、有耶無耶にするのにも骨が折れる。
そこにいくと甚五郎の仕事にはまったく隙がなかった。何より仕事の速度が抜きん出ている。相手はほぼ一撃で息の根を止められ、甚五郎は一太刀すら浴びることがなかった。標的はまるで神隠しでもあったかのようにある日突然姿を消す。事件はいつも行方不明の捜索から始まり、死体の出た後に岡っ引きがどんなに真面目に事件解決に取り組んでも、下手人の影すら見当がつかない始末だった。
僅か3ケ月の間に6件の難事案をやり遂げた甚五郎に、
「想像以上だよ。まともならお天道様の下で、指南役になる道もあったろうにね。世を忍ぶ身じゃあ裏稼業より仕方ないか。身の上を恨んも仕方ないが、不憫なのはりんどうさね。この子には世間様に後ろ指をさされるようなことは、何ひとつありゃしない」
霞はそう言ってりんどうの髪を撫でた。
「ふびんっていうのは、何ね?」
首を傾げてりんどうは霞に訪ねる。
「お前があわれ、ということさ。可愛い盛りの童が、こんな遊び相手もいない裏長屋でひとり遊び、腹を空かせていつ帰るかも分からない父の帰りを待つばかりとはさ」
「あちは、あわれではないよ」
りんどうは真っ直ぐに霞を見て笑った。
「あち、ここ好きやから。それにおっとうは、いつもきっと帰って来てくれるから」
りんどうは霞にもらった紐を結んで作ったあやとりを霞に差し出した。
「霞おねえ、これ、ありがとう。また教えてね」
そう言うとりんどうは表に走って出て行った。外はもう闇である。
「りんどう」
甚五郎は即座に立ち上がって後を追った。三日月の月明りと、安普請の建具の隙間から洩れる僅かな灯りを頼りに通りを見回る。りんどうは長屋の井戸端に立っていた。頬が月明りに光っていた。
「りんどう」
「おっとう」
甚五郎は、膝をついてりんどうを抱きしめた。
「おっとう、おっとう。あち、大丈夫やから」
「わっかっとる。わかっとる」
「うん。うん」
りんどうは甚五郎の首筋にしがみついた。小さな力だった。だがその小さな身体でありながら、何一つ我儘も言わず、一粒の涙も見せることもなく、りんどうはこの3ケ月、この裏長屋で一人で我慢して来たのだ。
「りんどう。おっとうの次の仕事が終わったら、江戸を離れよう。もう一人で寂しい思いはさせない。どこか遠くで二人で静かに暮らすんだ」
りんどうは甚五郎の胸に顔を押しつけて何度もうなずいた。甚五郎の汚れた着物を通して、仄かな温もりが伝って来た。じんわり広がったその温もりは、やがて湿った夜風に吹かれて、夏の終わりを終わりを告げる秋の虫たちの声に紛れていった。
(続く)
そこにいくと甚五郎の仕事にはまったく隙がなかった。何より仕事の速度が抜きん出ている。相手はほぼ一撃で息の根を止められ、甚五郎は一太刀すら浴びることがなかった。標的はまるで神隠しでもあったかのようにある日突然姿を消す。事件はいつも行方不明の捜索から始まり、死体の出た後に岡っ引きがどんなに真面目に事件解決に取り組んでも、下手人の影すら見当がつかない始末だった。
僅か3ケ月の間に6件の難事案をやり遂げた甚五郎に、
「想像以上だよ。まともならお天道様の下で、指南役になる道もあったろうにね。世を忍ぶ身じゃあ裏稼業より仕方ないか。身の上を恨んも仕方ないが、不憫なのはりんどうさね。この子には世間様に後ろ指をさされるようなことは、何ひとつありゃしない」
霞はそう言ってりんどうの髪を撫でた。
「ふびんっていうのは、何ね?」
首を傾げてりんどうは霞に訪ねる。
「お前があわれ、ということさ。可愛い盛りの童が、こんな遊び相手もいない裏長屋でひとり遊び、腹を空かせていつ帰るかも分からない父の帰りを待つばかりとはさ」
「あちは、あわれではないよ」
りんどうは真っ直ぐに霞を見て笑った。
「あち、ここ好きやから。それにおっとうは、いつもきっと帰って来てくれるから」
りんどうは霞にもらった紐を結んで作ったあやとりを霞に差し出した。
「霞おねえ、これ、ありがとう。また教えてね」
そう言うとりんどうは表に走って出て行った。外はもう闇である。
「りんどう」
甚五郎は即座に立ち上がって後を追った。三日月の月明りと、安普請の建具の隙間から洩れる僅かな灯りを頼りに通りを見回る。りんどうは長屋の井戸端に立っていた。頬が月明りに光っていた。
「りんどう」
「おっとう」
甚五郎は、膝をついてりんどうを抱きしめた。
「おっとう、おっとう。あち、大丈夫やから」
「わっかっとる。わかっとる」
「うん。うん」
りんどうは甚五郎の首筋にしがみついた。小さな力だった。だがその小さな身体でありながら、何一つ我儘も言わず、一粒の涙も見せることもなく、りんどうはこの3ケ月、この裏長屋で一人で我慢して来たのだ。
「りんどう。おっとうの次の仕事が終わったら、江戸を離れよう。もう一人で寂しい思いはさせない。どこか遠くで二人で静かに暮らすんだ」
りんどうは甚五郎の胸に顔を押しつけて何度もうなずいた。甚五郎の汚れた着物を通して、仄かな温もりが伝って来た。じんわり広がったその温もりは、やがて湿った夜風に吹かれて、夏の終わりを終わりを告げる秋の虫たちの声に紛れていった。
(続く)
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