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第一章

あっせん所の女

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 薬問屋の甚五郎親子への対応は、当初は下にも置かない極めて友好的なものであったが、山小屋の父親に多大なる恩義を受けたという当主が病に倒れ、間もなく亡くなってしまうと、たちまち邪険な対応に変化した。そもそもがどこの馬の骨とも分からぬ親子連れである。二人とも良く働いたが、徒に才気があり器量も良かったりんどうは、使用人たちの人気が高く、出来の悪い本家の娘らにとっては如何にも目の上のたんこぶ、気に入らぬ存在であった。やがて陰険ないじめの的になったりんどうであったが、それでも人前では笑顔を絶やすことなかった。

 薬問屋での仕事を干された甚五郎は、市中に職を求めたが、身元のハッキリしない牢人ものが職にありつくのは至難を極め、終日無為に時間を過ごす日々が続いた。

 そんなある日、甚五郎が久しぶりにりんどうを湯屋に連れていってやろうと誘うと、これが珍しく行きたくないと駄々をこねる。あまりに強情なのがおかしいと思った甚五郎は「どうしたのか」と問いただしたが、りんどうは頑なに首を振るばかりであった。

 その夜、甚五郎はりんどうが湯屋に行くのを拒んだ理由を知る。りんどうの背中にはまるで鞭で打たれたかのような夥しいミミズ腫れが広がっていた。何度も何度も「どうしたのか」「誰にやられたのか」と問うてみたが、りんどうはやはり頑なに首を振るばかりで答えようとしなかった。

 翌朝、甚五郎は先代当主の女将さんにだけ礼の書状を宛てて、りんどうを連れて薬問屋を後にした。自分がモタモタしているうちに、りんどうに負担を強いていたのだ。ここを追い出されたら行く先がないと思ったりんどうは、本家の娘たちの執拗ないじめに黙って耐える道を自ら選んでいた。そして、りんどうは、いつからそんかことになっていたのかも、それが辛かったとも、ついに一言も言わず、そして涙ひとつ流さずに甚五郎に笑いかけた。

「おとう、また二人で旅ができるね」

と。

 甚五郎は職探しをしていた時に知り合った仕事のあっせんをしているという女の家を尋ねた。すえた臭いのする裏通り。いい稼ぎになるとは聞いたが、いずれにせよ裏の仕事であることは分かっていた。しかし、今の甚五郎にはりんどうと二人で暮らす為のまとまった元手が必要だった。今の自分に出来ることと言えばそんなことしかない。

 あっせん所の女は、名を霞といった。

「やっぱりね。あんたは来ると思ってたよ。あんたからはどんなに湯屋で洗ったって、拭いきれない血の匂いがするからね」

 霞は言った。切れ長の涼しい目元。年の頃のよく分からない顔立ちだが、話しぶりが老成されている。三十前後ではないだろうか。

「娘がいるんだ。そんな話はするな」

 りんどうは甚五郎の後ろに隠れるようにして霞を見ていた。

「あんたの娘かい。なんだい。笑い顔が能面に張り付いたような顔をしてるじゃないか。いくつなんだい」

「6歳だ」

 甚五郎が答えた。

「そうかい。まだ当分商売にはならないね。それまではあんたがたんと稼いでやらなくちゃね」

 霞はそう言うと奥の間に引っ込み、暫くして書き付けとおむすびを二つ持ってきた。

「詳しいことはここに書いてある。報酬は手付に3、仕事が終わったら7。やるかやらないかは、日暮れまでに決めて、やるならもう一度ここに来な。お嬢ちゃん、ほら、おむすびをやるからこっちおいで」

 りんどうは霞からおむすびを貰うと、初めて心からの笑顔を見せた。

「現金だね。でもその顔はいいよ」

 りんどうはおむすびのひとつを甚五郎に渡した。

「ふたつとも食べていいんだぞ」

 甚五郎はすぐにおむすびをりんどうに返そうとしたが、りんどうは首を振って「おとんの......」と呟いた。甚五郎が「わかった、食べるよ」と言うと、りんどうは花が咲いたような笑顔を見せて、大きな口を開けておむすびに齧りついた。昨夜から、何も腹に入れていなかった。慌てて頬張って「ごほごほ」とむせたりんどうに、霞が水を渡す。

「慌てなくていいんだ。また夜も食べに来ればいい」

 霞は優しい声を掛ける。仕事を受けるしか道はないのだと、甚五郎は覚悟を決めた。

(続く)
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