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帝国激震の章

224.皇帝の決意

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 自室の壁に掛けてあるのは、冒険者時代に使用していた愛剣。


「……………」


 その愛剣を無言で手にするのは、帝国皇帝アルベルト。

 二日前に会議室でマディアスに言われた言葉が、ずっと頭の中を駆け巡っていた。「そろそろ過去の自分を許し、前に進んでは如何ですか?」という、その言葉が。

 黒き竜に破れた、あの十五年前の日から今日に至るまでの間、ただの一度も愛剣を握った事は無い。
 剣自体は帝国の様々な儀式で用いる為、皇帝として握る機会は何度もあったが、それはあくまで儀式用の剣。戦闘用の愛剣を握ったのは十五年ぶりだった。


「………重いな」


 それは重量が、という意味では無い。この剣で刻んで来た自分の歴史の一つ一つが、今の不甲斐ない自分には重かったのだ。
 今こうしている間にも、帝国各地では黒き竜の被害に遭っている街や人が、更に増え続けている事だろう。それなのに皇帝たる自分がやっている事と言えば、緊急事態の号令を掛ける事と、過去に囚われて立ち止まっている事だけだ。


「まったく……Sランク冒険者の名折れだな」


 今の自分の姿を見たら、ゼノンとバックスはどう思うだろうか。自らの命を掛けて救った男が、こんなにも情けない皇帝だと知ったら、どれほど悲しむだろうか。


「…………」


 スラリと柄から剣を抜く。それは全く錆び付く事も無く、まるで自分同様あの日のまま時間が止まっているかのように綺麗だった。
 その綺麗な剣身に、自分の顔が映り込む。こうして見ると、随分と老けたものだ。


「死霊王め……貴様の思惑が何であれ、この帝都には指一本触れさせんぞ」


 仲間を傷付け、命まで奪ったのは黒き竜だ。だが不思議と、黒き竜を恨む気持ちにはなれない。
 そもそも初代皇帝が白き竜と魂の盟約を交したのは、死霊王に呪縛されている黒き竜の魂を解放する為だ。その手段として死霊王を倒すと言うのが皇家、白き竜双方の永年の悲願になった。
 つまり憎むべきは死霊王であって、傀儡として操られている黒き竜ではない。おそらく、死してなお望まぬ殺戮を強いられている黒き竜こそが、一番無念を感じている筈なのだから。

 再び剣を鞘に収め、自室を出るアルベルト。その出で立ちは動きやすそうな服装であり、こんな服装で皇宮内を歩く皇帝を初めて目の当たりにしたメイド達は、一様に足を止めてアルベルトを見送った。


「ね、ねえ……陛下のあんなお姿……今まで見た事あった?」
「う、ううん……初めて。何処へいらっしゃるのかしら………」


 そんなメイド達の視線を背中で感じながら、アルベルトが行き着いた先は兵士の訓練場。リズがあしげく通ったその訓練場は、アルベルト自身視察で訪れる事は何度もあるが、こんな服装で、しかも共も連れずに一人で訪れるは少年の頃以来だ。
 少年時代はリズ同様、冒険者になる為の訓練の為に、それこそ毎日この場所に通った。そして兵士達を相手に腕を磨いたのである。

 アルベルトの姿に気付いた兵士達が、慌てて訓練を中止する。いつものように視察であれば、何人も共を連れている筈だし、服装だって威風堂々とした皇帝らしい出で立ちの筈だ。お付きの共も連れず、ましてやこんなラフな服装で現れたのだから、違和感は誰の目にも明らかだった。


「陛下!そのようなお姿でどうしたのですか!?」


 アルベルト直属の近衛兵士長が、すぐにアルベルトの元へと駆け寄る。


「いや何、久しぶりに汗を流そうと思ってな。誰ぞ、私の相手をしてくれまいか?」
 

 どよめく訓練場内。いきなり自分達の主君たる皇帝が、稽古の相手をしてくれと言って来たのだ。当たり前だが、誰もが及び腰になってしまう。
 訓練で仕様する武器は木製とは言え、当たると時には大怪我をしてしまう事さえある。万が一、皇帝に怪我でもさせてしまってはーーーーー、そう考えて及び腰になるのは当然と言えた。


「ふふふ、これでも私はSランク冒険者ぞ?たとえブランクが長いとは言え、まだまだお主らには負けぬ自信がある」


 その言葉に、何人かの兵士の中で闘志が湧き上がった。自分達とて毎日この場所で、辛い訓練を受けているのだ。確かに高ランクの冒険者とは実力は比べるべくも無いが、もう何年も武器を握っていない相手に負けていては、帝国兵士の名折れ。


「陛下!僭越ながら、この俺がお相手しとうございます!」


 名乗りを上げたのは、大柄で身体つきの良い若い兵士。近衛兵士長、帝国兵団長の両名が一目置く期待の新星である。


「ほう、いい身体つきだな。では宜しく頼む」


 そう言うなり、アルベルトは自分の武器を取りに行く。大柄の兵士の手には既に木製の昆(槍に見立てた)が握られており、誰もが皇帝アルベルトも昆を手にすると思っていた。
 だが、アルベルトが手にしたのは木剣。明らかにリーチの差で不利になる木剣を手にしたのだ。
 これには流石に兵士達もどよめく。ただでさえブランクかあるのに、自ら不利な木剣を手にしたのは一体どういう意図があるのか。


「陛下……その木剣で俺と対戦を?」


 大柄の男の目つきが鋭くなる。相手は自分の仕える皇帝陛下だが、流石に見下された気持ちになり、少しだけ苛立ちを覚えた。


「現役時代は剣を使っていてな。逆に言うと武器は剣しか使えん」


 なるほどと納得する大柄の兵士。別に見下されていた訳ではなく、そういう理由だった事が分かって溜飲を下げる。
 だがそれでも、自分が圧倒的に有利な状況には違いない。とても公平とは言えない勝負に、憮然とした表情を浮かべる大柄の兵士。これでは実力で勝利したとしても、武器の差で勝てたと思われてしまう。そんなのは納得出来ない。
 そんな相手兵士の心を見透かしたのか、アルベルトは口端を緩めながら口を開く。


「そんな顔をするな。たとえ負けたとしても武器のせいにはせん。自分の一番得意な武器で負けたのならば、それは其方の方が強かったという事よ」


 その言葉を聞き、兵士は口角を上げる。皇帝自らがそう言うのであれば、周りで観戦している兵士も当然そうなのだと納得するだろう。


「では……始めましょうぞ!」
「うむ。その胸借りるぞ」


 距離を取って対峙するアルベルトと大柄な兵士。審判を務める兵団長が「始め!」と合図をした瞬間、大柄な兵士はその体格に似合わない速度で一気に間を詰める。


「はぁぁぁーーーーッ!!」


 ただでさえ大柄で腕も長い兵士が、長い昆を持って向かって来る。ほとんど一瞬にして自分の攻撃する間合いに入った兵士は、その手に持つ昆を容赦なく繰り出す。


「チェストォォォーーーッ!!」


 繰り出された昆が自分に向かって、一直線に突き進んで来るのを見つめるアルベルト。だが、その目に映る昆の速度は恐ろしく遅い。


「はっ!」


 右手に握る木剣で昆を軽く薙ぎ払うと、昆はアルベルトの横を通過して行った。


「なっ………」


 そのまま一歩だけ踏み込み、木剣を裏手で振り上げると、自分の突進の勢いを殺せずに間合いに入って来た兵士の首元で、木剣がピタリと止まった。

 
「………………」


 静まり返る訓練場内。まさに電光石火の出来事で、開始の合図から僅か三秒足らずで勝負がついた。


「ま……参りました………」


 大柄の兵士が自ら負けを宣告した瞬間、溜め息と拍手が訓練場内に漂う。


「す……すげぇ……陛下ってこんなにお強いのか……」
「一瞬過ぎて何も見えなかった………」


 流石に皇帝を前にして大歓声を上げる者は居なかったが、誰もが内心でアルベルトに畏敬の念を向ける。


(身体が勝手に反応した感じだな。ブランクはあれど、戦いが染み付いたこの身体が、戦い方を覚えているのか……)


 確かな手応えを感じ、ニヤリと笑みを溢すアルベルト。訓練とは言え久しぶりの戦闘で、気持ちが高揚していた。


「まだまだ。次は誰が相手をしてくれるのだ?何なら………全員で来ても構わぬぞ?」


 そう言いながら木剣をビシッと突き出す皇帝アルベルトの姿は、かつての冒険者だったアルベルトを彷彿とさせたのだった。





 一方その頃、帝都冒険者ギルド本部のマディアスの元には、Aランクパーティであるセントクルスの悲報がもたらされていた。


「そうか……セントクルスが………」


 強く、気高いパーティだった。まさにこれからの若い帝国冒険者達の模範となるような素晴らしいメンバー達だった。
 そんなセントクルスの悲報に、グランドマスターであるマディアスも思わず目を伏せた。


 そしてこの日より更に数日後、一足先にセントクルスの死と、黒き竜の存在を確認した帝国最強パーティ、ツヴァイフェッターが再び帝都に舞い戻ったのだったーーーーー




※いつもお読み頂きありがとうございます。六月に入り、仕事の方がかなり忙しくなってしまいましたので、しばらくの間は不定期更新とさせて頂きます。なるべく、あまり日数を空け過ぎないように頑張りますので、どうぞご了承くださいませ。
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