五十嵐青年と山羊

獅子倉 八鹿

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 ゴールデンウィーク前の講義が終わり、足取り軽く教室を後にしようとする五十嵐青年に向かってアヤカが駆け寄る。
「ねえねえっ!」
 何度も気分の高まりをぶつけるような声をかけられ、五十嵐青年も慣れていた。
「どうしたの?」
 最初のように困惑することなく言葉を返す。

「えっと、ね。この後、予定あったりする?」
 しかし、アヤカからの普段とは違う少し控えめな誘いには慣れていない。
 五十嵐青年は面食らってしまう。

 今日のアヤカは、やけに落ち着かない様子だ。
 足元を見たり、少し長めのジャケットの袖口を握っては離す行為を繰り返している。
 心なしか、頬も赤く染まっているように見えた。

 これは、漫画やアニメで幾度となく目にした誘いではないか。

「な、ないけど」と返し、アヤカを直視できず、視線を地面に追いやる。
「じゃあさ、アヤカ、1階のカフェにいる!  待ってるから!」
 そう言うとアヤカは、一目散に駆け出した。
 残された五十嵐青年は、ゆっくりと天井を仰ぐ。
「自惚れそうなんだけど」

 浮き足立つのを隠しながら向かったカフェで、顔を赤くしたアヤカから伝えられたのは、予想通り告白だった。
 五十嵐青年も二つ返事で返事をする。


 付き合う前のようにショッピングデートをしたり、水族館や映画に行ったり、お互いの部屋に泊まったりと、五十嵐青年は、初めての交際に浮き足立ちながらも、楽しく過ごしていった。
 しかし、それも初夏までだ。


 もしかしたらあの瞬間が、幸せの絶頂期なのかもしれない。

 五十嵐青年は、布団に包まれながらぼんやりと考えた。

 あそこで終わっていれば幸せで終わったんじゃないか。


 初夏とは思えない暑さの中、五十嵐青年は教室を出て、バイトに向かっていた。
 階段を降りようとすると、反対側からアヤカが登ってくる。
 アヤカにしては珍しく、1人だった。
「アヤカ、お疲れ様」
 五十嵐青年は右手を上げ、アヤカに声を掛ける。
 普段ならアヤカの友達の視線が気になって手を上げるだけだが、友達がいない今、声をかけるハードルは低かった。

 アヤカは五十嵐青年を見ると、今までにない反応を見せた。
 感情を顕にしない、まるで仮面でも付けているような表情で五十嵐青年は見つめられる。
「なにその格好、だっさ」
 キモ、と小声で悪態をつき、五十嵐青年を押しのけるようにして歩いていった。
 小さくない五十嵐青年だが、その威圧感に身体が揺らぐ。

 ぼんやりと、廊下の窓に映る自分の姿を見つめてみる。
 学生が数人行き交う中、シンプルな半袖シャツを羽織り、スキニーデニムを履いた男子学生が五十嵐青年を見ている。
 これは高校生時代に着ていた服だ。
 本来着るつもりだった、普段着ている服は昨日、干している最中に通り雨で濡れてしまった。
 仕方なく、一人暮らしをする時に持ってきた、シンプルな服を着て授業を受けたのだった。
 いや、こんな服着てる人いくらでもいるだろ。
 釈然としないまま、五十嵐青年はバイトへと向かった。

 バイトが終わって、スマホを見る。アヤカからメッセージが来ていた。

『普段着ない服を着てる時は話しかけないで。ダサいヤツと仲良しって思われたくない』

 普段のようにイラストや絵文字が付いていないメッセージに、五十嵐青年は困惑するばかりだった。

『ごめん、気をつける』
 自分に非はないように思うが、せっかく付き合えたアヤカと離れたくない一心でメッセージを送る。

 次の日、普段通りのストリートファッションに身を包んで大学に向かうと、アヤカは何事もなかったように五十嵐青年を迎え入れた。
 五十嵐青年も、釈然としない部分はありながらも言及することなく、今までの生活に戻った。

 そこからだ。五十嵐青年のファッションや仕草、口調が気に触ると、アヤカは五十嵐青年に冷たく接するようになった。

「アヤカが友達といるからって、手を上げて終わりにするのやめて」
「大学生で僕って、気持ち悪すぎ」
 2人きりの瞬間、仮面を被った顔で吐き捨てられる。

『さすがにその場では言わなかったけどさ、今日のデート、ラーメン屋はなくない?』
『今日購買にいるの見たけど、そんなとこでお昼買わないで』
 普段通りのメッセージに、イラストで装飾されない棘が混ざる。

 初めて繋がる時も、例外ではなかった。
 2人きりのベッドの上で、アヤカに指示されるまま愛撫した後、指示が止まった。
 五十嵐青年は雑誌や動画で得た知識を頭を必死に思い出す。
 アヤカの息も荒い。
 前戯はもう大丈夫なのだろう。
 興奮した己の肉棒を入れるため、五十嵐青年はアヤカの足を広げた。
 途端にアヤカは起き上がり、五十嵐青年の手から抜け出す。

「前戯短すぎ。もう挿れようとしてるのは童貞丸出しでダサい」
 アヤカはそう言うと五十嵐青年の右太ももを容赦なく叩く。
 パチンという音と共に、痛みが走る。
「んっ」
 男らしくない声が出てしまい、慌てて己の口を塞ぐ。アヤカの気に障るかもしれないと思うと、五十嵐青年の興奮も下がっていく。
 しかし、アヤカの反応は逆だった。

「へー。はーくんってそんな可愛い声出すんだ」

 口の端を吊り上げ、五十嵐青年の左の太ももも叩く。
「いたっ」
 男同士のじゃれあいなら、五十嵐青年も反撃していただろう。しかし相手は大好きな彼女だ。反撃することは考えられなかった。
「痛いの気持ちいいんだね」
 赤い唇。甘い香り。突き刺す視線。
「そんな」
「否定できないでしょ、叩かれて感じて情けない声出して」
 赤く染まる両足を見て、己の性癖を知る。

 否定が出来なかった。

「はーくんは今日から、アヤカのおもちゃだよ」
 アヤカは蛇のような身のこなしで五十嵐青年に近づくと、押し倒し、耳元で囁く。左手で、五十嵐青年に快感を与え続ける。

 痛みと支配と官能的な刺激で、五十嵐青年の判断能力は溶かされた。
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