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第373章『知』

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第373章『知』

 爆破の現場に遭遇した陸軍兵、その彼が物陰から目撃したという、爆破を行った人物。直ぐ近くに居た同僚は相手との間に遮蔽物は無く、制止しようと銃を構えたところを逆に射殺された。居合わせて難を逃れたのは彼一人、何とか現場を逃げ延びて指揮所へと転がり込んだ彼の証言を元に作成された絵は、数時間も置かず博多駐屯地司令の横山を経由して高根へと届けられた。
 一つに束ねられた長い黒髪、顔ははっきりとは見なかったらしく目鼻立ちは書き込まれていない。しかし女性だったというのは確かな様子で、全体的に女性らしい細さと曲線で描かれている。
 戦闘服の袖、二の腕の辺りには、部隊章らしき刺繍が顔の曖昧さとは対照的にはっきりと書き込まれており、『それ』を身に着けている人物が誰であるのか、それをよく知っている高根、黒川、そして敦賀の三人は一様に険しい面持ちをして机上の絵へと視線を落としていた。
 今迄に数度見たタカコが身に着けたワシントンの戦闘服、その袖に縫い付けられていた部隊章、青地に銀糸で象られた正三角形とその中心に据えられた目。
 信じられない、信じたくない、しかし目の前に突き付けられたものはそんな気持ちを無情にも否定し、誰も何も言う事が出来ないままに時間だけが過ぎて行く。
「……あいつじゃねぇよ」
 重苦しい空気が流れる中、最初に口を開いたのは敦賀。あっさりとそう言って退け、高根の前から動き出しソファへとどかりと身を埋めて煙草を咥えて火を点ける。
「そう思う理由は?」
 敦賀は高根のその問い掛けに直ぐに答える事は無く、数度煙を吐き出した後に慎重に言葉を選ぶ様にゆっくりと話し出した。
「非公式には事態は大和側に伝わってるとは言え、政府や軍が正式にワシントンの侵攻を知ってるわけじゃねぇ、俺達だって実際のところは確証も無ぇ。そんな中で、部隊章晒して所属がモロバレになる様な馬鹿をしでかすか?俺達はあの部隊章を知ってるって事はあいつも知ってる。露払いの為の事前工作ってなら、隠密裏に事を運ぶのが当然じゃねぇのか?あいつは、タカコは馬鹿だがこういう事に関しては誰よりも有能だ、そんな奴がこんな事はしやしねぇだろうよ」
「……言ってる事は分かるがよ……それを見越してって事も有るんじゃねぇのか?」
 高根のその言葉も尤もな事で、周囲はそれを聞きながら説明を求める視線を敦賀へと向ける。
「意味が無ぇよ。俺達は部隊章とあいつとを結び付けるって事はあいつも分かってる、俺達に知られれば動き難くなるだけだ、敢えて晒す意味が無ぇ」
 淡々とした敦賀の言葉、それは反論を躊躇う程の自信に満ちており、副長は自らの息子のその落ち着き払った様子に僅かに双眸を見開き、久し振りに相手へと話し掛けた。
「……もし、違っていたらどうするつもりだ?彼女が……タカコさんが、目撃の通りに爆破事件の犯人なんだとしたら……その時は?」
 敦賀はその問い掛けには全くの無反応、視線すら動かさずまるで聞こえていないかの様に振る舞う彼を見て、溜息を吐いた高根が頭を掻きながら副長の言葉を繰り返す。
「お前の見立てが外れてたら、あいつが犯人なんだとしたら、どうするつもりなんだよ?」
「……その時は……大和に害為す敵として殺す、それだけだ。それが俺達の、軍人の仕事だろうよ」
「……出来るのかよ、お前に」
「力量って意味なら五分だがよ、俺の気持ちの事を言ってるのなら心配は要らねぇよ。俺があいつを殺す覚悟が出来てようが出来てなかろうが、あいつはやってねぇ。だから、俺の気持ち以前の問題だ」
 質問に答えているようで全く明後日の事を言い出す敦賀、高根は敦賀のその言い草に少々呆れた面持ちになり、上半身を椅子の背凭れへと預け言葉を続けた。
「何処から来るのよ、その自信はよ」
「あいつが子供を標的にする筈が無ぇ、部隊章を晒して動く理由も無ぇ。俺はそれを知ってる、理由なんかそれで充分だ。俺はお前や龍興みてぇにゴチャゴチャ難しく考える程利口に出来てねぇんでな」
 きっぱりと言い切るその様子、そして言葉と同じ様に真っ直ぐな視線に高根は大きく溜息を吐き、そして呆れを含んだ笑いを浮かべながら再度頭を掻く。
 タカコがいなくなってからの敦賀の様子は酷いもので、そんな彼を見ていて、このままでは軍人としても危ういのでは、そんな事を考えた。けれど、どんな変化が彼の中で有ったのか迄窺い知る事は出来ないものの、今の状態であれば一先ずは持ち直したと見て良いだろう。二年九ヶ月の間誰よりもタカコの近くにいた、そして彼女を愛するようになった敦賀、その彼がここ迄言い切るのであれば、それに賭けても良いのかも知れない。
「完全に容疑者から外す事は出来ないししねぇが、まぁお前がそこ迄言うのなら、その可能性も無排除はしねぇ。海兵隊としてはこれが答えだが、陸軍はどうですかね、黒川総監?」
 副長の目も有ったと思い出し、中途半端に立場を装って黒川へと話し掛ければ、こちらも呆れを含んだ笑いを浮かべ肩を竦めながら
「同感だ、俺もタカコをそれなりに知ってるが、俺の知ってる彼女はこんな事をする人間じゃない。恐ろしく有能でとことん優しい、それがタカコだよ」
 穏やかな、過去を懐かしむ様な黒川の眼差しと言葉、それを見ていた副長が微かに眉根を寄せるのを高根は見逃さず、
「副長も、この事は一先ず自分達に預けて頂けませんか。我々は良くも悪くも彼女を知っている、今はそれに賭けさせて下さい。彼女が敵であるという可能性を排除する事は当然しませんが、ですが、そうでない可能性もまた、排除したくはないんです」
 そう言いながら立ち上がり、遮る様にして副長と黒川との間にするりと入り込む。副長もそれを退けて迄自分が疑問に思った事を追求する気は無かったのか、
「……分かった、君達に任せよう」
 と、静かにそう言い、中央へと定時の連絡を入れる為に部屋を出て行った。
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