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第364章『残された者』

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第364章『残された者』

 副長が黙り込んでしまった後、動き出したのは黒川だった。
「熊谷を……ここには一緒に来たんだ、彼女を押さえておけばまだタカコとの関わりは――」
「金原もですよ、自分も彼と一緒にここに来ました」
 太宰府からはマクギャレットの運転でここに来た、横山もキムの事を口にし、二人で顔を見合わせて立ち上がると二人が待機している筈の部屋へと向かって歩き出す。
 しかし、彼等の期待はあっさりと裏切られた。二人に続いて敦賀や高根も向かった先の部屋、そこには求める人物の姿は無く、何処に行ったのかと部屋を出て付近にいた海兵達に聞くも、誰もその姿を見た者は無かった。
 海兵隊に所属していたタカコを含めた四名とドレイク、そして陸軍に所属していたマクギャレットとキム。計七名は、何も言わずにそれっきり忽然と姿を消した。

「……敦賀、戻るぞ。人手不足だ、風邪ひかれちゃ堪んねぇんだよ……帰ろう」
 高根の言葉に返事を返しつつも動こうとしない敦賀、高根はそんな様子に眉根を寄せ、真横へと歩み寄り彼の肩へと手を掛けて歩けと促し動き出す。
 副長が自らの行動の意味の重さと愚かさを思い知ってから一週間、高根や黒川や浅田の腹心、草と呼ばれる面々へとタカコ達を探し出せと命令はしたものの、一向に朗報は聞こえて来ない。出会った日を起算日とするのであれば三日前に『千日目』を迎えていた筈だから、副長の発言が無かったとしても既に離脱していたのだろうが、それでも決定的な出来事が有ったのと無かったのとでは彼女の心理的負担は大違いだ。今のままではタカコはきっと同盟が締結されたとしても上が許したとしても戻って来ないだろう、敦賀の立場と今後に配慮して。
 何とか彼女が大和の地を離れる迄に再会し大和側の障害は無くなった事を伝えたいと思うものの、相手は特殊部隊を一つ任される程の手練れとその部下達、そう簡単には見つからないだろう。
 あれから一週間、敦賀の憔悴ぶりは傍目にも深刻だと分かる程で、目の下の隈は日に日に濃くなり、頬も段々とこけて来てしまっている。碌に眠れないのだろう、深夜に仮設営舎の周辺を何をするでもなく徘徊しているのを大勢が目撃していると聞いている。どうにかしてやりたいと高根も思うものの、それを解決してやれる人物は自らの意志で去ってしまった。
 精神的にも体力的にもそろそろ限界の筈だ、纏まった休みは無理でも一日二日程度であれば、それで多少なりとも回復すれば良いがと思いつつ、相変わらず俯いたままの敦賀のずぶ濡れの横顔をそっと見上げ、高根は大きく溜息を吐いた。
「今日はもう休め、そんなんじゃ仕事にならん……とにかく、眠れ、分かったな?」
 仮設営舎の自室の前迄ついて来た高根に背中を押されて室内へと入り扉を閉め、敦賀は着ていた戦闘服も肌着も下着も靴も靴下も全て脱ぎ捨て、雨水を吸ってずっしりと重くなったそれ等を床に放ると寝台へと潜り込む。眠気が有るわけでもなくぼんやりと天井を見詰めれば、浮かんで来るのはタカコの事ばかり。
 今は何処にいるのだろうか、この雨に濡れてはいないだろうか、残して行った夫や部下、そして自分達の事を思い出してくれているだろうか。
 父に言われた事が決定打となったのだとしても、何故言ってくれなかったのか、そんな事は何度も何度も考えた。けれど、決して短くも薄くもない時間を共に過ごしたのだ、答えは誰に、彼女に聞かなくても分かりきっている。立場、役目、そんなものに拘り、そして他者の事を思い遣り尊重していたタカコ。普段の彼女は強引でがさつで少しばかり下品で、よく笑い、そして押される事には滅法弱い。そんな振る舞いからはなかなか想像は出来なかったが、一度事が起きればその眼差しも纏う空気も、指揮官、人の上に立つ者としてのそれになった。
 強さと優しさと分別と決断力、指揮官が求められる資質を備えていたタカコ、そしてそこに生来の気質が加わればこうなる事は決まりきっていたのだろう。
 高根達がタカコを探しているが、きっと見付からない、自分達に発見される程の無能ではない。こうなってしまった今、自分達に、自分に出来る事は彼女が自分の意志か命令か、ともかく何が理由でも戻って来るのを待つだけだ。
「……タカコ」
 呟く様に名前を呼びながら、抱き締めるのはタカコの部屋に残されていた貸与された戦闘服。最後に洗濯してから多少日数が経っていたらしく、部屋で手に取り抱き締めた時には鼻腔に彼女の優しい匂いが流れ込み、どうしても手放せずに自室へと持ち帰った。それから一週間、寝台に横になる時にはタカコの代わりに抱き締めて目を閉じ、温もりの無い匂いに絶望しそうになりながら起き上がり、彼女の痕跡や姿を探して外を徘徊する毎夜。
「……早く帰って来い……馬鹿女」
 この一週間、殆ど眠っていないがそろそろそれも限界なのだろう、段々と意識がぼんやりとし始める。彼女の戦闘服を抱き締めて顔を埋めながらそう言えばゆっくりと眠りへと落ちて行く。
「……タカ、コ……」
 完全に落ちる寸前、唇から零れたのは彼女の名前、閉じられた双眸から零れたのは、涙。それは誰の目にも映る事無く、敦賀が抱き締めた戦闘服へと音も無く吸い込まれて行った。
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