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第311章『炎』

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第311章『炎』

『軍が他国に侵攻する場合、最優先で叩くのが『兵站』と『通信』、そしてそれを支える『電力』、この三つだ。これ等は謂わば軍隊の血管網とそこを流れる血液、末端の組織が無事だったとしても、血流網を叩かれたら生物としての機能は一切を停止する、防衛側としては何を置いても死守すべきものだ』
 淡々と、且つ薄く笑いを浮かべながらのタカコの言葉、黒川はそれを胸中で反芻しながら、職員の説明を受ける御偉方や高根の背中をじっと見詰めていた。
 場所は対馬区へと続く日本海海岸線に建設された軍用火力発電所、前方には壁にも思える程の巨大な油槽が幾つも聳え立っているのを見上げて目を細める。その向こうの荒海には太平洋側で生産された燃油を運んで来た油槽船が一隻接岸し、更にはその向こうに油槽船を護衛して来た沿岸警備隊の艦艇が数隻見えた。
 常に大荒れの日本海とは違い、沖合十数kmに渡って遠浅が続く太平洋側、そこでは穏やかな潮流と高い水温を利用して藻の養殖が大規模に行われ、それを用いて燃油が大量且つ安定的に生産されている。日本海側では実施不可能な燃油の生産、そして、対馬区とその向こうを目標の中心に据えた軍組織、そのどちらも動かせるものではなく、発電所も軍事施設の集中する日本海側に建設せざるを得なかった為、大量に消費する燃油の輸送は大型油槽船を使い西側は九州を、東側は本州を大きく迂回する形で行われている。旧時代の様に関門海峡が現存していればそこを通過する手も有ったのかも知れないが、現代では関門海峡は消滅し、海底の隆起や地殻の変動により九州と四国と本州の境界すら曖昧になり、実現は到底不可能になってしまっている。
 活骸以外の外敵を知らなかった時代は護衛が付く事は無かったが、現在は何処で何に遭遇するか分からないと艦艇が護衛の任に就き、そこに積み込まれている銃火器も数を増やし大口径の砲も搭載された。以前は時間の掛かる海路ではなく陸路での輸送に切り替えてはどうかという意見が無知な輩から出た事も有ったが、陸路では海路程一気に大量の輸送も出来ない上、暴動や非正規兵による攻撃等きな臭さを増した現状を思い知ったのか、そんな戯言は今では何処からも聞こえて来ない。
 次に叩かれるのはここだ、タカコはそうはっきりと言い切った。ここに意識を引き付けない為に鳥栖を叩き大和人の気を逸らせている、そう言った彼女に
「目眩ましで他を叩くってのは理解出来るが、何でこんな近くなんだ。火発は海兵隊基地の隣、鳥栖には近過ぎるだろう?離れた場所を叩けば、その分対応に戻るのに時間が掛かる、相手もそう考えるんじゃないのか?」
 と問い掛けてみれば、返されたのは何とも人を食った様な微笑み。何なんだと眉根を寄せた黒川や高根を見て、タカコは静かに応接セットの机の上に置いてあった書類を片付け、高根と黒川が飲んでいた湯呑を手に取った。
「この机の端が火発の在る日本海沿岸、で、反対側が何処か距離の有る軍事施設、こっちの湯呑が私達の部隊、こっちが別の部隊」
 そう言いながら火発に見立てた端の近くに自分達だと言った湯呑を置き、反対側の端近くに湯呑をもう一つ。そこ迄やった後は適当な紙を手に取りくしゃりと丸め、ポケットから取り出したマッチを擦りそれに火を点ける。
「これが……鳥栖」
 肌が粟立つ様な冷たい笑みと言葉と共に手にした紙が放られ、自分達だと言った近くに炎を揺らめかせながらかさりと落ちた。
「……さぁ……どうする?」
 ゆらゆらと揺れる赤い炎、紙の焦げる臭いが漂い、火と立ち上る空気の勢いに煽られて、炭化した紙の欠片が一片二片と舞い上がる。
「何考えてんだ、火事は勘弁だぜ?」
 じゅわりという、炎が水を被り立てる小さな断末魔、机の上に茶とそれに押し流された燃え滓の破片が広がり、湯呑を手にした黒川がやや呆れた様子でタカコへと言葉を投げ掛けた。
「……そういう事だよ、タツさん」
「……は?どういう意味だ?」
「今、どっちの『部隊』を『鎮圧』に向かわせた?」
「って……あ……!!」
 その場の誰も、直ぐにはタカコの言葉から意図を読み取れなかった。最初に気付いたのは語り掛けられた黒川、彼は自分の手にした湯呑と残されたもう一つ、それを交互に数度見て、溜息を吐きながら半分浮かせた身体をソファへと沈み込ませる。
「……そういう……事、か……」
 彼が手にしたのは『自分達』だと言われた湯呑、それが鳥栖という火を消しに動いた事で火発周辺にぽっかりと出来上がった空白地帯、それを見ながら舌打ちをして湯呑を元在った場所へと静かに置く。
「博多を重点的に防衛している事で鳥栖より外側に在る駐屯地とは距離が有る。だから、鳥栖で事が起きれば、動くのは博多、春日、太宰府、この三つの駐屯地が中心になる……これが今回の教導隊に任用されてる兵員の多くの原隊と重なるのは……言わなくても分かるよね?」
「……ああ……降参だ」
 離れた所を叩けばそこに近い駐屯地から兵員が出場し、火発に最も近い場所にいる上に精鋭を集めた自分達は動く必要が無い、後追いで動いたとしても色々と手筈を整えた後で動くから火発の護りも極端に脆弱になる事は無い。だから、自分達を動かし、尚且つ火発に何か有っても即時に転進し対応が出来ない距離に在る鳥栖が選ばれた――、そういう事かとそこでその場の全員が漸く理解し、見通しが少々甘かった様だと夫々が内心で己を戒めた。
「――かん?黒川総監?どうかしたのか?」
 そこで黒川の意識を現実へと引き戻したのは副長の言葉、はっとして横を見れば、十cm程上空から何とも気難しそうな面持ちと鋭い視線を向けられ、黒川は誤魔化す様にして笑みを浮かべて口を開く。
「申し訳有りません、少々考え事をしていました。火発の防御をどうすべきかとか、燃油の輸送方法とか、そんな事を」
「そうか、大変だとは思うが防御は君達が中心になる、頼むぞ」
「は、心得ております」
「次は汽缶室の見学だそうだ、行こう」
「は」
 副長を始めとした中央の面々はタカコの素性も直接的な関与も知らない、その彼等から自分がタカコへと投げ掛けた様な疑問も出たが、それは黒川がタカコの言葉をそのまま借りる形で納得させる事が出来た。抱える問題を解決した後は本当の敵に真っ向から向かうだけ、それが首尾良く運べば良いが、黒川はそんな風に考えつつ、海から吹き付ける風の冷たさに僅かに肩を竦め、副長達に続き踵を返して汽缶建屋へと向かう為にゆっくりと踵を返して歩き出した。
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