35 / 100
第235章『草』
しおりを挟む
第235章『草』
タカコを移送する車に一緒に乗り込んで陸軍病院へと入ってから、最初の三日間は集中治療室の外で彼女が出て来るのを待ち続けた。寝る場所として借りた患者家族の控え室の片隅で眠り、風呂と便所と食事、そして先日の掃討で負傷し入院している海兵を見舞う以外は全ての時間を治療室の前の長椅子に腰掛けて過ごし、一日たった五分の面会の時間を待ち続けた。
そして今日、状態は極めて安定していると判断され麻酔の投与が終了となり、後は目が覚めるのを待つだけだと言われ個室へと移された。そうして今、敦賀はそのタカコの寝台の脇に置かれた椅子に座り彼女の寝顔を見詰めている。
顔にはもう血の気が戻っている、薬が切れれば遠からず目を覚ますだろう、その時にどんな言葉を掛けてやろうか、そんな事を考えつつ立ち上がり、
「……飯、食って来る」
と、そう言ってタカコの頬を撫でて病室を出た。
「あれ?敦賀じゃないか?こんなところで私服で何を?休みか?」
病院の近くに在る定食屋に入り注文をすれば、斜め前に座っていた男に急に声を掛けられる。誰だと思い顔を上げてみれば、そこには博多駐屯地司令の横山の姿が在った。
「横山司令、お疲れ様です。司令は見舞いですか?」
「ああ、本来なら公務で来たいところだが緊急の案件が多過ぎてなかなか片付かなくてな、漸くとれた休みを利用しての見舞いだよ」
先日の曝露で兵士に戦死者は出なかったものの、負傷者は陸軍にも海兵隊にもそれなりに出ている、その彼等の見舞いかと問い掛ければ頷いて肯定され、こっちに来いと言われて彼の向かいへと移動する。食事が出される迄の間に話す事と言えばやはり先日の曝露について、小中学生の殆どが活骸に変異後掃討され死亡したという事で小中学校の大規模統合をするらしく、廃校措置でそれ以降無人になる施設の管理は陸軍が引き受ける事になりそうだ、そんな事を横山から聞かされる。
「そうですか……子供達の葬儀というか、慰霊祭に関してはどうなるんでしょう」
「ああ、それに関しては軍は関わらない方向で政府が話を進めてるらしい。軍関係者の子弟も多いが、その子達にとどめを刺したのは俺達だからな……親御さんの気持ちを考えると、な」
「……そうですね」
活骸に変異した後の人体は身体の大きさ以外は外見が大きく変貌し、個々の識別が非常に困難になる。その結果今回の曝露だけでなく、鳥栖も前回の博多も遺体が遺族へと戻されたのは衣服で見分けがついたほんの一部分のみ。残りは纏めて焼却処理し合葬する他は無く、その為の施設が郊外に作られたのは昨年の事だ。今回の子供達も身元が判明した一部分は親元へと戻されそこで葬儀が個々に執り行われたが、身元の判明しなかった子供、そして一家全滅したところはその家族ごと、先程横山が言った政府主催の葬儀の後に施設へと合葬される事になるのだろう。
子供、女、本来であれば後方で安全を確保し、自分達男が最前線に出て護るべき者達の為に戦う、その筈なのに今回はその子供達が犠牲となり自分達が彼等を殺す羽目になった、男の戦死とは重さも気持ちの陰鬱さも段違いだと思いつつ、若干沈んだ気持ちになりながら、目の前に置かれた食事へと手を付ける。
「そう言えばお前は?お前も部下の見舞いか?」
「あ、ええ、そんなところです。ちょっとやらかしてしまって、謹慎を食らったので良い機会かと思って」
「謹慎?何をやったんだ?」
「ああ、それはちょっと……聞かないで下さい」
最先任とは言え下士官が総司令の胸倉を掴んで暴言を吐いた等、外部の人間に言える事ではない。自分は兎も角としても総司令である高根と、そして海兵隊全体の評判に関わる事をぺらぺらと話す事も出来ず、敦賀は問い掛けを曖昧に誤魔化した。
「ま、良い機会だ、少しでも身体を休めてまた仕事に戻れば良い。どうせ当分は落ち着かない状況が続くんだし」
「……そうですね、そうします」
食事を終えて揃って立ち上がれば横山が敦賀の分の伝票も持って歩き出し、固辞するのを笑って往なされて店を出る。
「ご馳走になっちゃってすみません」
「いやいや、良いよ。俺はもう帰るが、お前は?」
「自分はまだ」
「そうか、それじゃあな」
「はい、失礼します」
病院の敷地内でそんな遣り取りを交わし、駐車場に停めた車へと向かって歩いて行く横山に頭を下げて見送り、敦賀は院内とへと戻って行った。
「…………」
暫く歩いた後で突然立ち止まり振り返る横山、敦賀の背中が病院の玄関の中へと消える前に歩き出し静かにその後を追う。気取られない様に距離を置いて後をつけ、面会謝絶の札がぶら下げられた個室へと入って行くのを確認し、暫く間を空けてからその前へとそっと立ち中の様子を窺った。
中から聞こえて来るのは誰かに話しかけているのか敦賀の穏やかな声音、返事が無いのは相手には意識が無いという事なのか、そんな事を考えつつ扉の脇に示された名札を見てみれば、そこには『清水多佳子』という、見覚えの有る文字が記されていた。彼女が先日の曝露で意識不明に陥る程の重傷を負ったのか、それにしてはこんな長期間に渡り意識が戻っていないのも不自然だ、それに、面会謝絶の病室に敦賀が出入りしている特別待遇は何なのか。
陸軍の事であれば立場を前面に出して医官や看護師から聞き出す事も可能だが、所属の違いも有っては事はそう簡単には運ばない、総司令の高根や敦賀自身もそれは分かっているだろう。叛意やその類の事ではなさそうだが自分達の縄張りで起きている妙な動き、調べる必要が有る、そして、上官である黒川にも報告を上げる必要が。黒川の草の任は解かれたものの長年の習性は簡単に抜けるものではなく、横山は鋭い眼差しで廊下の床を眺めつつ、静かに歩き出し立ち去って行った。
タカコを移送する車に一緒に乗り込んで陸軍病院へと入ってから、最初の三日間は集中治療室の外で彼女が出て来るのを待ち続けた。寝る場所として借りた患者家族の控え室の片隅で眠り、風呂と便所と食事、そして先日の掃討で負傷し入院している海兵を見舞う以外は全ての時間を治療室の前の長椅子に腰掛けて過ごし、一日たった五分の面会の時間を待ち続けた。
そして今日、状態は極めて安定していると判断され麻酔の投与が終了となり、後は目が覚めるのを待つだけだと言われ個室へと移された。そうして今、敦賀はそのタカコの寝台の脇に置かれた椅子に座り彼女の寝顔を見詰めている。
顔にはもう血の気が戻っている、薬が切れれば遠からず目を覚ますだろう、その時にどんな言葉を掛けてやろうか、そんな事を考えつつ立ち上がり、
「……飯、食って来る」
と、そう言ってタカコの頬を撫でて病室を出た。
「あれ?敦賀じゃないか?こんなところで私服で何を?休みか?」
病院の近くに在る定食屋に入り注文をすれば、斜め前に座っていた男に急に声を掛けられる。誰だと思い顔を上げてみれば、そこには博多駐屯地司令の横山の姿が在った。
「横山司令、お疲れ様です。司令は見舞いですか?」
「ああ、本来なら公務で来たいところだが緊急の案件が多過ぎてなかなか片付かなくてな、漸くとれた休みを利用しての見舞いだよ」
先日の曝露で兵士に戦死者は出なかったものの、負傷者は陸軍にも海兵隊にもそれなりに出ている、その彼等の見舞いかと問い掛ければ頷いて肯定され、こっちに来いと言われて彼の向かいへと移動する。食事が出される迄の間に話す事と言えばやはり先日の曝露について、小中学生の殆どが活骸に変異後掃討され死亡したという事で小中学校の大規模統合をするらしく、廃校措置でそれ以降無人になる施設の管理は陸軍が引き受ける事になりそうだ、そんな事を横山から聞かされる。
「そうですか……子供達の葬儀というか、慰霊祭に関してはどうなるんでしょう」
「ああ、それに関しては軍は関わらない方向で政府が話を進めてるらしい。軍関係者の子弟も多いが、その子達にとどめを刺したのは俺達だからな……親御さんの気持ちを考えると、な」
「……そうですね」
活骸に変異した後の人体は身体の大きさ以外は外見が大きく変貌し、個々の識別が非常に困難になる。その結果今回の曝露だけでなく、鳥栖も前回の博多も遺体が遺族へと戻されたのは衣服で見分けがついたほんの一部分のみ。残りは纏めて焼却処理し合葬する他は無く、その為の施設が郊外に作られたのは昨年の事だ。今回の子供達も身元が判明した一部分は親元へと戻されそこで葬儀が個々に執り行われたが、身元の判明しなかった子供、そして一家全滅したところはその家族ごと、先程横山が言った政府主催の葬儀の後に施設へと合葬される事になるのだろう。
子供、女、本来であれば後方で安全を確保し、自分達男が最前線に出て護るべき者達の為に戦う、その筈なのに今回はその子供達が犠牲となり自分達が彼等を殺す羽目になった、男の戦死とは重さも気持ちの陰鬱さも段違いだと思いつつ、若干沈んだ気持ちになりながら、目の前に置かれた食事へと手を付ける。
「そう言えばお前は?お前も部下の見舞いか?」
「あ、ええ、そんなところです。ちょっとやらかしてしまって、謹慎を食らったので良い機会かと思って」
「謹慎?何をやったんだ?」
「ああ、それはちょっと……聞かないで下さい」
最先任とは言え下士官が総司令の胸倉を掴んで暴言を吐いた等、外部の人間に言える事ではない。自分は兎も角としても総司令である高根と、そして海兵隊全体の評判に関わる事をぺらぺらと話す事も出来ず、敦賀は問い掛けを曖昧に誤魔化した。
「ま、良い機会だ、少しでも身体を休めてまた仕事に戻れば良い。どうせ当分は落ち着かない状況が続くんだし」
「……そうですね、そうします」
食事を終えて揃って立ち上がれば横山が敦賀の分の伝票も持って歩き出し、固辞するのを笑って往なされて店を出る。
「ご馳走になっちゃってすみません」
「いやいや、良いよ。俺はもう帰るが、お前は?」
「自分はまだ」
「そうか、それじゃあな」
「はい、失礼します」
病院の敷地内でそんな遣り取りを交わし、駐車場に停めた車へと向かって歩いて行く横山に頭を下げて見送り、敦賀は院内とへと戻って行った。
「…………」
暫く歩いた後で突然立ち止まり振り返る横山、敦賀の背中が病院の玄関の中へと消える前に歩き出し静かにその後を追う。気取られない様に距離を置いて後をつけ、面会謝絶の札がぶら下げられた個室へと入って行くのを確認し、暫く間を空けてからその前へとそっと立ち中の様子を窺った。
中から聞こえて来るのは誰かに話しかけているのか敦賀の穏やかな声音、返事が無いのは相手には意識が無いという事なのか、そんな事を考えつつ扉の脇に示された名札を見てみれば、そこには『清水多佳子』という、見覚えの有る文字が記されていた。彼女が先日の曝露で意識不明に陥る程の重傷を負ったのか、それにしてはこんな長期間に渡り意識が戻っていないのも不自然だ、それに、面会謝絶の病室に敦賀が出入りしている特別待遇は何なのか。
陸軍の事であれば立場を前面に出して医官や看護師から聞き出す事も可能だが、所属の違いも有っては事はそう簡単には運ばない、総司令の高根や敦賀自身もそれは分かっているだろう。叛意やその類の事ではなさそうだが自分達の縄張りで起きている妙な動き、調べる必要が有る、そして、上官である黒川にも報告を上げる必要が。黒川の草の任は解かれたものの長年の習性は簡単に抜けるものではなく、横山は鋭い眼差しで廊下の床を眺めつつ、静かに歩き出し立ち去って行った。
0
お気に入りに追加
42
あなたにおすすめの小説
〖完結〗私が死ねばいいのですね。
藍川みいな
恋愛
侯爵令嬢に生まれた、クレア・コール。
両親が亡くなり、叔父の養子になった。叔父のカーターは、クレアを使用人のように使い、気に入らないと殴りつける。
それでも懸命に生きていたが、ある日濡れ衣を着せられ連行される。
冤罪で地下牢に入れられたクレアを、この国を影で牛耳るデリード公爵が訪ねて来て愛人になれと言って来た。
クレアは愛するホルス王子をずっと待っていた。彼以外のものになる気はない。愛人にはならないと断ったが、デリード公爵は諦めるつもりはなかった。処刑される前日にまた来ると言い残し、デリード公爵は去って行く。
そのことを知ったカーターは、クレアに毒を渡し、死んでくれと頼んで来た。
設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。
全21話で完結になります。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる